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ここまで飛べたら

 だっはっは! つぶらや、何度も言っただろ。お前、踏み切りの時の足が逆なんだって。

 おめー、致命的に走り高跳びに向いてないんじゃね?

 棒に近い足で踏み切るみたいだから、ベリーロールを提案したら、逆の足で踏み切るし、かといって遠くの足で踏み切る、ハサミ跳びにしたら、今度は近い足で踏み切るし……。

 さっきから何なんだよ、その「はさみロール」ともいうべき、合いの子な飛び方は。どうりで1メートル程度で、モタモタしていると思ったぜ。第一、このくらいの高さ、小細工なしで正面から飛べば、行けるだろ。


 ――だったら、お前がやってみろ?

 はい、出ました。「ほならね理論」って奴?

 ぷぷっ、実績出してる奴ならともかく、できない奴が吠えていると、みっともないですねえ。ま、前者だとしても、俺はあまりいい気持ちはしないがね。

 下手くそに下手と言って、何が悪い? そんで、やってみろと言った手前、もし、できたらお前は何してくれんの? 

 手をついて詫びる? 一生、養う? それとも、首でもくくってくれるのか? 

 感情任せの、売り言葉に買い言葉。ガキはもう卒業しようぜ。何年生きてるの。

 で、お前の出す条件は何よ? 出さない限り、俺は絶対にやらないぜ。

 ――チョコレートパフェのおごり、か。

 学生としては妥当ってとこかね。そんじゃ、いってきまーす!

 

 イヤッホウゥゥ! チョコパフェ、サイコーッ!

 ははは、悪いなつぶらや。これからは情に流されず、相手を選んでケンカを売ることだ。

 ん〜? どうした? 意外そうな顔して? 俺があんなに跳べるのがショックだったか?

 これでも昔は色々と鍛えたんだ。ジャンプ力も。その名残かもな。

 実は、ジャンプをめぐって、俺はちょっと不思議な体験をしたことがある。

 お前も、コーヒーだけでしのぐのに飽きてきただろ? メモの準備はオーケーか?


 俺が小学校低学年の時。

 家族で、年季の入ったアパートに何年か住んでいたことがある。母方のじいちゃんの家から数キロ離れているかどうかって立地だ。

 築ウン十年というそのアパート暮らしでの悩みは、音漏れだった。

 よく天井から「ズドン! ドシン!」と子供の足音らしきものが、よく響いてくるんだ。あの手の音って、本当に気になるよなあ。

 まだまだちっこかった俺は、正体など知るすべもない。一人で留守番させられている時なんか、音がするたび「幽霊だ、幽霊だ!」ってがたがた震えながら、ふとんをかぶっていたっけね。

 俺は何度も、帰ってきた親に、泣きついた。息子の頼みとはいえ、共稼ぎの両親は、ちょうど繁忙期。色々なものを抱えていて、イライラしていたんだろう。

 留守番の代わりに、じいちゃんの家へ預けられることが増えたんだ。


 じいちゃんの一軒家は、昔ながらのしっくいの壁と瓦の屋根でできていて、ちょっとした武家屋敷みたいだった。なんでも、昔は大金持ちだったらしいけど、農地改革で土地を失ってからは、中流程度に落ち着いたんだとか。

 アパートとは違って、一切の音漏れがないじいちゃんの家を、俺はだいぶ気に入っていた。八畳間のど真ん中で寝転がって、いぐさの臭いを嗅いでいると、話に聞いた、昔の時代に迷い込んだような気がした。

 

 そこで俺はピンと来た。

 脳裏には、草むらをすばやく駆け抜け、家の屋根から屋根を飛び移る、黒装束の影。

 忍者の姿が思い浮かんだんだ。

 アパートの音漏れの正体。もしも忍者みたいに、身軽に屋根へ上れたら、音を止められるんじゃないかって、俺は子供心に思ったんだ。

 忍者と言ったら、ジャンプ力。そう考えた俺は、じいちゃんに相談したんだ。

 最初、じいちゃんは重りを使った訓練を提案してくれた。それだけでも、本当は、俺みたいなちっこい子供には、負担が大きくて、控えるように言われる、トレーニングのようなんだけどさ。

 

 けれど、俺は断った。

 成果が目に見えなくちゃ、信用できない。それも、ちんたらとじゃない。ぱっぱとだ。

 しつこく迫る俺に、じいちゃんはだいぶ悩んだあげく、俺を家の裏庭に連れ出すと、その隅に植わっている苗たちの中から、一つを選んで引っこ抜き、俺に手渡してくれた。


「この苗は、とてつもなく成長が早い。地面に植えれば、お前の身長の伸びを、はるかに超えるスピードで、茎を伸ばしていくだろう。毎日、伸びていくこの茎を飛び越えていけ。そうすれば忍者に近づけるだろう」


 俺は受け取った苗を、じろじろと見る。

 あちらこちらに葉っぱが広がっている様は、観葉植物のできそこないのようにしか見えない。


「だが、注意ごとだ。そいつは自分の背たけと同じになるまでしか、育てちゃいかん。もしも、自分より高くなったら、処分しろ。それだけは守れよ」


 俺は、うん、と迷わずにうなずいた。意味もよくわからないまま。

 アパートの敷地内に植えたら、バレた時に何を言われるか分からない。

 俺は近所の公園。今はあまり人が集まらない、公園の完成記念のモニュメントの影に、じいちゃんからもらった苗を植えたんだ。


 それから毎日、俺は学校からの帰り際に、例の苗のもとに向かったさ。

 じいちゃんの言葉に、偽りなし。そいつは日に日に、背を伸ばしていた。

 植えたばかりの時は、俺のすねくらいの高さしかなかったのに、三、四日で、もう太ももの辺りまで伸びてきた。

 俺も一回とはいわず、二回、三回と飛び越したよ。回数を重ねるほど、自分が強くなれそうな気がして、夢中でね。

 育っていくうち、ついに何回かひっかかることがあって、苗を踏んづけちまうこともあったが、俺が足をどけると、「その程度じゃ物足りねえよ」とばかりに、立ち上がってくる。

 そうなると、俺も飛び越せるまで何度も挑んで、完全にライバル関係だったなあ。


 そして、時がきた。

 体重が軽かったこともあるのかもしれないが、あの時の俺は、自分の背丈ほどを跳べるジャンプ力を手に入れていたよ。およそ1メートル30センチくらいか?

 苗も俺と同じか、それよりもちょい高くまで育っていた。これほどになると、誰にも目をつけられず、とはいかない。友達の中には、俺のジャンプ訓練に付き合う奴もいたが、俺ほどに飛べる奴は、皆無だった。

 その日はたまたま俺一人だけ。今までやってきたように、やや距離を取ると、一直線に苗へと向かう。

 ダッシュ。テイクオフ。ジャンピング。

 俺は今まで何度も味わってきた、つかの間の無重力時間を楽しんでいた。

 跳んでいる瞬間だけは、この地球に存在しないような、そんな浮遊感がある。

 そして眼下に、例の苗をまたいだことを確認。あとは着地するだけ。のはずだった。


 着地する予定の場所に穴が開いていた。いや、厳密には、先ほどまであった地面がすっかり消え失せて、一面のがけになっていたんだ。

 ジャンプしている俺は、ろくすっぽ動けずに、真っ逆さまに落ちていった。反射的に悲鳴もあげちまったけど、声も一緒に下へ落ち込んでいるかのような錯覚を覚える。

 足を踏み外した夢のようだったが、一向に覚めない。重力に引かれるまま、落ちて落ちて……。


 俺は叩きつけられた。地面ではなく床。それも、よく見知った場所。

 親と一緒に暮らしているアパート。いつも俺が布団をかぶって震えていた、寝室だったんだ。

 家にあがった覚えはない。証拠に靴を履いている。わけがわからなくなって、俺はもう一度公園に駆けつけたけど、あの育った苗は影も形もなかった。

 誰かが掘り起こした形跡もない。文字通り、消えてしまったんだよ。

 後日、じいちゃんにも話したけれど、「お前、約束を破ったな」と言ったきり、苗について、何もしゃべってくれなくなったよ。


 けれど、俺は思う。

 あの「ズドン! ドシン!」という、誰かの足音のような音漏れ。

 あれは、俺が苗を飛び越えようとして、何度も何度も公園の土を踏みつけた、あの足音なんじゃないか。

 今がやがて未来に追いつくように、未来がようやく、今に追いついたんじゃないか、とね。



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