送迎の架け橋
やっぱり西部劇ってカッコいいなあ。久々にテレビで見たよ。
こーちゃんもやったことない? カウンターでグラスを滑らせる奴。あそこの「ミルク」をめぐるやり取り、いつ見てもシビレルう!
——カウンターに傷がつくから、実際にはあんなことやらない?
わーってるよ、そんなこと。決闘で外に出ると、丸まった枯れ草が転がっていくのだって、不自然極まりない。あれと同じことっしょ。
でもさ、世の中パフォーマンスがなかったら、退屈じゃん? 洗練された無駄のない無駄な動き、とはまたちょっと違うけどさ、あのスタイリッシュ受け渡し、イカすじゃない?
あ、でもね。ああいう受け渡しって、気を付けないといけない場面もあるって、聞いたことがあるよ。単なる事故以外にもね。
こーちゃんには話したことがなかったっけ? ちょっと聞いてみない?
「綱渡り」という言葉があるように、人間は限られたスペースを持って、活路を見出すことに、特別な感情を抱きがちな生き物らしいね。
糸、橋、板の上。さらされる命の違いはあれど、それがしがみつく寄る辺としては、どうか途切れないことを願われるものばかり。
学生の時分でも、この手の競技をやらされることがある。平均台だ。
僕自身、器械運動の類は、さほど苦手じゃない。バランス感覚には自信があったからね。
でも、いとこのねーちゃんは、そうはいかなかったって。なんでも、極端な高所恐怖症でさ。たとえ数十センチ浮いたところでも、恐怖感を覚えてしまうらしいんだ。
そんなねーちゃんが、体験したことになる。
ねーちゃんが住んでいるところは、昔から定期的に震災があった地域なんだ。ほぼ40年ごとに地震が来ている。
今は前の地震から50年経ってもやってこないから、「来る来る詐欺」じゃないかって、噂する人もいるみたいだ。
前回の大きな地震で、たくさんの犠牲者が出たその地域。また同じようなことがあった時に、被害を少なくしようと、防災訓練に力が入っているらしい。
そのカリキュラムの一環なのか、ねーちゃんの地域の学校では、運動会に借り物競争や障害物競争など、コミュ力や運動能力を求められる種目を、積極的に取り入れており、しかも全員参加なのだとか。
先ほども話した通り、ねーちゃんは平均台が苦手だ。遠くを見れば大丈夫だと言われても、バランスを崩したら、どうしても足元に目が行ってしまう。
一度、平均台の上でジャンプをしてみる時間が取られた時、もろに足がずれ落ちて、身体を強打したらしい。
痛みよりも、あの足元が地獄まで吸い込まれてしまいそうな感覚に、トラウマを植えつけられてしまったんだって。おかげで踏み外さないよう、踏み外さないように、慎重に足元を見ながら、台を渡っていく癖がついてしまったんだとか。
同じような経験をした友達も何人かいて、平均台の時間は、とてつもないストレスだったとか。
けれど、障害物競争に含まれる必修種目。練習をしないわけにはいかない。
サボろうとしたら、親も先生もうるさいし、周りもどんな目で見てくるかわからなかった。一応、学校では「いい子ちゃん」で通っているからだ。そのイメージを崩したくなかったって言っていた。
元々、防災訓練の意味合いが強かったのだろう。平均台については担当の先生方も、力の入れ方が違った。
平均台に乗る時に、「行って来い」とばかりに、背中を押される上、あまりに歩みがのろいと、進んでいる途中でも、足をはたかれるんだ。
先生の指導は非常に危ない。バランスを崩して、落ちてしまう子が相次いだ。そのたびに、「この程度では揺らがない平衡感覚を身につけないと、生きていけないぞ」と、ねーちゃんたちを叱る始末。
まだ幼いねーちゃんたちに、ボイコットする勇気はない。泣きそうになりながらも、先生の鬼指導に、ついていくしか考えられなかったって話していた。
そして、運動会の当日。
応援に来てくれた両親の姿を見かけて、ねーちゃんは憂鬱になった。
障害物競争で無様をさらしかねないことを考えたら、「見に来ないで」という気持ちでいっぱいだった。実際に、昨夜も親に話したけれど、聞く耳を持ってくれなかった。
我が子が運動会で頑張る姿を見られるのは、生涯に何度もない。ならば見ないわけにはいかない。
そんな気持ちだったんじゃないか、とねーちゃんは話してくれていた。
さっさとこの地獄を終わらせてほしかったが、あいにく障害物競争は、トリの種目。
他の種目も、おいしいはずのお弁当も、ねーちゃんの緊張を解きほぐすには至らなかったみたい。
そして、逢魔が時。
人間、事ここに至ると、変に緊張しなくなるらしい。多分、やぶれかぶれだったんだ。
号砲とともに、ねーちゃんは走り出す。一刻も早く地獄から解放されるために。
網をくぐって、トンネル抜けて、タイヤにキャタピラ、地獄は続く。
バットぐるぐる回った後に、最後の関門、平均台。どうにか視界を取り返しつつ、ねーちゃんは最後の関門に挑みかかった。
数台ある平均台の前には、授業でやった時と同じで、もれなく先生方がついていた。
ねーちゃんはせかされるがままに、平均台に足を乗せる。これさえ終われば、解放される。最後の勇気の振り絞りどころだった。
ところが、その日は何かが違う。いつもなら、震えが止まらず、恐る恐る踏み出す足が、今度はひとりでに前に進んでいく。まるで、平均台に吸い付いていくような一体感。滑るような足の運びだった。
練習の成果、などと喜んでいられない。仮に止まろうとしても、足の動きは鈍るだけで、決して凍りはしなかった。
叫ぼうとしたけど、口が動かない。バランスをとるために、広げた両腕も動かせない。ねーちゃんにできるのは、滑る両の足先に、こわばる視線を落とすだけ。
台を踏み外す気配がしない。感覚からして、もうすぐ台が終わるはずだ。今まで下を向いていたねーちゃんは、最後に顔をあげた。
平均台の残り1メートル。
そのゴールに、青白い顔をした老婆が、両腕を大きく広げて立っていた。まるでねーちゃんを抱こうとするように。
ボロボロの防災頭巾をかぶり、もんぺをまとったその体は、枯れ木のようにやせ細り、頬はこけて、しわだらけ。開いた口には、歯が見えない。
ねーちゃんは喉の奥から悲鳴を漏らす。相変わらず、声が出ない。
応援してくれているみんなは、老婆の姿など見えないよう。誰も咎める者がいない。
行きたくない。けれど足は止まらない。
ねーちゃんは必死に台から飛び降りようと、もがいてもがいて……ゴールまで数十センチのところで、台を踏み外した。
わっと、声があがる。平均台の踏み外しは、スタートからやり直しだ。その間に、みんなは次々と先に進み、ねーちゃんは首位争いから脱落した。
ねーちゃんはその場で泣き出してしまい、先生の一人に連れられて、保健室に連れていかれたそうだ。けがも何もなかったが、休むように言われる。
ただ付き添っていた先生が、去り際に「ちっ」と小さく舌打ちをしていくのが聞こえたらしい。
ねーちゃんが過去の地震の記録を洗ったところ、40年周期が崩れた時期が何度かあった。戦や他の天災以外にも、いけにえの儀式によって、犠牲が出た時期と一致しているんだってさ。
あの平均台は、いわば「贄」の送迎の架け橋だったのかも、とねーちゃんは今でも思っているんだとか。




