はさみの雇い
おう、つぶらや、そちらも終わりか? 今日もお互い、よくやったよな。
この後、時間あったりしねえか? 明日休みだし、一杯やらないか?
――おお、珍しい。お前から了承をもらえるとは。最近は遠慮することが多いからちょいと心配だったが、うまいことすき間を縫えたとみえる。
じゃあ、いつものところでいいか? お前の場合、ふとした拍子に慣れたところへ行きたがるし、ちょうどいいだろ?
ふう、席に座れたはいいが、思ったよりも混んでいたなあ。おまけにこの時間、シフトを入れている人があんまいないと見える。注文したものが届くに、どれくらいの時間がかかるか。
雇用上の契約は人それぞれだろうし、働き方も大きく左右されるもの。主従関係というのははた目によく分からず、実は知らないところであちらこちら交わされているかもしれない。
料理を待つ間に、俺のちょいと昔の話を聞いてみないか?
自分の知っているものが、なかなか見つからない。
部屋に置いてあるはずのものが、いつもの場所になくて探し回った経験、お前を含めた大勢にあることじゃないだろうか?
家族と一緒に暮らしているのだったら、自分が居ない間に親などが掃除したのかも……と考えが至るかもしれない。
しかし、親に部屋の出入りを禁じてもらった身としては、それはあり得ないとなると疑惑の念が湧いてくるわけだ。
きっかけは、久方ぶりに封がしてある届け物があり、部屋へ持っていってはさみを探したときだったな。
いつもはさみは、勉強机の上のペン立ての中へ差し込んでいる。学校の課題などで使う機会もあったから、他の文房具たちと一緒の場所へ入れているんだ。
けれど、今日はそれがすぐに見つからない。
真っ青な持ち手は、他のペンたちの中でもすこぶる目立つ色合いだったから、ひと目でそれがないことに気付いたさ。
最後に使ったのは、いつだったか。すぐには思い出せない。ということはつまり、使わないときが長く続いたわけで、動かす要素は考え難いのさ。
犯人捜しは後。俺は部屋中を探し回ったよ。
安物のはさみではあるけれど、前々から使い続けていると多かれ少なかれ愛着もあるものだ。別のを使わずに済むならそれでいい。
そうして探し回った末、よもやこのようなところにはあるまいと、後回しにしていたポイントがずばり残ってしまう。
押入れの中だ。そこには今すぐ必要ではなく、かといってこれから使うかどうかが分からないために、外へ出しておくのがはばかられるものたちの山。
いくら自分でも、このような中にはさみを置くとは思えない。しかし、もしもあったのならば……。
そっと指を、押し入れの戸の取っ手に触れる。
間一髪だった。
戸をあけるや、前髪をかする形で刃を開いたはさみが落ちてきたんだ。もし、中をよく見てみようと顔をもう少し近づけていたら、危ないところだったろう。
そのまま落ち、戸のレール部分に開いた刃の片割れを突き刺しながら、不動を貫かんとするはさみに、最初こそ腰を抜かしかけた。が、すぐに憎悪がたぎってくるのを覚えたよ。
十中八九、トラップを仕掛けられたようなものだから。部屋のカギだって内側から掛けてはあるものの、外から開ける手段はなきにしもあらず。
どのような理由があったにせよ、卑劣な意思が働いていると悟った俺は、はさみをいつもとは違う場所へ隠した。たとえ掃除をしたとしても、俺以外にはまず場所が分からないところにだ。
犯人捜しはしない。証拠は何もないし、下手に疑えば余計なトラブルの種になるだけ。ひたすら予防に徹するのみだ。
それから数日間は、はさみになんとも別条はなかったのだが。
消えた。
一週間ほどして、しまったところからはさみを出そうとしたとき、その姿がなくなっていたんだ。
この一週間、無断侵入者がいても分かるように家具の配置や、ドアなどには気を配って、細工なども施してある。それらに少しでも異常があれば気づくことができるように、我ながら綿密に練ったものさ。
それを潜り抜け、はさみを持ち出したヤツがいる。となれば、部屋の中でしかありえない。
いや、怖いね。
外からの犯人を完全にシャットアウトしたつもりでいたのに、それがなんにも役に立たなかったのだから。
部屋に転がしていたバット片手に、そのようなことをやらかすヤツの正体を見極めようとしたが、うすうす予想していたように、そいつが現れることはなかった。
そうして、一番後にまわしていた箇所。例の押し入れの戸を残すのみとなったんだ。
以前のときははさみに気を取られて、中をろくに確かめはしなかった。けれども、もしはさみをかどわかす輩が、実は前回からここに潜んでいるのだとしたら……。
同じ轍は踏まない。
今度は正面に立たず、押し入れの脇から、ぎりぎり取っ手にかかる位置から、そっと手だけ添えて開けてみる。
案の定、戸を開けるやはさみは落ちてきた。今度はレールに刺さらず、床へ転がったんだが。それを見てもすぐには動かず、俺は護身用のバットを握りながら様子をうかがっていたよ。
数十秒ほど、そうしていただろうか。俺が触ってもいないのに、はさみはひとりでに浮き上がり、押し入れの中へ戻っていく……いや。
はさみの真っ青な持ち手部分に、ごくごく細い糸が一本巻き付いていた。それが巻き取られるとともに、中空へはさみが浮いていったというわけだ。
――先手必勝!
これだけあやしいことをやるやつ、と分かったとたんに、俺の中の怖さがあふれてな。ほぼ反射的に押し入れの中へバットを振り下ろしていたんだ。
が、バットは何を打つこともない。
かわりに天井へ向けて強く引っ張られてしまい、俺はつい手放してしまったよ。
押入れの天井。その一部の木材に握りこぶしほどの穴が開いていたんだ。ふちはあまりに不定形で、無理やり開けた様子がありありと見て取れた。
そこへはさみも、バッドも吸い込まれてしまったんだが、それにとどまらず。押し入れのしまっていたものまでが、どんどんあの糸で引っ張られて、穴の中へなだれ込んでいってしまうんだ。
それを認知できたときにはもう、押し入れの中身は布団たちを残して、すっかりなくなっていてさ。穴も塞がってしまって、証拠隠滅と相成ってしまった。
どんな理由があるかはわかんねえ。
でも、あの巻かれた糸をみるに、はさみはいつの間にか糸の主の働き手として、あの押し入れのものたちを持ち去る計画に、一役買っていたんじゃないかと思うんだ。




