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留め得ぬ魅了

 こーちゃん、「根無し草」な生活ってどう思う?

 多くの人が心の中で憧れるであろう、「自由な生き方」。それを体現している者たち。

 けれど、憧れは必ずしも、現実の正解と一致しない。

 安定した生活。集団を乱さない存在。常識的な概念……。

 親は子に、学校は生徒に、会社は社員に、多くのことを望む。

 コミュニティに溶け込めるように。コミュニティを壊す者として排斥されないために。コミュニティを支え、発展させていく歯車となってくれるように。

 

 そういうの、嫌いな人は徹底して嫌いだろう? まさに「小さな親切、大きなお世話」って奴だ。今を縛られている実感が強いほど、集団に属さず生きている姿が、羨ましく思えて、仕方なくなるだろう。

 だが、そう思えるのは、正体を知らないだけ。遠くから眺める存在に過ぎないから、好きなように羽ばたいているかのごとく、見えるんじゃないかな。

 こーちゃんの役に立つかどうか分からないが、一風変わった、根無し草の話をしようか。

 

 江戸時代。

 各地で名だたる盗人たちが、人々に知られ、色々なものがなくなっていた時期のこと。

 一人の男の子が、急な土砂降りに遭い、小さな神社の軒先で雨宿りをしていた。

 その子は武家の跡取りで、まだ学問所に入ったばかりの、十歳にも満たない若さ。その日は久しぶりに友人と界隈を遊んでいたのだが、突然の雨降りによって解散と相成ったんだ。

 傘は持っておらず、家までは遠い。雨足が弱まるのを待とう、待とうとぐずぐずしているうちに、彼は身体が冷えてきて、大きくくしゃみをしてしまった。

 

 その時だった。背後のお堂の中で、ギシリと、板がきしむ音がしたのだ。

 とっさに振り返ってみる。

 虫食いだらけの木の扉。指が入ってしまいそうなくらい大きい穴が、ところどころに開いている。

 彼は懐刀に手をかけながらも、穴から、そっと中をのぞいてみる。

 

 外から忍び込む明かりの中を、ほうぼうに飛び回る、細かいほこりたちが目に入った。

 その下のお堂の床に、何者かがこちらに背中を向けて横たわっている。

 小さな身体と結い上げた髪からして、少女だとわかった。耳を澄ませると、やや荒い息づかいも聞こえてきた。

 彼は少し戸惑ったが、やがてお堂の戸を開けると、大きな音を立てないように、そっと彼女へ近づいていく。

 この辺りでは見ない顔。旅をしているのだろうか。

 物を多く持ち歩くのは良くないと言われているとはいえ、振り分け荷物の一つもないというのは、いささか身軽すぎはしないか。少女の傍らには使い込まれた杖が一本転がっている。


 少女の呼吸は依然として荒く、顔は紅潮している。

「ご容赦」と一言声をかけ、彼は少女の額に手を当てた。ひどい熱だ。

 彼の手の感覚に、意識が一瞬震えたのか、彼女はうわごとのようにつぶやく。


「水……水を……」


 確かに欲しいのは、無理もない。だが、ここは担ぎ出して、看病するべきだろう。

 外は雨。じきに日が落ち、ますます冷え込むだろう。そうなれば彼女は更に苦しむことになる。

 元より、義を叩きこまれている身。彼は少女を背負い、杖を握る。

 彼女を雨から守るために、布の一枚もあればよかったが、都合の良いものは見当たらない。家までまっすぐに突っ走るしかない。


「少し濡れる。辛抱してくれ」


 背中で、彼女がかすかに動くのを感じた。うなずいたのかもしれない。


 彼女は少年の家の奥座敷に運ばれ、少年の母親がつきっきりで看病してくれた。

 女子おなごの世話に、男がしゃしゃり出てはならぬ。そう教えられていた彼は、濡れた頭と身体を拭き、服を着替える。

 彼女の意識はまだはっきりしていない。母親が招いてくれるまで待とうと、日課である漢文の勉強に励んでいた。父親は藩の仕事の関係で、翌日まで戻ってこない。

 

 そして、夜半。彼女が目を覚ましたことを、母親が告げる。彼は奥座敷に向かった。


「このようにご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません」


 頭を下げる少女。雨で乱れていた髪は、母親の手で編み直されている。


「本来であれば、この恩に報いるために、どのようなお願いをも承るが、正しき道。されど、非常に申し上げづらいのですが、一刻も早く、おいとまをさせていただきとう存じます」


「先を急ぐ旅なのか?」という彼の言葉に、少女は答える。


「すぐには信じられぬかも知れませぬが、いつのころからか、私には不思議な力が身についたのです。私が触れたものは、神域にあるもの、そして人自身をのぞき、ことごとくが私についてきてしまいます。本来の主人を差し置いて。ですから、私がここにいては、お二人にご迷惑をおかけすることになります。どうか、お聞き届けくださいませ」


 今一度、彼女は額を畳みにこすりつけんばかりに、深く礼をした。

 二人は戸惑う。本来ならば、あと数日看病を続け、万全な状態で送り出すつもりだったんだ。もちろん、無償でだ。

 だが、ここまでの頼みよう。彼女はのっぴきならない理由を持っているのは間違いない。

 今の要領を得ない言葉から察するに、何か重大な秘密を抱えているなどして、追手をかけられているのかもしれない。


「私の後を追う者がこれ以上、増えないうちに、ひらに、平に!」


 度重なる哀願に、二人はとうとう折れた。

 笠や草履。そして当時、旅に必要とされていた道具の一式。そして、いくばくかの路銀を用意したんだ。

 彼女は涙を流し、何度も何度もお礼をしながら、少年たちの家を後にした。

「必ず、いただいたものをお返しします」と口にしながら。

 不思議な女子だったなと思いつつ、少年と母親は床に入ったとか。


 翌日。

 彼女が使っていた布団が、姿を消した。

 それだけでなく、奥座敷から玄関にかけて、畳や床板、石に至るまで、部分的に削り取られていた。彼女が触れていたと思しき部分だけ、きれいに。昨日、少年が着ていた服さえも。

 やがて帰って来た父親は、血相を変える。


 実は父親は仕事中に、このような盗みを行う、奇妙な盗人の存在を聞いたのだという。

 犯人は女。人相書きも回ってきている。ほかならぬ、犯人の家族だと名乗る者たちによって。

 父親は預かっていた人相書きを二人に見せる。やや輪郭が安定しないが、紛れもない彼女だった。


 二人のわずかな動揺を、敏感に察した父親は「やはり来たのか」と憤怒に燃える。

「必ず見つけ出し、然るべき罰を与えん」と憤る父に、少年も母親も伝えることができなかった。

 それらはすべて、彼女が去ってから、なくなったのだと。


 それから、彼女を捕えんとする動きは、藩内でも活発になった。

 少年と母親は、毎日、気が気でなかったが、彼女が捕まったという話を聞くことは、ついになかったという。

 やがて、少年は青年になり、夫となり、父となる。

 すでに両親は世を去っていたが、母は死に際にこっそり「あの日の私とあなたがやったのは、きっと間違いではなかったはず」と彼に耳打ちし、彼もうなずいた。

 

 更に数十年。息子たちに後事を託し、彼は隠居していた。

 すでに妻に先立たれていて、家にいるのは自分をのぞけば、侍女として雇った老婆が一人。

 その侍女が、家の軒先に様々なものが置かれている。昨日までは確かになかったのに、と彼に伝えてきたんだ。


 軒先に出た彼は、目を疑った。

 そこにはボロボロになった布団、荷物、畳や板の切れ端……。

 あの日、彼女が持ち去った。いや、彼女に「ついていった」ものたちが置かれていた。

 けれど、ただ一つ見つからないものがある。彼の着物だった。

 荷物を掻き分けて探す彼は、やがて一枚の黄ばんだ半紙を見つける。そこにはたどたどしい言葉で、このようにつづられていた。

 

 あれから、長い時間、日本全国を逃げ回っていたこと。

 迷惑をかけないよう、神社での寝泊まりを続けたが、自分についてきてしまったものを巡る追手が絶えず、心休まる夜はなかったこと。

 一刻も早く消えるべきだった自分だが、自分が心安らかに過ごせる場所がどこかにあるのではないか、という望みを捨てられず、ここまでずるずると長く生きてしまったこと。

 そして、そんな場所は、どこにもなかったこと。


「生涯、勝手を許されぬわが身でありましたが、一つだけ、私の最後のわがままを聞いてくださいませぬか。それは、あなた様の服を。私が賜ることができた、唯一の安らぎを、私の黄泉路に連れていくこと」


 手紙の終わりが近づく。その結びの言葉を見た時、「少年」の瞳から涙が流れ落ちた。


「あなたの背中のぬくもりを、私は永遠とわに忘れません」

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