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知識をエサに

 しゃあ! 受験まで、ラストスパーット!

 さんざん俺から楽しみを奪ってくれたな、こんちくしょう。本もテレビも映画もゲームもケータイも奪い去りやがって……たとえ神が許しても、俺はぜってーお前を許さねえ!

 魂を込めた解答、手向けとして受け取りやがれ! 首を洗って、待っていろよ、ゴルァ!


 ふん、午前中はこんなもんで勘弁してやるか。午後は夜まで寝かさんぞ。

 せいぜい、休みに酔うがいい。今限りだがな……。

 ――ふう、テンション上がったあ! 

 いやあ、鼓舞と暗示を兼ねた、逆上演技。こんなところで役に立つとは。演劇部の練習もバカにできないな。


 こーちゃんはどうよ? 執筆はひと段落した? ちょっとご飯でも食べようや。

 問題でも、小説でもさ、積み重ねて形が見えると、自信につながらないか? 焦る人って、自分が積み重ねてこなかったか、積み重ねに不満あり、という自覚があるわけだろ。

 積み重ねたものを、努力の証とするか、過信のあらわれとするか……、すべては結果で証明してやらないとな。

 そういえば最近、勉強の結果を出すことに、心血を注いだ人の言い伝えを聞いたことがあるぜ。息抜きに、聞いてみないか?

 

 その家は、代々研究に明け暮れていてね。様々な学問の研究を進めている一族だったらしいんだ。

 だが、名声には興味がなかったらしく、研究成果は、色々な分野の人に、ほぼタダ同然で譲っていたとのこと。

 今知られている、歴史上の学者たちによる功績の一部は、その一族によるものだと、今も根強く信じている人も、少数ながら存在しているとか。

 肝心の生活は、時代ごとの政権の末席、公僕の一端として、最低限のことをこなし、仕事のない時間を、研究に充てていたという話。

 しかし、現代に、一族の影は、すでにない。

 その最後について語られるのが、次のようなできごとなんだ。

 

 明治維新により、西洋の知識が大量に輸入されてきた時期のこと。

 これまで国内の学問を主流に扱っていた一族にとって、大きな試練の時がやってきたんだ。

 何しろ、海外から取り入れる知識は、その言語も含めて、国内に積み重ねが存在しない。万人のスタートラインは、多少の差はあれど、大きくは変わらないということ。

 過去に流した血と汗は、アドバンテージにならない。すべては、これからの地力にかかって来る。

 更に、その一族の当主は、年をとり過ぎていた。伴侶に先立たれた後、大流行したコレラによって、孫も子も失ってしまい、血のつながりのあるのは遠縁のものばかり。

 彼らはすでに研究仕事に見切りをつけ、商売に生きていたから、成果を継げる土壌は持ってない。

 

 一族最後の大仕事を遂げる。そして、今や一人となった老人が、必要だと強く感じたもの。

 それは集団をまとめる教育。誰もが同じ方を向き、励み、敬意を払う。

「個」の力ではなく、「全」の力を持って挑まなければ、強大な諸外国に並び立つことは、とうていかなわないであろう。

 残りの生涯をかけて、たとえ池の水そのものを変えられずとも、そこに波紋を広げる一石を投じる。

 老人はそれこそが、自分に残された最後の使命だと、強く信じたのだとか。

 

 教育は、一歩間違えれば、洗脳になる。

 その重大さがゆえに、観念が対立し、命がけの議論に発展することも珍しくない。

 残り僅かな命のともしび、濁った風に吹き消されぬよう、老人は数え切れぬ書物と共に、俗世を離れて、山にこもった。

 来る日も来る日も、書いては消し、消しては書く。

 将軍が去って、再び日本の頂に立ち、崇めるべき存在となった天皇。その御許に、日の本の御霊を集め、新たな時代を創り、守る。

 自分の命一つで、そのかじ取りに携われるなら、本望だ。

 

 老人の気持ちは折れなかったが、身体はそうはいかない。

 俗世から離れるため、食料は持ち込まず、ふもとにも下りてはいかなかった。

 水と木の実で飢えをしのいでいたが、老いた身を満たすに足りない。

 いや、むしろ、乾坤一擲の勝負のため、身体は肉を欲していた。若き頃と同じか、それ以上の力を引き出すために。

 だが、狩りをする体力はなく、俗世と距離をおく老人が手にできる肉。

 それは、かつて吉野の人々が食したと、日本書紀に記されていたもの。

 ガマやカエルだったんだ。

 

 老人の家は、薄暗い森の中であり、しばしばガマやカエルを見かけた。

 追いかけることによる、体力消耗を防ぐため、捕まえる方法は、もっぱら釣りだったという。

 木の枝の先に糸を結びつけるんだけど、耐久性に難があって、釣れる前に切れてしまうことも多々あったらしい。

 そこで彼は、糸の代わりに、持っている本を閉じている、極太のひもを用いた。

 束ねていた紙が散ってしまうという難点があったものの、すでにそれを継ぐ者がいない代物。形を気にして、命が絶えては意味がない。

 

 ひもを使うようになってから、不思議と、釣れるカエルはその数を増した。

 ひもに染み込む「知」の香りに釣られていった彼らは、紙と墨の臭い漂う小さな庵で、命取りの入浴を楽しみ、老人に食われゆく。

 その様は、「知」にかぶれた自分の姿とダブって見え、ますます老人を奮い立たせた。

 死の釜に漬かる前に、必ずや仕上げて見せる。

 日に日に、若さを取り戻していくかのように、冴えていく頭の回転に身をゆだね、老人は先を急ぎ続けた。

 

 そして、ついに時は来た。

 草案を書き上げた彼は、残された力を振り絞り、山を下りる。目指すは、かねてより親交を重ねていた県知事の家。

 近く行われる「地方官会議」で、自分の草案を取り上げて欲しいという申し出だった。当然、県知事の名前で出して構わない、という一族伝統の文句を重ねて。

 だが、県知事は草案よりも、彼の姿を心配しているようだった。

 

「頭は大丈夫か。肉が、さかんに動いているぞ」


 どういうことだ、と返す老人に、県知事は鏡を見せる。

 老人の頭部には、たんこぶのような突起から、ミミズばれのような細長い膨らみまで、様々な肉文様にくもんようが刻まれていた。

 当然、外科的に頭をいじった記憶はない。ただ、知事いわく、老人が話している時には、その肉が活発に動き回るのだという。


 医者を呼ぼうか、というこの時の申し出を老人は断ったものの、数日後にはこの世を去ってしまった。

 知事の依頼により、検死に当たって頭部を切開した医者は驚いた。

 彼の頭蓋はほとんど残っておらず、代わりにおびただしい数のおたまじゃくしが、脳を覆っていたらしいんだ。

 大小さまざまな彼らは、研究用の水槽に入れられたが、数日と持たずに全滅してしまったみたい。


 ただ、文書を読み上げる声など、学問に関連する音が水槽を揺らす時は、とても活発に水の中を泳ぎ回ったらしい。

 まるで、知に触れることが、嬉しくてたまらないというようなその仕草に、過去を知る者は、若き日の老人の姿を重ねたんだとか。



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