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魔女が来る

 こーちゃんはさ、伝説の存在ってどれほど信じている?

 伝説そのままの姿で実在する、なんてめったにないだろう。当時の人々にとって不可解な現象を生き物の姿にたとえたり、実際に起きたレアケースに尾ひれがつきまくったり……本当の姿をしるのは難しいこともあるだろう。

「伝説」とはある場所で言い伝えられ、本当にある、あるいはあったとみなされる話のことらしい。すべてゼロからでっちあげるのは難しいし、仮に起こっていなかったとしても、およその話とごっちゃになったケースもあるのかもしれないね。

 僕の地元にも、ちょっと不思議な伝説が残っている。少なくとも父や母の代では、実際に体験したという話をちらほら聞いたし、父も体験したことがあるらしかった。

 そのときのこと、耳に入れてみないかい?


 耳鳴りの経験は、多くの人がしていると思う。

 原因としては騒音、ストレス、加齢に睡眠不足といろいろ考えられるが、父母たちの世代だと「幽霊が近くにいる」とうわさされていたそうだ。

 幽霊の気配がそばにあるとき、耳がその変調を敏感に察知して耳鳴りを発するのだと。

 しかし、それだけじゃない。

 ときに、耳をふさぎたくなるほどの高音が響き渡り、ほかの音をかき消すほどの強いものである場合、幽霊を越えた魔女が近くに現れたのだと、うわさがされるそうだ。


 魔女といっても、黒い衣装にほうきをまたいで、黒猫連れて……みたいなテンプレートとは別だ。

 読めない、とでもいおうか。潰される耳以外の残りの五感を動員したとて、魔女の存在の判断がつかないのだ。ただ耳鳴りによってのみ、それは確実な存在と認知される。

 そして、なぜ幽霊ではなく魔女とされるかというと、そいつは「採取」を行っていくのだという。

 物をとっていく。それが目に見える石、草、そのほかだったらいいが、もっとやばいのは体のどこかを奪われてしまうことだ。

 先まで使えていた五感、四肢の機能、いずれかが急激な不全を起こす。直後に病院へ運ばれたとしても、その部分の筋肉や神経などがたちまち衰えてしまったようにしか思えない、奇妙な症状。

 これを「魔女に採取された」とたとえられ、昔から語り継がれていたことなのだそうだ。


 父自身、まゆつばものの話に、さして重きはおいていなかったらしい。

 耳鳴りの経験こそあれ、それは電車の線路が近いという立地そのものに原因があると思っていたのもあったとか。

 遮断機を下ろす踏切の音。だし抜けに響くあの機械音は注意をうながすに十分すぎて、心臓に悪いほどだ。聴覚過敏のケがあるのか、いざ音がやんだあとでも耳の奥でキンキンとした音がしばらく残ることもある。

 ゆえに時刻表はいつも持ち歩き、自分がよく利用する踏切近辺で電車が通過する時間は見当をつけていたそうだ。

 その時間を避けることで、自分の寿命が縮むのを防ぐ……という思惑があったらしく。そのときの帰り道も、このままでは閉じる踏切にかち合う時間。それはごめんだと、通りがかりがかったコンビニで時間を潰すことにした。

 ほんの2、3分ほどの時間つぶし。立ち読みなどをせずとも、適当に店の中をぶらついていれば、過ぎる時間だ。父は適当に軽食コーナーを見て回っていたのだけど。


 かすかに。ほんのかすかにだったけれども、踏切の音が鼓膜を揺らしたと思った。

 これまで、この店にいて聞こえるはずのない音だったのは分かっていたから、最初は音量を増す調整でもされたのかと、思ったそうだ。

 けれども、当初の踏切の音は一打ちごとに、音をどんどんと高めていく。甲高さをなお高め、より耳の奥の奥まで響かせるように。

 つい、顔をしかめながら父は店の中を見渡してしまう。

 レジ越しに立つ店員。自分以外にいる数人のお客。そのいずれもが、耳まわりを触ったりほじったり、明らかに聴覚に変調をきたしているような仕草を見せている。

 自分だけがとらえているわけじゃない。

 いよいよ「打ち」は間隔せばまり、途切れなき一音と化した。


 ガラスが爪をひっかく音? いや、それよりもさらに厳しい。

 許すのならば、耳奥が裂けて血のしぶきをあげそうなほどに熱くなっている。それは血をもってしても防がんとする、無行の気配?


 ――まさか……魔女。


 信じがたかったが、すでに父を含めた皆も耳を塞ぐばかりか、店員はバックに。皆は店の隅へと退避していく。

 魔女の通りしそのときは、わずかなりとも遠ざかり、身を隠して、息殺す。

 逃げ、叫ぶ、走る、つまりは生きんとするすべてを捨てて、ひたすらその身を死に沈め、かのもの通るを待つだけよ。

 さもなくば「生」の証をとっていく。


 そう教えられた注意のまま、父もまた外から見えない棚の影に、頭を抱えてうずくまった。できる限り呼吸もおさえる。

 必ずしも選ばれないとは限らない。最終的には魔女のきまぐれなのだから。ただ、その可能性を低めるのみ。

 自分の耳さえちぎりたくなるほどの不快音は、やがて波がひくように静まり、聞こえなくなっていく。皆はそれぞれ様子を見ながら、先ほどのように動きを取り戻していくものの、父はそこで確かに魔女が通ったという証を見たのだとか。

 店の商品の大半。特に道路に面する側に置かれていたものは、きれいにそのバーコードを消されていたらしいのさ。

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