彼と幼馴染
やあ、つぶらや。初詣はもう済ませたかい?
俺はちょうどいま帰りでさ、ついでにおみくじもひいちゃったよ。「末吉」だった。
しかも「縁談」が「2人いて迷う」なくせに、「恋愛」が「今はまだダメです」とか、インスタント修羅場仕様……。
2人いる状態を続けろっていうの? 最近の神様は病んでる人がお好きで、俺がリアルに刺されるとこでも見てみたいってわけ?
くそ〜、これも世の中が、ヤンデレって名前の、古来の本能に、囚われているからいけないんだ!
――え? 相手が必ずしも、異性だとは限らない?
やめろ〜! シャレにならない! その先、行ったらヤバいって! 引き返せなくなるって!
――ウブなのね?
ぶふっ、おかま口調やめい! あと、先を期待しないの!
くおお、物書きとは、こうも変態欲求の集合体なのか。ひまさえ見つけりゃ、ネタをゆするわ、人の心に土足でずかずか入って来るわ……。
――安心しろ。俺が特殊だ?
ふ〜ん、他の作家さんをかばいだてか。
どこまで本気か知らんが、その心意気に免じて、ご所望のネタを提供しようか。
ヤンデレって奴のよ。
俺には生まれた時に、家が隣同士だった幼馴染がいる。女だ。
――って、早っ! 中指立てるの、早っ! 少しは話を聞けよ!
それで、幼稚園にあがるまえから、近所の公園で遊んでいた。
あいつは昔からおせっかいなんだよ。俺がかっこつけて、漕いでいるブランコから飛び降りようとした時にさ。チェーンが古くて錆びついていたせいか、変なタイミングでちぎれたのよ。
体勢と着地場所が悪くて、俺はブランコの柵に額から激突しちまったんだ。
デコからは血がタラタラ……。それを彼女がハンカチで拭いてくれて、「痛いの、痛いの、とんでけ〜」っておまじないを……。
――おい待て、親指下に向けんな。ブーイングすんな。顔が近いんだよ、つばが飛ぶ。ひとまず落ち着け。冷静になれ。言っとくがのろけはここまでだ。
その日以来、彼女はやけに俺を気にかけてくれるようになった。
それは幼稚園にあがってからも続き、俺と彼女は二人っきりで過ごすことが多くなるんだ。というのも、彼女は俺に近づく奴に、片っ端から牙を剥いたんだ。
ありゃあすごかったぜ。ネコもかくやだ。
かむ、なぐる、ひっかく、飛び掛かる。
相手が自分より図体が大きかろうが、容赦しなかった。幼稚園の先生に止められたのも、一度や二度じゃなかったさ。
おかげで、みんなの遊びの輪から、俺たちだけ隔離される毎日だった。俺がみんなに混じろうとすると、「行かないで!」って彼女が袖を引っ張って止めるんだ。
袖をちぎりかねないほどの、強い力。目を潤ませ、頬を上気させながら、彼女は続けるんだ。
「行っちゃだめ。私と一緒にいて。私が守ってあげるんだから」ってな。
女に守られる男。最近の力を増している淑女の皆さんは、男を守ってあげられるパワーに憧れるかも知れない。
だが、男としてはやっぱり、守られるより守りたいよなあ? 自分の意思と力で。
ぐいぐい自分が守って引っ張ってさ、それについてきてくれる彼女とか、憧れねえか? それを逆に女に引っ張ってもらうとか、情けない気分にならないか?
それとも、俺が変なのか? 彼女の願いに応えたくない、聞き入れたくないと思った俺は、変だったのか?
やがて腕力で勝るようになり、強引に抜け出そうとすると、彼女はすぐに泣いた。
なんでも泣けばいいと思っている、きたねえ女狐。だが、そういう感想を持つのは、ずっと接していた俺ばかり。
周りは俺を非難する。
みんなには、俺たちが、いつも一緒にいる、ラブラブカップルに見えるらしい。
内情を知らず、本当は、望まぬ「べたべた」を押しつけている、彼女の肩を持つばかり。
俺の味方など、いはしない。
結局、いつも俺が譲歩して、仲直りデートという名の拘束をされて、縁も自由も奪われていく。
学年が上がり、中学校に入り、たとえクラスが離れても、ずっと彼女は一緒にいる。
遠足も、運動会も、合唱コンクールも全部全部、彼女の目が光ってた。
俺が話しかける人。俺に話しかける人。どちらも、次の日から、俺と目も合わせてくれなくなったんだ。
思いつく落ち度はない。彼女の仕業に違いなかった。
そして毎日、俺に料理を作ってくれる。昼のお弁当を、たくさん。
まずくはないが、量が多い。明らかに、一日に必要なカロリーを大幅にオーバーしている。
日によっては、育ち盛りの男が、朝晩をほとんど抜いても、食べきれないほどあったが、食べきるまで彼女は放してくれなかった。
「将来、ずっと一緒にいるためだよ。ね、美味しいでしょ? 食べて食べて。遠慮しないで、たくさんあるから」
その後、トイレに籠ろうとすれば、いつものお約束で、俺が悪者扱いだ。
おかげで俺は、入学当初とは比べ物にならないほど、ぶくぶく太り、歩くのにも辛さを感じるほどになった。彼女以外の人の中には、自発的に俺を避ける人も出てきたよ。
あの頃の俺の容姿は、まさにキモデブ男を絵に描いたようなものだったな。
そして中3になりたての、ある休日。
俺はもはや、数えるのも億劫になる、仲直りデートに付き合わされていた。
今回は買い物も兼ねている。俺と同じくらいの身長と幅はある、ブタの人形だ。
あてつけか、と俺は内心いらだっていたが、文句を言えばこいつはまた、通行人を味方につけようとするだろう。もう、慣れた。
「じゃあ、王子様。エスコートお願い」
店を出て、小声でささやき、微笑みかけるその演技。俺にとってはもはや、小悪魔を通り越して、鬼畜生の仕草だ。
俺は進んで車道側に立つ。これまでのデートで叩き込まれた、女に対するエチケット。
すでに用事は済んで帰るだけ。今日は道路が空いていて、通行人の姿も見えない。
彼女が一方的に話を振り、俺には相づちしか求められない、退屈時間。
時々、内容を聞き返してきて、答えられないと泣く。もう、うんざりだった。
「――もう、ちゃんと聞いてるの?」
「聞いてるよ」
「じゃあ、なんて言った?」
「そのブタを俺だと思って可愛がる、だろ。じゃあとっとと結婚しろよ。人形と」
俺が文句を言うと、彼女は迷わずうなずいた。道路の後ろから、車の音が近づいてくる。かなりのスピードだ。
「そうだね、結婚するよ。だから……君はもう、いらない」
え? と思った時、俺は後ろに突き飛ばされていた。
ちょうどガードレールの切れ目。そこからはみ出てしまった俺の耳が、いっそう近づくエンジン音を耳にした。
とっさに音源へと振り向く、俺の視界いっぱいに、真っ黒いワゴン車の面構えが広がった。
それから病院で目覚めるまでのことを、俺はよく知らない。
聞いた話では、彼女が通報してくれて、救急車で病院に運ばれたらしいんだ。俺は輸血が必要なくらいの大けがで、現場は血みどろだったらしい。
ひき逃げの車は見つかっていない。事故の責任に関しては、警察は捜査してくれたみたいだけど、俺の証言以外に、彼女が俺を押したという、決定的な証拠は出てこなかったようで、強く訴えることはできなかったらしい。
入院生活を始めて、ひと月。まだ退院まで程遠い俺に、彼女が見舞いにやってきた。
白い袋を抱いている。中身はあの日の豚の人形。ただし、血がたくさんこびりついたものだった。
「ちゃんと、お別れを言いに来たの」
あたりをはばかる小声で罵る、俺の言葉をいなしながら、彼女はそう告げた。
「気づかなかった? 彼はずっと君と一緒にいた。あのブランコの時からずっと。私にしか見えてなかったようだけど」
ね〜、と彼女はブタの人形に目配せする。
「それから、この子を君から切り離そうと必死だったんだから。最初は何をするか分からなくて、誰かに変な危害を加えたら大変だし、君に触れる前に何とかしていたの。家族や先生方とかに何ともなかったところを見ると、どうやら杞憂だったみたいね。だけど、いきなり態度改めるのも変だし、続けてたのよ、病んでるゴッコ」
おかげでよく観察できたわ、と彼女は人形の頭をなでる。
「この子ね、君の身体から出ようとしていたみたい。ずっと観察してたけど、一番出かかるのが、食事と怪我をした時。どうも血の巡りが影響していると見たわ。2つのうち、穏便な食事を選んだけれど、どうしても、もう少しというところで、抜け出せず、頭打ち。そうなると、もう後者を選ぶしかないっしょ」
「そんなことのために、俺を……」とつぶやく俺を、彼女はにらみ返した。
「そんなこと? 私は彼を出すことがすべてだった。それをバカにするとか、何様? ああ、抜け殻様ね。用無しの。言ったでしょう、もう、お別れなの。金輪際、バイバイ。もう彼はこの人形の中だから」
彼女は血まみれの人形に、愛おしげな頬ずりをすると、元のように袋にしまう。
そして、二度と振り返らず、病室を出ていったよ。
俺が退院した時、すでに彼女は引っ越していた。
あの日の事故のことについて、俺はもっと聞きたいことがあったが、それももう叶わない。けれど、彼女がどうにか仕組んだことだと、俺は今でも思っているんだ。
彼女をあれほど病ましめた「彼」。いったいどんな奴が、あいつには見えていたんだろうか。




