ブライダル・コーヒーカップ
あ〜あ、疲れた。ちょっと休憩!
つぶらやくん、コーヒーでいい? 砂糖とミルクはつけるから、お好みで使って。
――ふう。ブラックなんて昔は嫌いだったのに、今はこればっかり。
ねえ。少し、弱音を吐いてもいい?
あたしって、ホントは力がないのかなあって、最近思い始めたの。
小さい頃ってさ、ささいなことでもみんなが持ち上げてくれたんだ。
作文コンクールで入賞した時。かけっこで一等賞を取った時。テストで100点を取った時。親をはじめとする人が、私を褒めてくれた。
「すごい! 天才じゃん!」と才能を褒めてくれる人。
「ここまでよく頑張ったね」と努力を褒めてくれる人。
たくさんの称賛の声が、私の鼓膜と頭の中を揺らしたわ。そして、心がじょじょにその味をしめていったのね。
親や周りの人が、褒めることで私に望んだのは、何だったのかしら。
よい成績、よい結果を残し続けること? 努力をし続けること? モチベーションを保ち続けること? それとも他の意図があったのかしら?
誰もホントの私、口にしてくれないんだもの。表に出さないのは当然かもしれないけど。
称えられてばかりのおかげで、私は自分が才能にあふれた特別な存在だと思ったわ。
頑張る理由は常に、褒められるため。自分が気持ち良くなるためだった。
で、たどり着いた結果がこれ。
箸にも棒にもかからない、作品を生み出し続けて、どこにも取り上げてもらえず、何年も何年も、誰でもできる仕事で食いつなぐばかりの、鳴かず飛ばずな生活。
ようやく、あの時のみんなの褒め言葉は、お世辞に過ぎないって、分かったんだ。あたし、本当は空っぽなものを、あるんだとすがり続けて、腐らせてきた、勘違い女なんだって。
――え? 鳴かず飛ばずの本当の意味は、雌伏と同じ、機会に備えてじっと力を蓄えること?
はあ。つぶらやくん。やっぱりあなた、天然マイペースよね。
それって慰めになってないから。私の感情、あなたの理性で無理やり止められている気がして、仕方ないわ。
今の私は濁流よ。せき止める堤防じゃなくて、受け入れてくれる大河を求めてる。無理やり立ちはだかるんだったら、わたし、あなたを壊したくなっちゃうわ。
――その言い回し、少しは調子が出てきたか?
参ったなあ、もう。執筆モードのつぶらやくんは、なんでも創作に結びつけるんだから。
まあ、少しは落ち着いたけどね。
つくづく褒め言葉って怖いな、と私は感じた。さっき話した経験もそうだけど、友達から聞いた話も、それを後押ししている。
愚痴ついで、みたいな形で申し訳ないけれど、ちょっとその話に付き合ってもらえるかしら。
コーヒーカップというアトラクション、つぶらやくんも知っているでしょう?
文字通りの、コーヒーカップを模した大きい乗り物に、ベンチがついている。床が回ると共に、カップ自体も回転して、目まぐるしい景色を展開してくれる遊具。
たいてい中央にはハンドルがついていて、自分で回転を調整できる機能もあるわね。
そして、友達が高校2年生の時。
近所にある遊園地のコーヒーカップに、一つのウワサが生まれたわ。
「コーヒーカップに二人っきりで座り、回転が収まるまでの間、交互に相手を褒めていくの。内容を被らせず、途切れさせずに。それを欠かさず、毎週の日曜日に、1年間続けることができたならば、絶対に絶たれない絆で結ばれるという話。褒めるのは、容姿、性格、雰囲気。行動や能力といった、コーヒーカップに乗っている時に、確認しづらいものは認められない」
どう? まるで結婚式の誓いみたいよね。
友達の学校でも、実際に試してみようという話が持ち上がったみたい。
けれど、学生の身でも忙しい人は多い。
家の用事に、塾を始めとする習い事。急病や突然の事故。毎週欠かさずに、となると、壁があまりにもあり過ぎる。
面白半分に試してみたけれど、半年が経つ頃には、挑戦者のほとんどが脱落し、2組しか残っていなかった。
友達と相方も頑張ったみたいだけど、7カ月目で途切れてしまったみたい。
やってみて思ったのは、褒めるのが難しいということ。
「きれいだね」「おしゃれだね」とかありきたりの言葉で口火を切るけど、じょじょに褒めるところがなくなって来る上に、コーヒーカップの回転のせいで、視界も頭もぐるぐるしてくる。そこで絶えずしゃべっていると、気分が悪くなってきちゃったとか。
でも、お互いに褒め合っていく経験はマイナスにはならなかった。
毎回、褒めよう、褒めようと相手を見つめていくうちに、良いところばかり、目につくようになったみたい。今でも友達は、相方と仲良くやっているみたいなの。
そして、最後の一組。
これも女の子同士の組み合わせなんだけど、この組は唯一、ウワサの条件をクリアすることができたの。ケータイのビデオも起動させていて、証拠映像があったから、確かな伝説として、語られた。
二人は、今まで以上に、毎日一緒にいるようになったみたいね。その顔からは笑顔が常にこぼれて、楽しそうな表情を崩すことがない。
同時に、彼女たちから時々、こぼされていた愚痴を、聞くこともなくなったんだって。
そして、3年生の夏休み。
ストレスが溜まっていた友達は、息抜きに例の遊園地に遊びに来ていた。他の友達は、みんな予備校などで忙しく、都合がつかなかったみたい。
その遊園地が冬には閉園してしまうことが決まったらしいの。受験が終わるまで待っていたら、行けなくなっちゃうから、ラストチャンスと思ったみたいね。
がらがらのアトラクションを、順番に回っていく友達。その目に、件のコーヒーカップが映ったわ。
かつて自分たちが挑戦し、ウワサ通りとはいかなかったけれど、これまで以上に仲良くなれた、きっかけのアトラクション。感謝の意味をこめて、友達はコーヒーカップに乗り込んだ。
その回は、友達一人だけ。正直、回す電力がもったいない気はするけど、待たせるのは申し訳ないという従業員さんの好意もあったみたい。
無人のまま回り出す、無数のカップたち。それをぼんやりと眺める友達の耳に、ふとどこからか、声が聞こえてきたわ。
「あんたなんて、いなければよかったのに」
友達は、がばっと、カップのふちに寄り掛かっていた身体を起こしたわ。
その声は、紛れもない、自分の声だったのだから。
あの日。一緒に乗っていた相方。彼女を褒めながら、心のどこかで思っていたこと。
声は様々に色を変えて、続けたそうよ。
「仕事が辛くて、結婚に逃げたんでしょう? あなたはグズで成果も出せてないもんね。その若さを振りまいて、男を引っかけたんでしょう。仕事ができる、あたしの方が。仕事から逃げない、あたしの方が……何倍も上のはずじゃない!」
「あなたのために、ママは夢をあきらめた。女としても、人間としても、やりたいこと、もっともっとあったのに、そのすべてを捨てて。全国のコンクールで入賞? よかったわねえ、さぞ美味しいことでしょう? ママの夢と時間を踏みにじって得る、蜜の味っていうのは!」
「知っているんだぜ。こうやって褒めているけど、影でおじさんをけなしていただろ? 『大学浪人なんて、恥ずかしい』『いい年なのに、出世しないなんてみっともない』『仕事ができないから、給料もあがらなくて、カッコ悪い』……。黙れよ。受験をほっぽリ出して、死にかけていた彼女の病院にかけつけたことの、何が悪い? プロジェクトが失敗確実になった時に、上司が夜逃げ同然に会社を辞めて、尻拭いをさせられたこと、あんのか? 仕事を変えても、自分で何もしないくせに、俺に責任を押し付ける奴らばかり。ケツの青いがきんちょが、知った顔で語るんじゃねえ!」
「わたし……ずっとあなたのこと、うざいと思ってた。少しお金を持っているから、貢いでもらおうと思って、彼女になっただけなのに、勘違いして、鼻の下伸ばして、ほんとうざい。あ〜あ、金だけおいて、消えてくれないかなあ。わたしのために」
コーヒーカップが回っている間、ずっとずっと、こんな声が響いていて、友達は耳をふさいだわ。
繰り返される言葉。その中には久しく聞かなくなった、ウワサをやりとげた、最後の一組の愚痴。それも混じっていたのだから。
ふらつく友達を、不思議そうに見つめる従業員さんの様子からして、聞こえていたのは彼女だけみたい。
友達は家に逃げ帰ったわ。
あれらはきっと、コーヒーカップのウワサを聞いた人たちが、褒め言葉というガムシロップでごまかした、コーヒーの苦みだ、と友達は話していた。
あのカップたちは、いまや、捨てられた苦みたちの、たまり場になっていたのね。
彼らは、やがてお互いくっついて、大きくなって、子供を作り、世界に広がっていくんじゃないかと思うの。
そのコーヒーカップを、あたかも、結婚式場のようにして。




