見敵接敵あかん敵
こーちゃんは、自分の住んでいる場所の天井のシミの数って、把握しているかい?
いや、別に妙な意味合いでいっているわけじゃない。家の中の様子や、その変化に敏感かという話だ。
我々は生きている間、常に変化につきまとわれている。昔の自分には存在していなかったシミ、キズ、ホクロ、いつごろこさえられたものなのかとか、説明できるかい? まず無理じゃないかなあ。
自分の身体でさえそうなんだ。身の回りにあるものとか、一部の気を引くもの以外はほとんど興味持たないんじゃないか? はでに壊れたり、ひびが入ったりして、ようやく目を向けるということは?
何かあってからでは遅いといわれても、実際は何かあるまで気づけないというケースも多いはずだ。始終気にしろとまではいかないが、ふとした拍子に神経をまわしてやる程度はしてもいいかもね。
私の昔の話なのだけど、聞いてみないか?
実家で暮らしていたころ。夏場は蚊がプンプン飛ぶ時期だった。
いまでこそ、年中彼らを見ることは珍しくない。地球の気候だったり、暖房機器の発達だったりで、冬でも暖かい傾向があるからな。しかし、当時の私たちにとって蚊の存在は夏の風物詩の印象だった。歓迎とは、逆方向のね。
蚊を見つけ次第、私たちはどんどんと血祭りにあげていった。殺虫剤のたぐいを使えば手間も減ったのだろうけれど、私個人はその薬たちのにおいが、好きじゃないときている。
そうなると原始的な始末法に頼るわけで。自宅は私の剛腕と蚊たちの飛翔能力の、シンプルな競い合いの場と相成るのだ。
実際に被害を受けたかどうかは問題じゃない。見敵必殺の精神だ。
言葉の通り、敵を見かけたら必殺の精神で臨むのだが、実は敵に見つかったら必ず殺されるという意味合いも、この語には含まれると聞いたこともある。
つまり攻める私側のみならず、攻められる蚊たちもまた同語異義な心持ちでもって、ここにあたっているわけで。互いの命に有意義な時間をもたらすために、気など抜いていられないのだ。
時と場所を選ばないなら、被害もかえりみない覚悟がいる。私に触れている状態だったり、攻撃を食らってすぐ落ちてくれたりするならいい。しかし壁などについたまま「花火」になるなども、ちょくちょくあるわけで。
そうなった場合、汚れが残らないよう後始末に奔走することになるが、私は構わなかった。薬も嫌いだが、蚊もまた同じくらい嫌いな私にとって、最期を与えてやるのが最優先。そうして夏休みも半ばを迎えるころには、実に3桁近い蚊に引導を渡してやったっけ。
中には腕による直接攻撃が届かず、柄の長い得物に頼ったこともあった。天井にとまっている奴はその最たる例で、使い古しのバットの柄頭などが死刑執行の役割を担っていたなあ。
すぐに手をくわえても、ほんのりと板の表面に残ってしまうこともある彼らの痕跡。それは自らが討ち取った武勲でもあるし、誇らしく思っていた私なのだけど。
――増えてる?
じきに、そう感じるようになっていた。
天井を眺める機会が増えた私は、おおよその彼らの最終到達点を把握できていたからね。それと元あった汚れを入れても、状態はまあまあ頭に入っていた。
しかし、昼間にチェックしたときに比べると、明かりをつけての夜間はどこか黒ぽっちが多いように思えてならなかったんだ。
はじめは気のせいかとも考えていたが、ふと思い立った時に昼間の天井のシミを数えてみたんだ。そのうえで、日が暮れてからの天井もチェックしてみた。
増加分は、3つ。
もとより、昼間の時点でシミの数は72あったのが、夜には75あったんだ。いずれもダブルチェック、トリプルチェックと念押ししたから、数え間違いの線はない。
写し紙などは使わなかったから、頼りの綱は己の記憶。昼間見たものを思い出しながら、ようやく3つあるうちのひとつを特定したんだ。
天井から下がる、笠つきの丸型蛍光灯。その影になるところに、昼間にはなかった黒点がくっついていたんだ。
蚊をつぶしたにしては、少し大きめだ。BB弾よりもひとまわり大きいが、広い天井の中においてはさほど気にならないだろうレベル。事実、私だって昼間に思い立たなければスルーしていておかしくなかった。
――いったい、これは何だろう?
そう疑問に思ってしまったのが、運のつきだったのだろう。
私はこれまで数えきれない蚊相手にやってきたのと同じく、部屋の隅からバットを持ってくるや、その点を柄頭で抑え込んだんだ。
とたん、私の足がほんのわずかだけ床から浮いた。
ジャンプしたわけじゃない。強い磁石に引っ張られたかのごとく、天井にバットごと引っ付けられてしまったんだ。足を浮かさずにはいられないほどね。
しかも、そのまま滑った。
天井にくっついた部分を中心に、レールに沿って開閉するカーテンを思わせる動きで、勢いよく部屋の中を横断したんだ。ベランダの窓へ向かってね。
開き窓は割れはしなかったものの、家全体を一瞬揺らすほどの強い衝撃を走らせた。当然、叩きつけられた私もつい声をあげちゃうほどに痛んだよ。
家族が駆けつけてきたときには、もうバットごと部屋の床へ投げ出されて、ただ激痛にもだえるばかり。部屋で無軌道に暴れてんじゃない、と心配どころか説教を食らう始末だった。
けれど、あの点は確かに動いている。
家族が去った後に改めて見上げた天井において、例の黒点は窓際へ届くすれすれへ移動していたのだから。
先の二の舞を演ずるまいと、もはや私は干渉しなかったし、朝になると点は消えていた。
正体は分からないが、天井のシミたちの中にも、それにまぎれて何かをしようとしているものが潜んでいるのかもしれないと思ったよ。




