イザナミの子供たち
う〜、さぶい……つぶつぶは大丈夫? 風邪とか引いてない?
あたしはもうダメダメ。寒いし、のどは痛いし、鼻水は止まらないし……こうしている今も、なんだかぐらぐらしてきそう。けど、欠席日数はおさえたい所だし、根性、根性よ。
こう、辛い体調だとさ、気持ちが沈んでくるのよね。目の前の相手が原因だったら、即座に叩き伏せて、ギューッとぞうきんみたいにひねってやるのに、見えないからねえ。
実際、私たちは気を抜いてしまえば、命すらなくしてしまうかも知れない危険と隣り合わせになっているのに、慣れ親しんでしまって、距離感をあやまりがちになるわ。
打てる手が限られていた昔なんか、領域を踏み越えるだけではなく、元いた領域さえも、壊してしまうことすらあり得たそうよ。
ちょっと危ない私が語る、ちょっと危ない昔話。聞いてみる度胸はあるかしら。
むかし、むかしのこと。山で猟師をしている男がおりました。
彼が住んでいる地域は、鳥や鹿といった獣が数多くおり、生きていくのに困ったことはありませんでした。
しかし、ある時から、「金」というものが、住んでいる村にやってきたのです。
あっという間に浸透した、経済という概念は、村の根底を揺るがしました。金なくしては生活に必要なものを買いそろえることすら、ままならなくなったのです。
これまでは、肉、皮、木の実などをこぞって持ち寄り、時には飛びついてきたみんなが、今度は、煮ても焼いても食べられない、金属の塊に夢中になっていく。
彼にはその様子が、何かに憑かれてしまったかのようで、空恐ろしく感じたのだとか。
しかし、金の怖さはじょじょに彼の生活もむしばんできます。
これまで、自分たち猟師が時間をかけ、危険を冒すことによって手に入れてきた、動物の肉を始めとする、様々な自然の糧。これらは金さえ積めば、商人を介することで、苦も無く手に入れられるようになったのですから。村人たちはわざわざ猟師に頼る必要を見い出せなくなっていきました。
物々交換に頼れなくなり始めた猟師たちの中には、新しく商売を始めて、生業とするものもおりました。ですが、彼を含めた何人かは、俗世になかなか馴染めず、相変わらず山を友に暮らす日々。その歩みは、木を樵りながら、山の奥へ奥へと向かっていきます。
ありきたりなものではいけない。誰もがこぞって買い付けるほどの珍しいものを見つけることこそ、自分たちの存在意義だと思い始めたのです。
ある日。仲間の猟師たちと共に、奥深く分け入った山の中で、彼は一つの集落を見つけます。
最近、自分たちの村で見られるようになった、麻や木綿の服ではなく、毛皮でできた服をまとっています。個々人の頭には、白いハチマキが巻かれて、その間に2本の榊の枝葉が、それぞれ頭の左端と右端に、角のような配置ではさまっているのです。
拝み屋の村だろうか、と彼らはいぶかしみましたが、まだ入り込んだことのない、未知の野山を歩いたせいで、疲れがたまっています。休ませてもらえないか頼んだところ、こころよく受け入れてもらえました。
この村には、まだ金という概念がなく、物々交換によって生活が成り立っており、彼らは懐かしい気持ちになったといいいます。
同時に、今まで溜まっていた不満もあるのでしょう。彼らは酒の席で、自分たちの生活を脅かす「金」という存在について、ぶちあげたのです。
それを聞いた彼らは、顔を見合わせましたが、やがて彼らに問いました。
「あなたがたは、その金というものが、欲しいのですか」と。
一瞬、彼らは戸惑いましたが、やがて静かにうなずきます。
疎ましいものでありながら、もはや持たざるを得ないものであることを、彼らは味わっていたからです。
「では、これよりあなた方に、我らがまじないで、運を授けるといたしましょう。あなたがたの強い意思と行動あらば、必ず望みは叶います。されど、弱き者ならは立ちどころに命を落としかねませぬ。短く儚い、己の生。長らえたくば、とく、この場を去るがよいでしょう」
この脅し文句におびえ、辞退した者は、村から離れるように言われます。そして、残ったのは、彼を含めて3名のみ。
3人は昼も夜も村中をあげた祈祷が行われる中で、3日間を村で過ごすことになりました。4日目の朝を無事に迎えた者にのみ、祈祷の運がもたらされるとのことです。
無事に迎えられるとは、どういうことなのか。もしや、密かに命を狙われるのか。
そう思った3人は、3日目の夜には、各々の得物を手放さず、すぐに逃げ出せるように、村の入り口で、ひとかたまりになっていたそうです。
逃げ出す、という選択肢がなかったのは、それほど金に対し、憎たらしいと思うくらいの執着があったのでしょう。
4日目。いつの間にか眠っていたらしく、気づいたら日が昇っていました。彼は自分に寄りかかる二人の肩をゆすりますが、反応がありません。
もしや、と思い、そっと顔の前に手を当ててみたところ、息をしていないのです。脈もありませんでした。
しかし、二人に外傷は見当たらないのです。門外漢の彼には、詳しい死因は分からず、自ずから息を引き取ったようにしか見えません。
彼が困惑していると、声がかかります。
「おめでとう。あなたは加護を賜りました」
顔を上げると、この村の人々が彼を取り囲んでいたのです。
誰も武器の類を持っていません。それが逆に、彼の恐れを煽りました。
「資格なき2人は、とこしえの眠りにつきました。対して、あなたは見事に儀式を超えられた。あなたの望む金は、意志と行動あらば、いくらでもつかみ取ることができるでしょう。あなたと同じ、加護を持つ者が、相対することがない限り。さあ、お行きなさい」
淡々とした口調で告げる村人に、彼は腹が立ちながらも、引き下がるしかありませんでした。いくら武装していても、この囲まれた状態では、暴れたところで袋叩きにされて終わりです。
去り際に、彼は尋ねます。「あなたたちは、何者か」と。
村人たちは、答えました。「私たちは、イザナミの子供たち」と。
数日ぶりに村に帰った彼。
家族や、あの時の誘いを辞退した者たちに出迎えられて、無事を祝われます。彼は心の中に引っかかりを覚えながらも、あの村で死んだ2人のことは、上手く波風が立たないように伝えます。
彼らの家族は悲しみましたが、「山に生きる以上は、これも定め。あなたは彼らの分も生きてちょうだいよ」と逆に励まされる始末です。まかり間違っても、真実を伝えるわけにはいきませんでした。
その日は家族に囲まれて、ささやかな温もりを味わうことができました。あの村で味わった、どこか疎外感が伴う特別扱いよりも、はるかに温かいものです。
あの村でのことは忘れよう。金にこだわらずに生きて行こう。彼は床に入る時に、そう決心したのです。
しかし、イザナミの子供たちのいう加護は、間違いなく、彼につきまとっていました。
翌日。彼の家族を含めて、彼に接したすべての人が、次々に息を引き取ったのです。
怪我をしたわけでもなく、健康に過ごしていたのが、急に苦しみだして、数分と経たないうちに死んでしまう、という有様だったのです。その死に顔は、あの村で死んだ2人にそっくりでした。
しかし、あの村での出来事を詳しく話す勇気が彼にはありません。もしかしたら、自分の受けた加護のせいかも知れないのです。
村のみんなは、残された者として、彼にお悔やみの言葉をかけ、進んで葬式の段取りを進めてくれます。この気遣いに、彼の心は、呵責にうずいて仕方なかったのです。
自分に近寄らない方がいいかも知れない、などと、準備をしてくれる皆に、どうして言うことができるでしょうか。
そして、彼の予感は的中します。
翌日。今度は村中のほとんどの人が、同じ症状に倒れてしまいました。先の家族を弔うどころか、ますます葬式が増えるばかりです。
「確かに、こうして人がいなくなれば、富を手にするとこはたやすかろう。だが……」
金を得たところで、それを使うべき相手がいなくなっては、意味などありません。
みんなを弔わねばなりませんが、外から誰かを招いて手を借りれば、同じ被害が出る可能性があります。
彼はその日を生き残った、自分と同じ「加護を持つもの」と思しき、住民たちを集めて彼らを弔いました。そして、あの村であったことを全て打ち明けると、みんなの前から姿を消してしまったとのこと。
後日、彼から聞いた村を訪れようとした人はいましたが、「イザナミの子供たち」は見つけることができなかったということでした。
どっとはらい。
つぶつぶ、「加護」の正体。あんたにも検討ついたでしょ。
私もそう。病原菌だと思っている。
「イザナミの子供たち」は、普通の人ならたちどころに死んでしまうような、恐ろしい菌を保持しながらも、生き永らえた人々が、身を寄せ合った者なんじゃないか、とね。




