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侵略・穴あき包丁

 うふふ、家具のカタログを眺めていると、幸せな気分になるわね〜、つぶらやくん。

 イス、タンス、ベッド、ソファ、クッション、そして包丁……。あたかも万物の所有者、なんでもできそうな気分になってこない?

 ――え? 最後が物騒だって?

 まあ、物書いていて包丁が出てくるのは、多くが凶器としてかしらね。はさみやカッターとかと並んで、各家庭でよく使われているでしょうし、想像もしやすいわ。

 ふっふっふ、ちょっと赤〜いものがついているだけで、事件の臭いがしてくる。たまらない……。

 つぶらやくん。次はスプラッタホラーか、殺人ミステリーで書いてみない? 

 18歳以下お断りの、吐き気を催すくらい凄惨な死体や、現場の描写を切実希望!

 ――気が向いたら、か。気長に待つからね。うふふ……。

 

 ん? どうしてスプラッタ映画で満足しないかって?

 だって映像は、「こう見なさい」って強要されたものじゃない。

 悲鳴。表情。怪我の状態。流れる血の量。命が消える瞬間さえも。

 これらが「あきらか」になり過ぎて、イメージを「あきらめる」しかないのよ。

 そもそも「あきらめる」って「あきらかにすること」が語源でしょう? はっきり分かっちゃって、ツッコミどころが消え去り、先に進めなくなること。

 そこから派生して、今は「断念」とほとんど同じ意味で使われているけどさ。

 

 だから私、「謎」が好き。文章が好き。想像の余地を残してある、美しい作品が好き。

 つぶらやくんが書きながら、思い描いている映像が、読んでいる私の中では、よりしょぼく、もしくは、より素晴らしく映っているかも知れない。

 はっきりと書かれないかぎり、登場人物のおしりの毛、その最後の一本まで、私だけのもの。あなたが残してくれた余白で、私は思いっきり楽しむの。

 押しつけがましい結論も、カミングアウトも、いらない。

 自分で世界を作れるのなら、それが私にとっての小説。

 

 こうしてカタログを見るのもコマーシャルを見るのも好き。いいところしか分からない。分からないから、面白い。

 買ってしまって、全部分かっちゃったら、つまらない。触らないうち、知らないうちなら、全部全部が面白い。……私が言うこと、変かしら。

 ――それほど用意される「謎」が好きなら、自分からも提供してみろ?

 ふふっ、言うと思った。

 じゃあ、つぶらやくんにも、私から一つ、「謎」をプレゼントするわ。

 

 包丁を初めて握るのは、家の中という人、多いのかしら。私もそうだった。

 でも、おばさんは、全然。お父さんもお母さんも、ベタベタに甘やかしてくれて、箱入り娘状態。包丁に近づけさせるなんてとんでもないって考えで、初体験は小学校の調理実習だったとのこと。

 力任せに断ち切ろうとするものだから、いつ指を切っても、おかしくない状態だったらしいわね。

 その日は肉じゃがで、包丁係のおばさんはニンジン相手に、悪戦苦闘していた。

 引いて切る、なんて考えがなかったから、真上からぐりぐり刃を押し付けて、ようやくひとかけら。もたもたしていたら、時間が終わってしまう。

「包丁が悪いんだ」と、おばさんはつぶやいた。自分がこんなに力を入れても、切れない。切ろうとしてくれない包丁に、責任をなすりつけたのね。

 すると、となりでジャガイモの皮をむいていた子が、手を止める。


「だったら、これを使う?」


 まな板に何かを置く音。

 包丁だった。それも家庭科室にある包丁と違い、刃にいくつも穴が開いている。


「家でよく使う、穴あき包丁だよ。きゅうりとかがくっつかなくて、切れ味も抜群。健康でおいしい料理の、必需品」


 まるで宣伝文句のように告げる彼女。

 おばさんが試してみたところ、手ごたえが全然違った。本当に同じ包丁という刃物なのか、と思うくらいによく切れる。あれほど硬かったニンジンが、まるでバターか豆腐のように、すんなり切れる。

「やっぱり、包丁はこうでないとね」と、偉ぶって調子に乗るおばさん。

 次々に材料を切っていくけど、切り方がうまいわけじゃない。いかにも「男メシ」といった感じのワイルドな切り方に、班のみんなは戸惑い気味だったとか。

 見た目はともかく、味は上々。各々、きれいにたいらげたみたいね。


 けれど、その日。家に帰ったおばさんは、猛烈にお腹が減ったわ。

 給食をおかわりして、満腹感を十分に覚えたというのに。つい、おやつに手を伸ばしそうになったけど、それを見咎めたお母さんに、「もう夕飯前なんだから、やめなさい」と止められる。

 おばさんはキュル、キュルとお腹を鳴らしながら、夕飯を待ちわびた。そして、いつもなら2杯で止めるおかわりを、5杯も食べて、お母さんを含めた彼女に心配されたとか。

 けれど、一時間後。おばさんはトイレに籠城したわ。お通じが良すぎて。

 食べすぎたかな、と便座に座り、水音を聞きながら、おばさんは自分のお腹をなでたみたい。


 それから、調理実習があるたび、おばさんは彼女に包丁を貸してくれるように、お願いしたそうよ。彼女も心得ているのか、穴あき包丁を持ってこない日はなかった。

 家庭科の先生は「ちゃんと学校にある包丁を使いなさい」と注意したけれど、切れ味に魅せられた生徒たちにとって、その声は右から左へ流れていく、雑音のようなものだったみたい。みんなはそれからも、こっそり彼女から包丁を借り受けたそうよ。


 何度も使われるうちに、彼女の包丁の評判は知れ渡っていった。

 そして、10月頃。学校のものを使えと、先生に咎められずに、活躍できる舞台。炊事遠足の時がやってきたのよ。

 おばさんたちも、建前上、包丁を持参してきたけど、やはり目当ては彼女の穴あき包丁。

 そして、彼女は持って来たのよ。その数、およそ数十本。クラスどころか、学年全体に行き渡るほどだったとか。


「健康な体になるって、いいことじゃん! みんな、じゃんじゃん切って、じゃんじゃん食べよっ!」


 彼女は格別、上機嫌だった。

 炊事の時間、受け渡しされた彼女の包丁はいつもと違わぬ切れ味で、材料たちを刻みまくり、みんなの舌と腹を満たしたとか。


 けれど、翌日。

 学年のおよそ3分の1の生徒が遅刻・早退・欠席した。そのほとんどが、おばさんのクラス以外の生徒だったの。

 さすがにおかしい、とおばさんが探りを入れたところ、彼らの原因は、お腹の調子が悪いということ。

 もしや、と思い、クラスのみんなにも尋ねてみた。あの穴開け包丁を使った日、異状が起きなかったかどうか。

 結果。みんながその日のいずれかの食事のあと、おばさんと同じように、トイレに籠ったらしい。その前に、猛烈な空腹感を覚えたことも、共通していた。

 何が健康な体だ、って何人かは彼女に詰め寄ったけど、「大丈夫。しっかり変わっているからさ」とニコニコしっぱなしで、表情を崩さない。

 彼女についての陰口が、ぶちぶち囁かれ続けたけれど、彼女の言は、ある意味正しかったと思われる時があったの。


 その年、インフルエンザが猛威を振るった。

 生徒の家族、学校の先生方も含めて、地域一帯に蔓延。インフルエンザに倒れた人を、看病した人が、今度はインフルエンザにかかる、という負の連鎖も起こっている。

 おばさんの学校でも多くの生徒が休んだの。総授業数の確保だとかで、学級閉鎖にはならなかったけれど、クラスには空きが目立ったそうね。

 ただ、おばさんの学年をのぞいて。不自然なくらい、おばさんの学年はインフルエンザにかかる人は出てこなかった。

 偶然かも知れない。けれども、それからおばさんの学年で、病気による欠席をする人は、すっかりいなくなってしまったんですって。

 クラスでそのことが話題に上ると、例の彼女は静かに微笑んだそうよ。

「言ったじゃない。みんな、変わったんだって」と。


 学校を卒業して、数十年。

 おばさんはもう還暦が見えてくる年齢だけど、あの包丁を使った時から、一度も風邪を引いたことがないの。

 私はうらやましいって思ったけど、おばさんは首を横に振った。むしろ、こうなりたくなかったって、話してた。

 なぜかって? おばさんは結婚して長いけど、いないんだ。子供。

 みんなもそう。おばさんのクラス、学年。あの日、「変わった」みんなはほとんどが結婚しているけど、子供を持った家庭はないの。

 誰一人として、ね。



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