求むる物は口の中
なんだ、つぶらや。やけに険しい顔しちゃって。腹でも痛いのか?
――もう一度、例の手品を見せてほしい?
は〜ん、トリックを見破りたいってか? いいだろう。俺の十八番だからな。このタネを暴けるものなら、暴いてみな。
ぐはは、どうよ。俺の瞬間移動マジック、見えなかっただろ?
つぶらやは分かりやすくていいねえ。簡単に注目してくれるものだから、引っかかりまくってくれて。その「ぐぬぬ」な顔も、お前には不愉快かも知れないが、俺は結構、気に入っているんだぜ。
マジックって言うのは、ほとんどが、相手にとっての盲点をつくことで成り立っている。誘導の仕方に工夫を凝らして、タネという真実から遠ざけるんだ。
お前のような物書きには「くんせいニシン」とか「レッド・へリング」と言えばいいか?
不自然な強調。それっぽい手がかり。意味深長なセリフ。はたまた最初に語っていた奴は、主人公に見せかけて、主人公じゃありませんでした、とかな。あんまり複雑怪奇で、読者が分からないと、自己満足で終わるがね。
そして、引っかけに慣れた頃に、今度は素直にストレートを投げると、みんなあっさり見逃してくれる。仕掛ける側として、この手玉に取る感覚、病みつきになるねえ。
だが、見世物には注意ごとがある。
手品師相手に限らないことだが、むやみに、観客の分を越えて、演者を試そうとすることは慎むべし。ただ与えられるものを、舌の上で転がし、各々、心行くまで味わうことに留めるべし、とな。
その訓戒を知らしめた、一つの事例を取り上げてみようか。
大道芸そのものは、日本にずっと昔から存在していた。
興りとしては、布教活動の一種だったと言われている。古代の宗教表現に、中国などから伝わった芸能技術が組み合わされて、特殊なジャンルとして認識されるようになった。
とはいえ、定職についている立場から見たら、今日は浮いても、明日には沈むやも知れない、不安定な水商売の一種。乞食の類に見られて、身分秩序にうるさい江戸時代になると、大道芸人の組織があったとはいえ、「ひにん」のごとき扱いを受けたのだとか。
だからこそ、頼れるのは自分の腕と独自性。それに金をホイホイ落としてもらえるような、愛嬌が加われば、なおよし。
誰にも真似できない境地、というのも、よく目の当たりにできたみたいだな。
江戸時代の頃。
とある峠の茶店で、盛んに呼び込みが行われていました。
ほどなく、この茶店の脇で、手品が行われるというんだ。茶店のおばあさんの呼びかけに加えて、店の脇には、肩にウグイスらしき鳥をとまらせた、大男の姿がある。
首からはおばあさんの話している文言を書いた札を提げている。耳が聞こえづらい人のためと思われた。その顔は歌舞伎役者のように隈取を施されており、それは肩のウグイスも同様だった。
元より、太平が続いて、刺激を欲しがっていた人々。客寄せをして半刻が経つ時には、それなりの人だかりができていた。
いよいよ開演という時になり、隈取の演者は口を開く。
「さあさ、皆さま、お立合い。これよりお見せするは、刹那の移動。それがしの鳥が、様々なものを取り出し申す。存在し、布や壁に囲まれておらず、この鳥が取り出せる大きさのものなら、いかようにでも。さあさ、どんと来なされ」
集まった人々はざわめく。
演者が話したものを、鳥が取り出すというのなら、それはそれで芸として成り立つ。だが、集まった人から意見を募るとは……。
大人たちが戸惑っている間に、集まっている子供たちが騒ぐ。
「だんご、だんご。ここのだんごで!」
「おお、承りましたぞ」
大仰に答えた演者が、肩に留まったウグイスにごにょごにょと耳打ちする。
そして、店のおばあさんにも目配せをすると、ウグイスは肩にくっついたまま、バサバサと羽ばたいたが、すぐに動きを止めてしまう。
人々が不審がっていると、演者はおばあさんから皿を受け取り、ウグイスの口元に寄せていく。
すると、ウグイスが大きく口を開き、ポトリと皿の中へと落ち込む、丸いものがあった。
やや唾液に濡れているものの、軽く海苔を巻いたその団子は、確かに近辺では、この茶店特有のもの。人々は「おお」と声をあげたそうな。
「ただ、これは何度もできるものではございませぬ。もう2つばかし取り出したら、申し訳ありませんが、本日はお開きとさせていただきます」
その宣言により、2つ目の指名は店の近くに生えていた、南天の実。3つ目は一人が財布から出した、一文銭。
「手の上に乗せたままでは、さすがに難しゅうございます。空に弾いてくださいますか」という演者の頼みを聞いて、人々もそれもそうか、と安心したらしい。
実際に指で中空高くに放った。そして一文銭は、落ちてくることなく、ウグイスの口の中から出てきたんだ。
ここまで来ると、感心してお金を落とす反面、サクラを仕込んでいるのでは、と疑う者もいたらしい。
それでも彼は動じることなく、「本日はここまで。またどこかでお会いしましょう」と声をかけ、人々を散らしていく。
そのまま茶屋に留まった者もいたが、彼は場所代としてか、おばあさんに稼ぎのいくぶんかを渡し、街道を去って行ってしまったらしい。
それからも、何度か彼はもろもろの茶店を訪れて、芸を披露したらしい。
サクラを疑う人々も相変わらずいたから、たまたま茶屋の近くを通る人などから、注文を聞き出すこともあったが、条件に合致するものなら、なんでも出てくる。
そうすると、面白く思わないものが出てくるのも、また道理。
ある見世物の時。注文を聞く段になって、一人の武家が進み出て、依頼した。
「なれば、我が家の池にいる、コイの目ん玉を所望する」
ウソだ。その武家の家に池はあっても、コイは存在しない。
集まった人はがやがやし始めたが、演者はウグイスに耳打ちをしたあと、顔色一つ変えずに答えた。
「申し訳ございませんが、致しかねます。池にコイがおりませんので」
武家相手におそれおおい、と周囲はざわめくが、事情を知る武家は、「そこまで知ることができるか」と、内心で舌を巻いた。だが、それをおくびにも出さず。
「これはこれは、民の言うことは聞けて、我の言うことを聞けぬとは、いささか図に乗り過ぎではないか。貴様、ここで切り捨てても良いのだぞ」
「でしたら、確かにあるものをお伝えくだされ。この鳥がもたらすことのできるものなら、いくらでもお持ちいたしましょう」
2人のやり取りを、周囲はかたずを飲んで見守っていたが、やがて武家が口の端を持ち上げながら、静かに言った。
「この時間、市中引き回しの刑にあっている罪人がいる。そやつは間もなく打ち首、獄門の刑に処されるのだ。その目玉を所望する」
できるわけない、と皆は思った。
確かに四方を囲まれているわけではない。だが、ここからはうっそうと生い茂る森を越えて、市中のどこを回っているかも分からない、標的をとらえなくてはならない。
だが、彼は「承知いたしました」と間髪入れずに答えた。ウグイスの耳元で「やれるな」と声を掛けたのち、
「これを成したなら、私はここにおられますまい。皆さま、長くお別れにございます。もしも、どこかの空の下で見かけたならば、再び、よしなにお願いします」
演者がそう声を掛けると、やがてウグイスは羽ばたき始めた。
次の瞬間、ウグイスの身体は血まみれになり、人々は思わず一歩を引いた。
そして、口を開くと、とろりとした粘液にまみれた、一対の球体を順番に吐き出す。そして、人々が気を取られている間に、二度と振り返らずに、去って行ってしまったんだ。
地面に転がった一対の球は、確かに武家が所望したもの。
後で聞いたところによると、引き回しの罪人は、打ち首に処される時、両目をつぶって血を流していたようなんだ。その時は、引き回しの際に、小石が跳ねるなどして、目を潰したのだと思われていた。
獄門に架けられた首は、両方の目玉がなかったという。
そして、その日。町の外れから、引き回しの行われた大路まで、家もしっくいの壁も一直線にぶち抜いたような穴が開いていたらしい。
その大きさは、ちょうどウグイスが一羽だけ、辛うじて通り抜けることができるくらいのものだったとか。




