倦怠のまなざし
暗闇街へようこそ。
どうだい、つぶらやくん。昼間でも薄暗いだろう。見ての通り、ここはあの巨大ビル群によって、昼間は日光を遮られている。ここに陽が当たるのは、日が昇る時と、沈む時のわずかな間だけなんだ。
――なに? それって日照権に関わるんじゃないかって?
ああ、新しい人権に盛り込まれている、日当たり確保の権利のことか。確かに条件が揃っていれば、損害賠償とかの対象になるだろう。
僕も調べてみたのだけど、ただ日当たりが悪いというだけじゃ適用されないこともあるみたいだ。
実際の被害、地域による日照保護の必要性とか、被害を受けている建物側も、日照を得ようと努力したかとか、色々な要素が考えられるんだってさ。もっと細かく突っ込むには、専門家の知識が必要みたい。
この辺りだと「加害建物の被害回避のための配慮」かな。適用されるのは。
――全然、被害を回避できてない? 現に、家々が影の中に沈んでいるじゃないか?
初見じゃ、そういう印象だよね。でも、この辺りに広まっている言い伝えに起因しているんだ。
――お、取材モードに入ったかな。それじゃ、話をさせてもらおうか。
平安時代より、お寺は山の上に作られることが増えたのは、つぶらやくんも知っての通りだと思う。前の奈良時代でお坊さんが力を持ちすぎて、政治に介入してくるまでになってきたらしいからね。政教分離の政策の一環だったんだろう。
だが、これによって仏道修行ひとすじに励む者ばかりとはいかないのが、人という生き物。
蓄財、僧兵、砦のごとき防備の強化。これらが時の権力者たちにとって、目の上のたんこぶになったことは、多くの人が知っていることと思う。
特に蓄財に関しては、仏教を広めるためのお布施として集めることもあったし、想像以上の財力を有しているお寺も、結構あったらしい。
そして、この地域でかつて起こった、信仰についての事件が僕の話すことだ。
山の上に大仏を建立する。
その知らせが、この地域に飛び交ったのは、数百年前の戦国時代のこと。度重なる侵略の手を、必死の防戦により防いでいる、水際と呼べる地理だったらしい。
正直、信じる者はほとんどいなかった。
人手、資金、時間……これらのいずれも、ここ一帯を治めている領主が、内政事業を大幅に削らない限り、実現は不可能だと思われたんだ。
それを、寺単体の力で行うというのだから、不審がられるのも無理はなかった。
選ばれた山の山頂には、確かに神社がある。その頂より、7つの国を見渡すことができる山、とうたわれながら、ほとんど参詣者がいないさびれたものが一つだけ。
長く続く戦乱に、平和を招来する手助けをするために祈りたい、という理由だったが、まゆつばもいいところだと、聞いたみんなは笑っていた。
領主自身も最終的には許可を出したが、「やれるものなら、やってみせよ」という、半ば挑発めいた思惑があったのかも知れないな。
しかし、その大仏は姿を現した。ものの1年足らずで。
それは巨大な胸像で、優におとな10人分に匹敵するほどの高さを持っていたとか。
ほどよくふくらんだ顔立ちと、柔和な微笑み。さぞ、名のある仏師の手が入った者だろうと思われたが、いくら何でも早すぎる。
どうせハリボテだろうと、興味本位で参詣した者たちは、様々な粗さがしをしたけれど、無駄に終わった。
むしろ、その堅牢、頑健な作りに恐れをなし、大仏が細めたまなざしで見つめる中を、すごすごと引き上げるしかなかったとか。
うわさを聞きつけて、以前より参詣者の数は増えた。けれど彼らの大半は、大仏を見ることだけが目的で、その隣に添えもののごとく建っている寺社と、その賽銭箱を構うのは、限られた人のみだったらしいけどね。
だが、建立より半月後。文字通り、大仏の眼下に広がる町の中で。
ある鉄砲鍛冶が、領主の使いにより召し出され、処断されるという事件が起こる。
献上した鉄砲の中に、竹筒に色を塗って、細工しただけのものが入っていたんだ。
期日に間に合わず、ごまかしたらしいが、その職人の律儀ぶりは誰もが認めるところだけに、にわかにはこの行動を信じられず、魔が差したとしか考えられなかったとか。
だが、それ以降、鍛冶のみならず、商いに携わる全ての成果が滞るようになった。年貢の搬入さえも。
領主が手の者から聞いた話では、町に住むあらゆる人々が、惰眠をむさぼることにふけっているのだという。
農民は田畑を耕さずに家で眠りこけ、店はろくに得意先の顔も知らない丁稚小僧が立っているだけで、まともな買い物ができなかった。それどころか、家臣たちの中にも「病気」と称して、登城を拒むものさえ現れて、統制が乱れ始めている。
易者を呼んで占ったところ、例の大仏が関わっているとのことだった。
あの大仏は、平和への祈願のもとに作られている。そのまなざしを持って、見下ろす人々に、平和を訴えかけるのだ。
「怠慢」によって生まれる「安穏」。そのかりそめの「平和」に皆を導くのだと。これは人にあるまじきことである、と。
当主はすぐに大仏の破壊に着手しようとしたが、易者は先に手を打っておくべきと、提案を持ちかけた。
壊す前に、大仏の視線を遮るような、高い壁を用意して欲しいと申し出たんだ。
あの大仏に潜むもの、目を通して災いをもたらすもののはず。仮に破壊しても、同じようなものが現れるかも知れない。その際に余計な被害を出さぬための用心、という理由だ。
すでに町の職人たちは、けだるさに囚われていた。領内の様々な場所から職人が集められ、矢倉よりもなお高い、頑強な壁が作られる運びになった。
急を要する作業だけに、途中で戦線を離脱する者もいた。それが過労のためか、それとも件の大仏の眼力によるものか。見当はつかなかったが、人をとっかえひっかえしながら、数ヶ月後に工事は完成する。
日影に包まれた途端、町の人々の活気は、日に日に戻っていった。その様は照り付け、焼かれ続けた陽の光から逃れ、闇に身を溶かすことのできたヘビの、さかんに這い回るがごとくだったとか。
そしてついに、大仏破壊の断は下った。
ふもとから押し寄せた兵たちは、たちまち神社を取り巻いて、干し草の準備を始める。
膨大な熱を浴びせ、柔らかくなったところで、粉砕しようという魂胆だったらしい。
寺社の中も改められたが、そこには座禅を組み、即身仏と化さんとする、住職の姿があったという。
人々は無理やり住職を外に連れ出したが、すでにその眼は何も見えていないようで、焦点もなく、ぐるぐると視線をあちらこちらに向けながら、わずかに口を開いた。
「平和を求め、なぜ戦う。うぬらが負ければ、戦は終わる。うぬらが譲れば、戦は終わる。皆が負けゆく明日のために、空からこれを呼んだというに……負ける勇気なき者よ。決してうぬらに、勝ちはこぬ」
そう言って、住職は絶命した。
ほどなく、大仏は焼かれ出したが、驚くべきことが起こった。
大仏がぶるぶると震えたかと思うと、火を避けるかのように、空へと飛びあがったんだ。
空中でその姿は、見えない手で粘土のようにこね回されると、やがて盆をひっくり返したような、巨大な円盤の形となった。
それは夜空に消えていき、戻ってくることはなかったとか。
以来、その山に建物を作ることは禁じられたけど、かつて易者が言ったような、第二の悲劇を防ぐために、例の壁は時代に応じて姿を変え、この暗闇街を作っているというわけだよ。




