巣の行き来
巣、ときくと君はどのようなイメージがわくかな?
多く、虫や動物の住まうところを想像するが、我々人間が暮らす家なども、広く見れば巣に違いないだろう。
巣は体の外に存在し、種が生命を維持するために求められるスペースといえる。けれども、このスペースは必ずとも自作したものとは限らない。
たとえばフクロウは、樹木の洞を巣にすることが多いものの自分で穴をつくる力がない。そのため、ほかの動物がこさえたのち、放棄した巣のあとを流用することがままあるとか。
我々人間もまた、ほかの生き物が住まっていた家や場所へ移り住みながら生きている。
仮に新たなマイホームを作ったとて、そこは昔に、あるいはつい先ほどまでそこにいたものを押しのけて、新居としての産声をあげたにすぎない。
赤子が先達の影響を乗り越え、自立を果たしていくには、ときに多大な力や時間を求められるかもしれないな。
以前、私が友達から聞いた話なのだが、耳に入れてみないかい?
友達が一人暮らしを始めたばかりのときだったという。
部屋探しをしていたとき、たまたまその新築のアパートを見つけたという友達は、値段の安さもあって即決したようだ。
最寄りの駅まで数分という立地の良さもあり、はじめての一人暮らしということで必要そうなものを詰め込んだ段ボールで、すぐさま部屋はぽんぽこりんになった。
直近で必要なものに厳選し、荷解きを進めていく友達。
春休みのころだ。学生にとっては憩いの期間であり、数日間もたついたとしても通学には問題ないタイミングだった。
親をはじめとする誰彼に、ケチをつけられる心配がないというのは、なんとも気が楽なもので。悠々と必要なものの準備を整えた友達は、夕方ごろにはごろりと布団へ横になり、趣味のひとつだった雑誌のクロスワードパズルにのめりこんでいたのだけど。
窓のすぐ外で、鳥の羽ばたく気配がした。
ちらりと見ると、窓の先の張り出した軒にツバメのものと思しき小さな巣があったのだそうだ。
いまそこへ、親鳥と思しき体の大きさの鳥がひっつき、巣全体をほぼ覆い隠しながら、奥へ向けて頭をちょびちょびと動かしている。
内見したときに、ああいう巣なんてあったっけなと思いつつも、動物たちならではの早業かもなと、ポテンシャルをどこか信じている友達。
親鳥らしき影が懸命に頭を動かしている様子をほほえましく見ながらも、やがてまたクロスワードパズルへ戻っていく。
8割がた埋まったものの、肝心の言葉を特定させる部分に関しては半分にも至らない。どうにか頭よりひねり出せねえかなあ……と、紙面をにらむ。
辞書類には頼った時点で降参宣言も同じ。しかし、じかに正解を導き出すような真似をしなければ、負けじゃない。
勝手にもうけた自分ルールにのっとり、出し抜けに起き上がって、スクワットを始める友達。身体のいろいろな部分を動かすと、ふと頭に浮かぶ可能性もゼロじゃないのだ。
上体をあげてはおろし、あげてはおろしを繰り返している間に、外もうっすら暗くなってきている。
ふと、窓の外を見た。
あの親鳥らしきものは、まだ巣に取り付いているようだった。あれから数十分は経過しているにもかかわらずだ。
よっぽどひなが甘ったれなのか……と、少し興味をひかれた友達は窓へ寄っていく。けれども近づくにつれ、ふと違和感が湧き上がってきた。
鳴き声が聞こえてこないんだ。
窓を閉め切っているとはいえ、巣はそこよりほんの数センチほど先。鳥の声が漏れ聞こえてきてもおかしくはないはず。
しかし、耳に入るのは先と同じような、親鳥の羽ばたきや身じろぎする音ばかり。巣の中にいるであろう、ひな鳥の気配がちっとも感じられない。
なにをしているんだろうと、窓へ張り付かんばかりに顔を寄せる友達。
その目がとらえたのは、これまで巣と親鳥自身の影になって見えなかった壁面の奥に、大きな穴が開いていたことだ。
親鳥の身体がすっぽりと入ってしまいそうな大穴。あれこそ、内見ではなかったはずのシロモノ。親鳥は先ほどから、その穴の中へしきりに頭を前後させながら、出し入れを繰り返していたんだ。
親鳥……いや、あれはもはや親鳥といっていいのか?
黒々とした身体の中、穴へ出し入れしている頭だけは、緑色に汚れている。頭を引くたび、穴から飛び出る得体のしれない液体が、親鳥の顔をどんどんと汚していくわけだ。
どしん、とにわかに部屋が揺れた。
思わず尻もちをついてしまうほど強いものだが、揺れそのものはほんの一瞬で終わる。
でも、直後に部屋中の壁という壁の間で、がぼりがぼりと溺れるような水音があふれかえってきた。
風呂の水をあけるとき、流しに溜まった水を一気にあけるとき、似たような音が聞こえることがある。おそらく壁の中のパイプを水が駆け巡る音だろう。
しかし、こうも四方八方が同時にうなるなど、聞いたことがなかった。まだここに入って数日ほどだが。
水音はある程度続いていたが、いったんぱたりと止まると、また響いてくる。
しかし、耳を澄ませてみると先ほどとは水の流れが反対になったような気が……。
そう感じていたところで、外に変化があった。
例の巣のついた壁面だ。どっとあふれ出て親鳥の身体を汚し、軒の下へと飛び出してきたのは大量の緑水……いや、そばかそうめんのように細い細い身体をした緑色の麺、違う、ミミズのようなものたちだったんだ!
身をうねらせるそれらはたちまちあふれ、このアパートまわりにまき散らされて、大惨事を引き起こすに違いない……と、思われた。
それをあの親鳥は、「すすった」。
人間が器いっぱいに盛られた麺を、一気にすするのとよく似た音を立てて、あふれ出るぶん。こぼれていったぶん、そのことごとくをだ。
結果的に一滴も親鳥はこぼすことはなかったが、その身体はとてつもなく肥大し、友達の部屋の窓に入りきらないほどになる。
が、それほどの巨大な腹とはアンバランスにすぎる小さいままの羽で、親鳥はさっと窓から離れた。友達が窓へ寄ったときには、もう彼方の空へ向かい、小さくなっていたほどに動きは速かったという。
あの親鳥にとって、ここは確かに巣だったのだろう。
ありあまる餌を得られる、このアパートの壁面全体が、ね。




