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暗闇鬼の食事

 おー、こーくん。遅くまで執筆お疲れさん。

 まるっきり、昼夜逆転現象だな……特にその食いっぷり。これから戦場に赴く武士のごときだな。そりゃ、こーくんの戦場はパソコンの中かも知れないだろうけど。

 だが、ほどほどにしときなよ。夜はあまりカロリーを消費しないから、あっというまにおデブちゃんの仲間入り。

 生き急ぐのを止めはしないが、私はこーくんが長く頑張っている姿を見ていきたいんでね。いくら加速しても、稼働時間が縮んでしまったら、結局はたどり着けずに終わってしまう。

 早く、しかし長く続ける。この妥協点、上手く見つけ出してくれよ。

 ――む、健康のために、何か話を聞かせて欲しい?

 やれやれ、この期に及んで、胃袋だけでなく、頭袋まで活発とは、まったく恐れ入る。

 そうだなあ。では、こーくんの食べっぷりに敬意を表して、いっちょ食事にまつわる話と参ろうか!


 今でこそ一日三食の習慣が広まっているけど、それはいつ頃からか知っているかい?

 説は色々ある。庶民の間に完全に広まったのは、江戸時代。

 肉体労働者の数が増え、これまでの一日二食では、空腹を賄えなくなってしまったからという考えがある。

 

 しかし、発端はいつかというと、鎌倉時代らしい。

「釜」の普及が広まってね。「米を炊く」ことができるようになったんだ。

 これは歯が弱いものでも、容易に米を味わえる画期的な発明だったらしいね。だが、消化の良さゆえに空腹感を覚えやすくなるし、栄養も不足気味。

 とても二食では足りぬ、と戦に臨む武士たちは、間食の量を増やし、やがては時間をかけて一日三食にシフトしていった……という話だ。

 逆を言えば、平安時代までは米を蒸して作っており、白米はかなりのぜいたく品。メインで食べていたのが玄米であることも手伝って腹持ちもよく、一日二食で済んでいた……というのは、表向きの話。

 実は一日二食で済んでおいた方がいい理由が、別に存在していたんだよ。


 彼は貧乏貴族だったらしい。

 急逝した父親の後を継いで、若くして宮中に入ったんだ。

 とはいえ、重要な仕事を任されるはずもなく、誰にでもできるような雑務をこなし、あっという間に終業の時間になる。

 当時の貴族の勤務時間は、非常に短い。午前7時ごろに出勤して、昼前には仕事が終わっていた。

 家に戻って昼ご飯。自適に過ごして、夕ご飯。眠くなったら寝てしまう。そんな生活だったらしい。今の社会を生きている「企業戦士」だったら、目の色を変えてしまうくらいの、だらけ具合だよ。


 しかし、遊び惚けているように思われがちな貴族にとって、仕事の後はとても大事だ。

 マナーや常識を持っている教養。優れた詩歌を詠んだり、蹴鞠をしたりする技術。それらを身につけ、「みやび」であることこそが、貴族社会の中での存在意義だったという。

 彼は仕事から帰るたびに、明日の仕事までの空き時間を利用して、猛勉強を続けたらしいんだ。

 それでも、一朝一夕に年季の差を埋められるわけがなく、仕事仲間たちから、見下されることが多かったようだね。


 彼には、今は亡き母親から戒められていることがあった。


「日の暮れている間は、物を食べてはならぬ。夜は悪鬼の時間。鬼を呼びこむことになろう」


 夜遅くまで学び続ける彼にとって、空腹は何より辛いものだった。まだ若いためか、夕食にいくら食べても、夜が更ける頃には腹の虫が鳴り、目の前のことに打ち込むことができなかった。

 少しでも集中できる時間を増やさなくては。

 焦る彼は、貯蔵してある魚の干物をかじりながら、その日は勉強を続けたらしいんだ。

 けれど、やがて彼は母親のいう悪鬼の正体を知ることになる。


 初めて夜中に干物をかじった日から、彼は夜にものを食べることが欠かせなくなってしまった。

 歌を一首詠んではかじり、巻物を読みながらかじり、月明かりの下で一人蹴鞠をする時も、干物をくわえたままだった。

 そのうち、お腹がすいている、いないは大した問題ではなくってしまう。何かを口に入れていないと、わびしくて仕方がないんだ。彼が食べる量は、毎晩、少しずつ増えていった。

 そうするとな、ついてくるんだよ。お腹に。

 かつてはやせ細っていた姿が、じょじょに貫禄をつけていった。横幅的な意味で。

 詩歌も蹴鞠も、少しは上達してきて、周りを見回す余裕も出てくる。


 よく見れば、それらの達人と呼ばれる者たちは、横にも長く広い者が多くいた。

 今までは、元より持っている奴らばかりで、普段よりぜいたくをしているから、あのような姿になるのだと感じていた彼だけれども、今は少し考えを改めるようになっていた。

 彼らの中には自分と同じく、夜を徹して学びながらも、つまみをともにしていた者がいたかも知れないと、思い始めたんだ。

 やがて最低限、恥ずかしくない教養を身につけた彼は、ある日、翌日の仕事後に行われる宴会に呼ばれた。

 なり上がりのきっかけをつかむ好機。彼は二つ返事で了承したそうな。


 夜。今までの勉強癖が染みついてしまった彼は、歌を数首詠んでから、床に入ろうとした。

 しかし、つまみ癖も抜けてはいない。その日も干物をかじろうと思ったのだが、あいにく切らしてしまっていた。

 買い物ができる時間帯ではない。明日の宴会のために、我慢して眠るか、と思い始めた矢先のこと。


 家の戸を叩く者がいた。何事かと出てみると、そこには女の姿があった。

 手入れの行き届いていない髪。ボロボロの衣服。足は履物をはいていなかったらしい。


「干物、要りませんか」


 彼女は手に、彼がいつも食べているあじの干物をつかんでいた。

 このような夜中に、自分の望みの物を持ってくる。この女は何者なのだろうか。

 彼が迷っていると、彼女は更に告げた。


「これ、食べれば、あなたは明日を失う。食べざるならば、全部を失う。どちらがいい?」


 片言で話す彼女の言は、とうてい信じがたいものだった。

 しかし、異様な風体と言葉は、どこか断り切れない響きを乗せて、彼の目と耳に届く。


「くれるのならば、もらっておこう。いかほどか」

「お金いらない。もらうの、あなたの時間だけ」


 彼女は半ば押しつけるように、彼に干物を渡し、さっと背中を向けて、音もなく去っていく。

 家の中に入った彼は、干物をしげしげと眺める。特に汚れている様子もなく、おかしな臭いもしない。

 毒を盛られている可能性もあったが、自分を殺したところで、得をする者がどれだけいるのか、考えてみる方が難しい。


 そして、先ほどまでは感じなかった食欲が、腹の虫と共に動き出すのを感じた。

 せっかく手に入れたもの。少しだけなら、構わないか。

 彼はほんの一口、二口で済ませるつもりだったが、お腹の虫は止まず、結局、干物を平らげてしまった。

 もう夜がすっかり更けている。まだなり続けているお腹をさすりながら、彼は横になった。


 その日の朝。彼は猛烈な腹痛に襲われた。

 まっすぐに立って歩くことさえ難しく、下っ腹が緩みに緩んでしまい、身動きが取れないのだ。

 せめて誰かに伝えられたら良かったのだが、彼は気に掛ける価値すら怪しい貧乏貴族。勤務の時間がやってきて、その時間も終わり、宴会の時間になっても彼の腹痛はおさまらなかった。

 大事な好機を無駄にしてしまった。そんな後悔ばかりが、彼の頭の中でうずまく。

 彼のお腹は夜更けには収まったものの、気分はふさがるばかり。

 明日からみんなに、どのような顔で会えばいいのだろう、と暗澹あんたんたる心持ちだったそうな。


 しかし、翌早朝。

 仕事場に一番乗りした彼だが、いつにない騒ぎが起きていた。

 聞いたところによると、昨日の宴会に出席した者たちが、帰宅前後で次々に倒れ、危篤の状態。すでに亡くなられた方も何人かいるという。

 食べたものの中に、何か毒を含んだものが、混じったのではないか、とうわさがされていた。


「これ、食べれば、あなたは明日を失う。食べざるならば、全部を失う。どちらがいい?」


 彼女の言葉が、彼の脳裏にふと蘇った。

 この惨事によって、人事は入れ替わり、彼自身もわずかながら地位が上がったとか。


 以降、彼はゲンをかついで、ますます夜の食事に力を入れるようになってしまう。

 最終的に彼はそこそこの地位にまで出世したが、晩年にはでっぷりと太ってしまい、様々な病に悩まされるようになってしまう。


 苦しみの中で、彼はやはり、自分が鬼を呼びこんでしまったことを悟った。母の安らかな死に際を知っているだけに、今の苦痛は親の言いつけを破ったためとしか思えなかったんだ。

 そして、残った家族にも、かつて自分が母より教わった事と同じ。夜が更けてからの食事を戒めたんだそうな。

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