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陸でおぼれる

 この辺りも、すっかりにぎやかになっちゃったな、こーちゃん。

 おじさんが小さい頃なんて、田園広がるのどかな地域だったのに、今となっては見渡す限り、道路に駐車場、ところ狭しと建つ、家や店なんかで窮屈な感じがしてくる。

 でも、ごみごみした都会に比べたら、ここなんてまだまだ田舎だ。一度、仕事を辞めてこちらに引っ込んできた時なんか、久しぶりのいい空気を、胸いっぱいに吸い込めたことに、満足していたものだ。

 おじさんは今でも、都会が苦手だ。せかせか、みちみち、それなりの速さで走っているのに、車のすぐ後ろにつかれて、盛んにあおられるような、プレッシャーばかりじゃない。

 真に迫る、息苦しさが都会には存在している。おじさんはそれを、肌で体感したんだ。

 こーちゃんの創作のネタになるだろうかね?


 おじさんが上京したのは、大学生になってからのことだった。

 田舎の生活にそこまで不満があったわけじゃないが、地元では就きたい仕事がなく、賃金も少ない。高校時代にバイトしながら、そのことを痛感したおじさんは、都会に出て行った方が、選べる幅が広がるはずと踏んだんだ。

 実際に大学に合格し、家を決めて、引っ越し準備をし始めた時には、気持ちがうきうきしていた。明らかなお上りさんオーラを振りまいていたと思うけど、新生活に対する期待の膨らみは大きかった。


 そのうえ、ドミナント戦略、だっけか? 一つの地域に、いくつもチェーンストアがオープンしていくの。この動きが活発になり始めた時期と、入学が重なったおかげで、あちらこちらで建物の工事が相次いだ。それに伴って、近辺の道路も舗装工事が進んで、セメントの臭いが、鼻にこびりつく。

「お、こんな近くにも、あの店ができるのか。ラッキー」なんて、工事現場の看板見ながら、心の中でほくそ笑んだこともあったよ。地元じゃデパートなんて存在しなかったから、初めて見かけた時には大興奮だった。

 将来的に、それがいくつも建つ景色を思い浮かべて、頭がぐるぐるしそうだったよ。

 だが、都会に出てきて受けることができるのは、恩恵ばかりでなく、不利益もあるのだと、おじさんは実感することになる。


 異変が起こったのは、3月の末。

 おじさんの高校は月初めに卒業式を行っていて、大学の入学式まで時間があった。引っ越しを完了して、そこで、入学手続き時に出された課題を、片付けようと思ったんだ。

 その日は起きた時から、妙に息苦しかった。

 引っ越してから、まだ一回も掃除をしていない。ほこりが家の中を舞っているのかと思って、空気を入れ替えるため、ベランダに近寄っていったんだ。

 

 そこに、ツバメが一羽転がっていた。

 おじさんの地元では、元気に飛び回っているか、家の軒先とかに作られた巣の中で、ピーチクうるさい雛たちに、エサを与えている姿くらいしかみたことがない。

 こんな人様の家のベランダで、力なく横たわっているなど、珍しい光景だった。

 生きているのか、死んでいるのか。

 もし生きていて、窓を開けた時に、家の中に入り込まれたりしたら、汚い。

 全開予定だった窓を、網戸だけの状態にして、じっとツバメを観察する。

 

 確かにぐったりしているが、その口元からは、すぐそばとはいえ、室内にいるおじさんの耳にも届くくらいの、呼吸音が漏れている。

 図体の割に、音が大きすぎるな、とおじさんは感じた。これまでツバメの呼吸音を聞いたことがなかったから、今の状態が、どれほど異常なのかは判断できない。

 何分か経つと、その呼吸音も聞こえなくなり、ツバメはすっかり動かなくなる。

 できれば意識を取り戻して、ベランダから出て行ってほしかったが、仕方がない。

 ここはアパートの2階。1階との間に屋根はなく、放り捨てたりすると、無防備で地面に激突することになる。下に住んでいる人も、びっくりするかもしれない。

 小さい時は野山を駆け回り、泥んこになる経験があったものの、この頃のおじさんは、汚いものへ近づくことに、抵抗が大きかった。ツバメがいる間は、外の物干し竿を使うのをあきらめ、部屋干しにシフトしたよ。

 結局、次の日も、その次の日も、ツバメは微動だにせず、ベランダに居座ることになるんだけどね。


 課題を消化しつつも、時々、おじさんは外に出かけた。

 そろそろ見慣れてきた近所だったけれど、あちらこちらで、ベランダのツバメのように、息を漏らしながら倒れている小鳥を見かけたんだ。

 助ける義理もないから、そのまま用事を片付けようと歩を進めるんだが、やはり変なんだ。

 例えば、犬の散歩をしている人。電信柱の角でしゃがみ込んでいる。

 後片付けでもしているのかな、と思いながらそばを通り過ぎようとすると、犬に向かって「大丈夫? 苦しいの?」と声をかけている。

 犬は舌を出しながら、ハッ、ハッと息を漏らしていた。それだけならよく見られる光景なのだが、地面に這いつくばって、もう動けませんとアピールしながらなのだ。飼い主の呼びかけも無理ないことだろう。


 最終的に、このような苦しい呼吸をする犬猫を、行きがけ、帰りがけに、何匹も見かけた。

 何か、身体に悪いガスでも吸っているのだろうか、とおじさんは不安になる。

 窓の外には、相変わらずのツバメの身体。そろそろ処理を考えなくてはいけない。

 ずっと向こうの舗装された道路では、車の赤いテールランプが、列を成していた。渋滞しているらしく、なかなか動かない。

 砂利道だらけの田舎では、見たことがない景色の一つで、当初は少し珍しかったが、今はもう慣れてきた。

 なんとなく排気ガスの臭いがして、おじさんは窓とカーテンを閉め、寝るまで課題に取り組んだんだ。

 

 翌早朝。おじさんはパッと目が覚めた。

 息ができないんだ。吸おうとしても、吐こうとしても、どちらものどでつかえてしまって、どうしようもない。

 だが、口と鼻だけは、おじさんの意思に反して、「ヒャッ、ヒャッ」と、しゃっくりのように、驚くほど高い音を出しながら、息を吸いまくっている。

 けれど、足らない。苦しさは増す一方で、暴れたい衝動に駆られたが、手足が動かない。

 身体に酸素が足らないからだと、とっさに思ってしまうくらいだったよ。

 

 何とか顔だけでも、と力を込めるおじさん。ロボットの首をねじろうとするように、緩慢だったけど、どうにか動かせる。

「ゼ、ゼ」と音が変わった呼吸と共に、くしゃみを極限まで我慢した時のような、筋肉の張りが、おじさんの神経をさいなめる。

 爆発する一歩手前。溺れてしまう直前で、ようやくおじさんは真横を向くことができた。

 今までの息苦しさがウソのようだった。開通したのどに向かって、大量の空気が、水のごとく注がれる。その勢いは、吸い込んだ両肺が、痛みを覚えるほどだった。

 助かった。そのことを実感するように、おじさんは何度も何度も深呼吸しながら、布団の中で悶えていたよ。


 その日は何度か、救急車の音を聞く羽目になった。

 近所の人の話では、路上と室内を問わず、倒れる人が続出したらしい。

 不自然なくらい、呼吸を盛んにするのだけど、まるで空気を取り入れられていないかのように、顔色が悪くなっていく。救急車がたどり着くまでに、呼吸が止まってしまう人もいたらしい。

 寝ているおじさんも、ひとたまりがなかったんだ。あの呼吸困難が、起きている時に来たら、ひとたまりもないと思ったよ。

 市内の放送で、光化学スモッグとかの恐れとか言っていたけれど、信じられなかった。

 室内で、こんなに重い症状が出ているんだ。外出を避けるだけで、防げるわけないじゃんか。

 おじさんはまた、呼吸の「発作」が来ないかと、びくびくしながら家にこもったよ。

 

 そして、学校が始まる前日。おじさんは事故現場に居合わせることになる。

 足りなくなった日用雑貨を買いに出かけたんだ。売っているお店までは少し遠くて、20分ほどかかる。

 道の途中では、大型デパートの工事が行われていた。同じ雑貨でも、ゆくゆくは、より家に近いこの店で、調達する予定だ。


 だが、家を出ようとした時に、重いものが地面にぶつかった音と振動。何人もの悲鳴が聞こえてきたんだ。方向は、例の工事中のデパートからだ。

 様子を見に行くと、そこには野次馬とヘルメットをかぶった現場の人に囲まれて横たわる、長さ数メートルの赤い鉄骨。そして、直撃したであろう、穴の開いた地面があったんだ。

 覆っていたセメントには大きな裂け目ができ、その下から、元々の土の顔がのぞいている。

 重機のクレーンがそばにあるところを見ると、吊っていたロープが切れたのかも知れない。そう思った時だった。


 むき出しの地面が、ぷくうっと、焼いたおもちのように膨らんだ。特大のエアコンのスイッチをつけた時みたいに、「ゴオー」と音を立てながら。

 そして、元のように裂け目の中に引っ込んでいく。

 その動きが4回。5秒ほどの時間で繰り返されたかと思うと、それきり沈黙が戻ってきた。


 これを目にした人たちは、口々に騒いで、穴に近寄った勇気ある人もいたけれど、地面はもう二度と同じ動きを、見せてくれることはなかったんだ。

 一時期は工事の中止が騒がれたけれど、すでに完成は近い。

 ここでやめては大損と、穴を補修して、最終的にデパートはオープンした。今となってはつぶれてしまって、いくつかの民家と駐車場になっているけどね。

 

 おじさんはあの現象を目にして思った。

 膨らんだのは、大地のお腹ではないかと。

 私たちが腹式呼吸をする時、息を吸い込みながらお腹を膨らませ、吐き出す時に、お腹をへこませる。

 舗装や建物が建てられることで、セメントに覆われ、息苦しくなった地面が、必死に空気を求めていた。

 その叫びと苦しさが、地面を伝い、空気を伝い、私たちをとらえたのかも知れないね。

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