ドキドキを教えて
つぶらやくんは、ひとめぼれとか胸キュン、とかをどこまで信じるかしら。
私? さあ……どうかしらね。な・い・しょ。
――え? 内緒にしたり、はぐらかしたりする奴は、たいてい未経験?
ふふ、なかなかの洞察力ね。それでも、たまには騙されたふりして、言葉に乗ってあげなさいな。話した人の、気分が良くなってくるから。
君の言う通り、私はひとめぼれというものを、信じていない。厳密には、信じなくなったかな。自分で自分の気持ち、分からなくなっちゃった、とかいうと小説っぽいかしらね。
つぶらやくんは、自分が感じているものを、絶対に100パーセント信じることはできそう? それが知らぬ間にねじ曲げられていたとしでも?
確たる存在であるはずの自分を、疑わないといけなかった話。聞いてみる気はない?
私にとっての初恋……といっていいか、定かじゃないけど、男子に興味を持ったのが、小学校2年生の時だったかな。
私、成長期が早かったのよね。この時期、ぐんぐん背が伸び始めて、新しい服を用意し出したことを覚えているわ。
夏休みが終わり、久々に会った、クラスの中の一人。外国で買ったというシャツを着て、小麦色に焼けた彼を見た時、いきなり胸が痛くなるのを感じたわ。
まだ恋愛のれの字も知らない私は、この痛みを、けがや病気の一つにしか思わなかった。
親に相談しようか、とも思ったけれど、家に帰って、ご飯を食べて、お風呂に入って、布団に横になる頃には、すっかり収まっていたわ。
あの高鳴りは、いったい何だったのだろうと、夢の中を漂いながら、私はぼんやりとしていたわね。
翌日。彼ともう一度顔を見合わせる。
昨日と同じ服、同じ格好だったけれども、その日の私の胸は、ピクリとも彼に反応しなかった。あの時にこみ上げてきたものが、まるで霧をつかもうとするように、手ごたえがなかったの。
やっぱり気のせいだったのかしら、と私はいささかがっくりしたけれど、すぐに新しい刺激が待っていた。
その日は調理実習があって、スイートポテトを家庭科室で作ったわ。上級生へのプレゼントということでね。私たちのグループは、サッカークラブに所属していた一人に渡すことになっていたわ。
無事に完成し、渡す段になって正面から彼と向き合った時に、突然、私の胸が跳ね上がった。顔まで急に熱くなるのを感じる。
グループの友達や、プレゼントをあげる上級生まで、一様に「大丈夫?」と私に声をかけてくる。
当時のピュアだったみんなに感謝をするわ。もうあと3年ばかり遅かったら、あらぬ期待と疑いを持たせるところだった。
私はみんなに一言告げて、保健室に直行したけれど、その時には、胸の動悸も顔の紅潮も、すっかり収まっていた。逆に「どこが悪いの」と保健の先生に、心配されてしまうくらいの健康体。
何に振り回されているのか、私自身も分からなかったわ。
それからも、私の節操ない一目惚れは続いた。
ある時は、別のクラスメート。ある時は上級生。のみならず、学校の先生、私より年下の幼稚園児、通りすがりのおじさんや、おじいさんまで。
一体、自分はどうなってしまったんだろう、と内心不安になったわ。思い切って親に話して見たけれど、「そんなにいっぱいの人を好きになって、あなた、意外と優しいのね」なんて、的外れなコメントを残される始末。
このドキドキが、本当に好きってことなの? 私はしばしば来る痛みに、翻弄されっぱなしだった。
そして、原因の糸口をつかむことができる日が、ようやく来る。
その日。私はサッカーの決勝戦を見に来ていた。好きな選手が所属しているチームの応援にね。いつもテレビで、チームのユニフォームを着ながら、彼のプレイを見るたびに、鼓動が早まるのを感じたわ。
この頃には、私も恋愛にそれなりの関心を持っている。同じ人に抱き続けるこの思いこそ、本当の恋なんだって、強く信じるようになった。今まで発作のようにやってきて、あっという間に過ぎ去った興奮は、まやかしの恋なんだって、強く言い聞かせていたの。
生で見る、彼のプレイは素晴らしかったわ。3人をドリブルで抜いて、叩き込んだあのゴール。私の中でも、屈指の名ゴールシーンだったと思っている。
けれども、ナイスゴールだろうと、ペナルティキックだろうと、1点ずつしか入らないのがサッカー。
彼のチームはその1ゴールだけで、相手チームは反則でもぎ取った、ペナルティキック2本を確実にものにして、彼のチームを下したわ。
盛り下がる観客もいたみたいだけれど、私は彼のプレイを見られれば満足だった。試合終了の笛が鳴った時でも、続く高鳴り。彼のことが大好きなんだと確かめられた。はずだった。
異変は、ユニフォーム交換の時に起こったわ。
キャプテンだった彼は、相手チームのキャプテンと、グラウンドでユニフォームを交換した。彼の鍛えられた肉体にほれぼれする人もいたけれど、私はそれどころじゃない。
相手チームのユニフォームを着た彼に、私はまったくときめかなくなってしまったの。文字通り、熱が冷めてしまった。
それに対して、彼のユニフォームを着た、相手チームのキャプテン。悪いけど、今の今まで眼中になかったのが、急激に私の感心を引きつけ始めたの。
信じられなかった。私は、人に恋をしているんじゃない。服に恋しているんだと、その時は思ったの。
けれど、それは半分だけの正解。完全解答は別にあった。
小学校低学年だと、女子と男子の垣根は、まだまだ低かった覚えがある。
私はあのサッカーの試合以来、節操もなくドキドキしてしまう自分が、気持ち悪くなってしまった。
その日も、一緒に遊んでいる男子の1人が、やたらと私の目をひいて、ドキドキしちゃっていたわ。
幸か不幸か、遊びはケイドロ。私が逃げて、男子が追っ手。誰よりも遠く私は逃げたけど、息切れ以上に、胸のドキドキで苦しかった。前を向いて必死に走っていたけれど、後ろから触られる感触があって、「ああ、捕まった」と思ったわ。
けれど、悲鳴をあげたのは、私じゃなくて彼の方だった。
振り返ると、彼が触れた私の服の一部分。そこの繊維がほどけながら、彼の腕に絡みついて、葉脈のようにびっしりと筋を張っていた。触った途端に、ぞわぞわと腕を駆け上がってきたって、彼が話していたのを覚えている。
繊維は彼の服の袖口にまで、絡みついている。手では引きはがせなくて、私たちは近くのとがった石で切断して、どうにか離れ離れになったわ。
それでも彼の服に絡んだ分は、まるで縫い付けられたように、頑固にしがみついて離れようとしなかったわ。
みんなが近づいてくるのが見えて、何とかごまかすことで同意。私たち二人だけの奇妙な体験として、内緒にすることにしたの。
服が服に恋い焦がれるなんて、誰も信じやしないだろうし。
そのことがあってから、今まで、私は自分のドキドキが、疑わしくて仕方ない。
この高鳴りは、本当に私自身のものなのか。それとも着ている服のものなのか。
つぶらやくんも、注意してね。私がやけにしおらしい態度をとったら、このせいかもしれないから。
それでも、私は知りたい。私自身の本当のドキドキを。
だから、つぶらやくん。虚構でも現実でも構わないから。
私に、ドキドキを教えて。




