見下ろす世界
コラー、つぶらや! 何回も言っただろうが!
お前はボールを受け取る時に、ボールばかり見すぎなんだ! すぐ正面でマークについている相手に気付かず、ドリブルしながらオフェンスチャージとか、総スカンってレベルじゃねーぞ、おら!
——おい、周りでつぶらやを笑っている奴。てめーらも気づいたら声をかけろ!
ボール持っている奴に、相手が迫っていたら、注意を促してやれ。自分から受け取れるように声を出せ。
プライベートで、お前らにどんな怨恨があるかは知らん。だが、それを試合に持ち込むんじゃねえ。迷惑だ。
お前らの個人的な問題で、チーム全体が負けた時、責任取ってくれるのか? ああ?
それと、注意するのは、何も下手な奴だけじゃねえ。上手い奴、調子がいい奴にも目を向けろ。
技を盗め。そして、あてにしすぎるな。
エースを軸にするのは、有効な戦術。だが、その分読まれやすい。
そして、天才肌は何をするか、我々凡人には分からない。理解不能のプレーは、最終的にプラスになったとしても、我々の心臓に悪いからな。
——ちょうど、休憩時間か。いい機会だから、少し昔話をするか。天才に関しての話だ。
さっき言ったような、ボールを受け取った時に、周りがよく見えているプレーヤー。いるところにはいる。
スポーツのテレビ中継を見ていて、「なんで、ここにパスを出さないんだ」と疑問に思うことがあるかも知れんが、実際にプレーする側になると、驚くほど周りが把握できない。
パス一つとっても、正確な方向と力加減で出すのは難しいってのに、この視野の壁も手伝って、理想のプレーと現実のプレーのギャップに、時折、絶望やもどかしさを覚えることさえある。
テレビに映る選手が、見えないところで、とんでもねえ苦労を重ねていることが、間接的にうかがえるというもんだ。
それが身近にいる奴だったら、なおのことだ。
俺の同級生に、まさに上から見下ろす視点で、風景を見ることができる奴がいた。
そちらに一切視線を向けず、話に割り込んできたりすることもあって、ついたあだ名は「ミスター・ノールック」だった。
怒られた経験がある奴は、ノールックの怖さが分かるんじゃないか?
小テストの最中に、こっそり机の下でカンニングしたり、ケータイいじっていたりしてよ。
黒板に背中向けている先生が、自分を名指しして「カンニング、ケータイやめような〜」と注意をされる。
普通に怒られるより、色々とやばい雰囲気が漂うだろ? プラスの意味で、「どこに目をつけてんの?」と言いたいところだ。
件の同級生なんだが、先ほども言ったように、とんでもない視野の持ち主だった。
よそ見どころか、目隠しをした状態でも、相手に対して正確なパス、送球ができたんだ。さすがに目隠しでキャッチは無理だったようだが、どこまで本気なのか。
この力、ごくまれだが、試合以外でも発揮された。
締め切った教室の中にいながら、「今、屋上で誰が誰に告白しているぜ」とか、「体育館裏に、シケモク吸っている奴らが溜まっている……あ、先生に見つかって逃げたな」とか、何気ないノリで、つぶやくことがあるんだ。
そのつぶやきが、あまりに現実と合致していることが多いのが分かって、彼をいぶかしげに見る目はたくさんあった。すべての事態を、裏で糸引いている真犯人だとか、言い出す奴もいたな。
よくも悪くも、話題の男だったよ。
そして、ノールックで試合を組み立てることができる彼は、必然、部活動でも主役になった。
サッカー部のMFかつ司令塔として、ディフェンスからゴールがらみまで、抜群の運動量を誇っていて、3年次には、弱小だったウチの学校を市のトップに押し上げた。初の県大会出場だ。
開校以来、初めての快挙で、サッカー部のみんなが盛大に壮行されたのを覚えているな。
結果から言って、ウチの学校は一回戦負けを喫した。よりによって、敗退の原因は「ミスター・ノールック」だった。
あいつはボールを回されると、いつも通りの華麗なノールックパスを繰り出した。
サイドを駆け上がり、ほぼゴール前でフリーになっていた、相手FWの足元に。
パスされた当人さえも戸惑ったが、その凍結も数瞬のこと。虚を突かれたDFの穴を抜き、先制点が決められた。
相手チームは喜び、ウチのチームはうなだれたが、彼のみは特に悪びれた様子がなかった。
総スカンを食らうところだが、彼には実績があった。彼の力がなければ、チームはここまで来られなかったであろうことは、誰もが分かっていたんだ。
試合が再開される。だが、うちのチームは、明らかに、彼を避けてパスを回していたんだ。前科がある奴に、ボールを触らせたくないのは、間違いなかった。
けれど、彼の卓越した技術あってのチーム。たちまちパスカットされて、自陣に切りこまれる羽目になった。
攻められて痛感する。自分たちの力のなさを。
自分たちのそれとは、比較にならない速さと精度。細かく正確なパスワークに、チームの面々はボールに触ることすらできず、いたずらに走り回された。
だが、ゴール前まで敵FWが迫り、ペナルティエリアのギリギリからシュートを打とうとした、まさに寸前。
「横から来ているぞ」
相手チームの誰かの声。
件の彼が、まさに間一髪で、シュートコースを塞ぐように飛び出してきたんだ。
蹴られたシュートは、彼の肩にあたり、はじかれた。
キーパーが陣取っていたのとは、反対方向のゴールポスト脇に向かって。
跳ね返ったボールは、がら空きだった逆サイドのゴールネットを、揺らすことになった。
結果的に、彼によってもたらされた、2点のビハインド。これはチームの耐え難き重荷と化した。
彼なくして、勝ちの目はない。しかし、彼がいたら、勝ちに向かうことはできない。
そして、前半終了5分前。3点目の味方へのゴールを演出した彼は、ベンチに下げられることになった。
彼を失ったチームは、もうどうすることもできず、後半に入っても、ザルのように点を取られまくった。本当に同じ中学生同士なのか、見ているこちらが気の毒に思うくらいの、レベル差だったよ。
言われるまでもなく、試合終了後、彼はこってり絞られた……らしい。本人から話を聞くことはできなかった。
いなくなってしまったんだ。その日を境に。
部活に顔を見せないだけでなく、学校の中から完全に姿を消してしまった。
先生は転校したと話していたけど、何日も生徒にだんまりを貫いたこの状況が、単なる転校であるはずがない。当時、一生徒に過ぎない俺に、真実を知り得ることはできなかった。
ただ、大反省会の後。彼と最後に分かれた面々は聞いたんだ。彼の言葉を。
「今回のイベント回収、終了。次へ行かなきゃ」
彼は軽やかな足取りで皆を置き去りにしていき、二度と振り返ることはなかったようだ。
ズタズタになったチーム、仲間から失った信頼。
そして、生徒たちにとって、生涯一度しかない、中学時代の思い出。
すべてを踏みにじった、そのままで。




