断ち割り桜
冬というのは、どうにも寂しい景色が多いと思わないか。
未だ、咲くには早い、桜並木。男二人で連れ立って、風情も色気もありゃしない。
ここらへん、冬桜はないらしいんだよ……って、どうしたつぶらや? 木の幹なぞをじっと見て。
おかしなひび割れがある? どれどれ……お、珍しいな。多分、これ「断ち割り桜」だぜ。
本当に「断ち割り桜」だったら、このひび割れは自然にできたんじゃない。誰かが意図的に刃物で傷つけたんだ。
『ずいぶんとひどいことをする』? 言わなくても、顔に出ているぜ、つぶらや。
だが、この「断ち割り桜」は、この地域にまつわる伝統に端を発している。それを聞けば、少しは納得が行くかもしれないぜ。
ちょうどベンチもあるし、座って話そうか。
古来より桜は、農業開始のタイミングを図る植物として、高い知名度を持っていたようだ。
短歌にも「花」として詠み込まれたりするが、奈良時代までは「花」といえば梅だった。桜のイメージになったのは、平安時代に国風文化が広がりを見せたことに起因しているのだとか。
その後も、花見、護岸、美観といった多くの役割を果たすことになる桜は、明治時代以降、爆発的に全国で植えられていった。
だが、国でなくても、短期間で急激に版図を広げたものは、内患を抱えてしまう傾向があるらしい。
うちのじいさんが若い時の話になる。
戦後、銃刀法によって、鉄砲や刃物の取り締まりが強化されたが、じいさんの親父にあたるひいじいさんは、取り締まりの様々な基準をクリアして、ポン刀の所持を許可されていたんだ。
じいさんは学校で木刀の訓練をしたことがあったが、真剣は握ったことがない。
ひいじいさんも、触らせてくれなかったそうだ。じいさんの若さ、未熟さを理由にしてな。
じいさんにとって、父親の言いつけは絶対で、逆らうなど言語道断だったらしい。戦時中の学校で、序列の大切さは、痛いほどに叩き込まれていたからだ。
本物の刀を手にできたらな、と良く思っていたらしいけどな。
じいさんの家は川の近くにある。
土手には、たくさんの桜が植わっていて、毎年、春を迎えると、じいさんの家の一帯は、花吹雪に包まれるんだそうだ。
その見事な咲き誇り方は、近所の人がこぞって花見場所に選ぶくらいだったんだと。
だが、花見となるとケンカも付きまとった。
酒が入っての乱暴は、さほど珍しいものではない。けれども、最近は持ってきた酒瓶や付近に転がっている石などを拾って殴り合い、命にかかわるほどの怪我を負ってしまう者もいた。
舞い散る桜の花びらは、飛び散る血しぶきに彩られて、元の色よりなお紅く、土手を染め抜くことすらあったのだとか。
毎年、花見より数カ月前の、ちょうど今頃。
この地域は、1月10日までを松の内にしている。その松の内が明け、ひいじいさんは、仕事から帰っくると、じいさんを連れて、土手を練り歩いたらしい。
ひいじいさんは、ポン刀を提げている。ただの散歩でないことは明白。
月が出ている時などは、その光が鞘にあたって、歩くたびにちかちかと目の端でまたたき、じいさんは気が気でなかったという。
そして、桜並木を歩きながら、ひいじいさんが尋ねてくるんだ。
「桜は今、何色か」とな。
この辺りに、冬桜はない。まだ桜は咲いていない。
幾重にも分かれた、腕のような枝たちが、空に向かって伸びているばかり。
じいさんが素直にわからない、と答えると、ひいじいさんは頭をこつりと、刀を持っていない手でこづくんだ。
「ゆくゆくは、色を見分けねばならん」と付け加えながらな。
この夜回り。ひいじいさんが家にいる晩には、必ず行われた。
ひいじいさんにとっての、とんちんかんな受け答えをすると、すぐに頭をこづかれるものだから、じいさんも必死に目を凝らした。
だが分からない。どの桜の木も色を失った、かかしのようにしか思えなかった。
ひいじいさんも、ため息をつく。
「これはもう、お前には任せられないかも、分からんな」と、漏らす声に、失望の色を隠さなかった。
初めての夜回りからひと月が立った。
その日は雪こそ降らなかったが、土手に霜が降り、手足がかじかむほどの冷気が辺りに漂っていた。
白い息を吐きながら、いつもの桜並木を目指す二人。
だが、そこで待っていたのは、いつもの風景じゃなかった。
枯れ果てた枝のところどころに、団子ほどの大きさの、明かりが灯っていたんだ。じいさんにはその光り方が、どんど焼きの時に目にする団子のように、赤や白や緑色に見えたらしい。
「見えたな、お前にも」
ひいじいさんの声。思わずそちらを見やった時、じいさんは飛び上がりそうになった。
ひいじいさんはすでに、ポン刀を抜いていたんだ。
「お前には、あの明かり。どれくらいの大きさに見える?」とひいじいさんが問う。
じいさんが団子くらい、と答えると、「俺には人の顔くらいだ。もう末期だ」と返してきた。その横顔は、桜の灯りたちに照らされ、苦々しさが浮き彫りになっている。
「末期とは?」
「あれを、斬る」
じいさんの問いも、その一言で斬り伏せると、ひいじいさんは、手近な桜の木に突進する。
上段に構えた太刀を、真っ向から桜の幹目がけて、唐竹に振り下ろした。
悲鳴があがる。赤子が腹を減らした時の泣き声と、猫が盛んにケンカしている時の鳴き声が入り混じったような、耳をふさぎたくなる濁った声だった。
斬られた桜からは光が消える。同時に、他の木たちが、風もないのに、激しく揺れ始めたんだ。まるで刃から逃れようと、身をよじっているみたいだった。
ひいじいさんはそれらの仕草に構うことなく、一本一本に、銀閃を打ち込み、黙らせていく。じいさんの目の前に、まったくの異世界が広がっていた。
思わず、じいさんは一歩後ずさった。ここから逃げ出したい、という無意識が、身体を動かしたんだ。
ひいじいさんが、叫ぶ。
「逃げるなッ! 憑かれるぞッ!」
声が空気を引き裂く。
ふと、じいさんが顔をあげると、遠くにあると思っていた、団子のような光が目の前に迫っていた。
刹那のにらみあい。だが、じいさんは尻もちをついてしまい、そこへすかさず、ひいじいさんの胴払いが、じいさんに迫る明かりを薙いだ。
「見たか?」というひいじいさんの問いに、「見た」とふるえながら、やっと答えるじいさん。
あの小さい明かりの中。そこには米粒ほどの大きさの、顔、顔、顔……。
無数の顔がひしめいていたんだ。一様に、満面の笑みを浮かべてさ。
その光景を、じいさんはずっと忘れることができなかったらしい。
最後の一本の光が消える。
ひいじいさんは懐紙で樹液を拭うと、ポン刀を納めて、腰を抜かしている、じいさんを立たせる。
「他の奴にやらせる。夜回りは、しまいだ」
ひいじいさんの言葉に、じいさんは安堵しながらも、ひいじいさんの仕事を継げない自分を情けなく思ったようだ。
やがて、家からポン刀も無くなったところからして、役目が誰かに移ったのは間違いないとじいさんは話していたよ。
役目を継げなかったじいさんに、ひいじいさんが詳しいことを話してくれることはなかったが、放っておくと花見の乱闘のようなことが起こりやすいんだと。
そして、斬られた桜は「断ち割り桜」と呼ばれて、安心の象徴と共に、「危険はこんなに近くにあるんだぞ」と戒める役割を帯びているらしいんだ。




