腐る中の川
腐った川に、つぶらやくんは出会ったことがあるか?
流れがとまった川は、そこに汚れや腐敗物が溜まる余地が生まれてしまうわけで、不健康の気配をかもしていく。
しかし、流れ続ける川でもって、リアルタイムに腐った雰囲気が漂っているレベルともなれば……どうだろう? 本来の川の流れに逆らう形でそれが構築されていくとしたら?
我々が想像しているのとは別物で、自然が思わぬ接し方をしてくることもある。それに関してひとつ特殊な方法を最近聞いたのだけど、耳に入れてみないかい?
私の弟は、昔から泳ぐことが好きでね。
プールでも川でも海でも、泳げる場所であればひと泳ぎしないと気が済まないタチだったんだ。
今でも泳ぐときは泳ぐものの、一時期ほどのはまりぶりほどじゃないらしい。
歳を食って、いささかだらしない体型になってきたばかりが原因じゃない。以前に腐った川で泳いでしまった経験があってから、どうにも及び腰になり始めてしまったとのことだ。
先にも話したような、流れが続いている川でのことだったという。
どこの何という川なのか、は具体的に明かすことができない。それも弟が泳いでいたところは公には泳ぐなといわれている箇所の疑いがあってね。あくまで、そこで起きたという出来事の報告と思ってくれ。
車を飛ばして一時間以上をかけて、かの川へおもむいたというのだから、弟の熱心ぶりはたいしたものだと思う。
全体の長さゆえに、箇所によって呼び名が変わるその流れのうち、そこを選んだのはどうも友達から聞いた噂話が原因らしい。
その川は昔から不老長寿のため、身を清める人たちが流れに浸かったと伝わるところ。迷信とみなされるようになった今でも、その効果は残っていて、長く水に浸かっていると恩恵にあずかることができるという。
もし、年中通して健康体であったならば、さほど興味を惹かれなかったかもしれない。しかし、弟もこのところは健康診断で引っかかる項目がちらほら出てきていた。
それに対し、気休めでもいいからおまじないをしておこう……などという気持ちになったのかもしれんな。
現地についた弟。まわりに人影はなし。
まあ、ばれたらお話にならないからな。そのあたりの警戒はしっかり行っている。
流れを横切る形で広がる川幅は、一番狭い箇所でも目算で50メートルほどはあった。泳ぎが不得手な人にとっては、絶望的ともいえる距離。しかし弟にとっては、個人メドレーの一種目をこなすにも不足を感じる長さだった。
「効果を得るためには、最低でも一時間は浸かったほうがいいらしいぜ」
弟は友達から、そのように聞いている。
着替えて準備運動が済むと、弟はゆったりと流れへ踏み入っていき、足がつかなくなったあたりから泳ぎ出す。
これまで流れのある場所で幾度も泳いできた。それに比べると、ここの川の流れは体感ではさほど強くないように思えたらしい。
しかし、いざ対岸までたどり着いて振り返ると、元の岸に目印代わりに置いておいたシャツの位置から、それなりに下流へ流されていることが分かったのだそうだ。
どこまでこれほどの流れの強さが続くか分からないが、あまり動きすぎて誰か人がいてもまずい。弟は流されているのを確認するたび、ある程度上流まで戻りなおしては泳ぎ、また移動しては泳ぎ……を繰り返していたそうなんだ。
そうして一時間ほどが過ぎる。
友達に聞いていたくらいの時間。実際に途切れることなく浸かり続けていたわけではないが、いちおうの形は成しただろう。引き返すか、と弟がふと下流へ目をやったときだった。
魚がぷかりと、腹を見せてひっくり返っている姿がちらほらと見られたんだ。あの姿、確実に力尽きていると見えたが、弟にとってはその魚たちが「見えている」こと自体が問題だった。
これまで泳いでいて、何度か下流は見やった。そこには突き出ている岩の先など、流れていったものが引っ掛かりそうな箇所は、まったく見られなかったんだ。
なのに、その魚たちはぷかりと浮かんだままの定位置から動かない。川は変わることなく流れ続けているというのに、彼らだけはまるで「いかり」を下ろした船であるかのごとくだ。
その数と位置は、なかば急造の堰であるかのようで、広い川の両端を直線上に結んだ左右へたまりかけている。まさに今ここをせき止めて、「よどみ」を作らんとしているかのよう。
――これは、離れたほうが良さそうだ。
弟は穏やかならざる気配を察するも、このとき車などがあるのは対岸だった。
ざぶんと水へ飛び込み、全力で泳いでいったものの、もう少しで足がつくというところまできて。
流れが急に逆向きになった。とたん、どどっと身体へ何かがぶつかる衝撃が走ったんだ。
無数の感触にたじろぎながらも、止まってはいられないと残りを泳ぎきった弟が、岸から振り返ったときにはもう、流れは元の向きへ戻っていた。
ただ、あの浮き上がっていた魚たちの姿はどこにもなく、逃げ帰った弟の身体には時間を置いて、いくつもの青あざが浮き上がった。
同時に風呂へ入っても落ちない腐臭を数日間漂わせる羽目になってね。以降、うかつにどこかで泳ぐ気になれないのだとか。




