ほおずり姉さん
どうだい、こーちゃん。およそ40年に渡る特撮ヒーローもの、限定フィギュア全集。すげーだろ。
こいつなんて、お値段はそんじょそこらのおもちゃより、0が2つか3つばかし多い。出荷数が少ないのが原因らしいぜ。持っているだけで、マニアの間じゃ一目置かれる物品だ。
コレクションって、鑑賞するのも楽しいが、持っているだけでもわくわくしてこないか? こう、限りがある逸品を自分が手に入れている。がめている。生ける歴史を保持している。これって、たまらない特別感じゃね?
自分にとっての栄光の残し方って、色々あると思う。スポーツ選手でも、優勝カップにキスしたり、メダルをかじったりといったパフォーマンスをすることがあるな。
だが、ああいうものは、本当にただのパフォーマンスなんだろうか? 俺はある時から、そんなことを考えているようになった。
俺が小さい頃。家の近所に、一人暮らしをしている大学生と思しき、お姉さんがいた。サラサラした黒いお姫様カットでさ、「年上の異性といったら、あのお姉さんだ」というイメージを植え付けられちまったよ。
公園で遊んでいると、時々、姿を見かけるんだ。たいていは両手で持てるくらいの、子犬や子猫を抱えていた。飼い犬、飼い猫らしく、頭をなでたり、ほおずりしたりしていたことをよく覚えている。
特にこのお姉さん、ほおずりが大好きらしくてな。まだ幼稚園くらいの俺たちも、色々なことにかこつけて、ご褒美代わりに、してもらったことがある。よこしまな考えを抱かない、あの純粋だった頃が、今となっては、うらやましくもあり、もったいなくも思うな。
俺、一人っ子だったから、両親にえらく可愛がられて、ほおずりをされたことがあったけれど、お姉さんの気持ちよさには及ばなかったな。
親父はひげの剃り跡がじゃりじゃりして、「ひげ攻撃」とか自嘲していたし、母親は寄る年波に勝てず、肌ががさがさしちゃってるんだよ。張りがあって、弾力に満ちたお姉さんのほっぺたを体験した後だと、気持ち悪ささえ覚えちまう。
俺以外にも、お姉さんのほおずりが気に入っている奴も多くてな、誰がその日、ほおずり一番乗りの座を手にできるか、影で争ったこともある。二番目以降なんて、気色悪いとかも思っていたな。犬や猫のほおずりとかはノーカンにする、妙な身勝手さはあったけど。
見事に晴れが続いた、ある日のこと。公園でお姉さんのほおずりを堪能した後、一度、家に帰った俺は、忘れ物をしていることに気がついた。
今日は泥遊びということで、バケツとシャベルを持ち込んだんだが、シャベルを置き忘れていたことに気づいたんだ。
親はまだ帰ってきていない。いつもは優しいが、持ち物に関しては厳格な両親。忘れ物が判明したら、不快なお小言を食らうことは、今までの経験から分かっている。なら、避ける方法も明白だった。
俺は公園に向かう。夏場でもすでに日は傾きかけている。小学校低学年の俺にとっては、まだまだ危ない時間帯でもあった。
俺は記憶を頼りに、砂場を漁ったけれど、なかなか見つからない。誰かに間違って持っていかれてしまったかと思った時、背後から声がかかった。
「これ、君のシャベルじゃないの」
例のお姉さんが差し出してきたのは、まぎれもなく俺のだった。
お礼を言って受け取ったのだけど、シャベルは不思議と泥がまったくついていない、きれいな状態だった。洗ってくれたのかな、とも思ったが、お姉さんがきびすを返した時、俺はぞっとする。
ちらりと、黒髪の間から見えたお姉さんのほおは、泥だらけだったんだ。白いお姉さんの肌という海に浮かぶ、汚らわしい島のように目立つもので、俺は怖くなった。
もしかして俺のシャベル。ほっぺたにこすりつけていたんじゃないだろうか、と思ってな。去り際にお姉さんはつぶやいたよ。「もっと色々、試さなきゃ」ってな。
それから、お姉さんのほおずりを気味悪がるようになった俺は、その警戒心のためか、町中で時々、遠目に彼女の姿を見かけるようになった。
お姉さんは他人が周りにいる時には、ごく普通に振る舞っている。だが、他人がいなくなったとたん。
ほっぺたをこすりつける。もう、あらゆるものに。
家の壁。駐車している車、立ち読みしている雑誌……節操なく、だ。
彼女の動作は早く、ひとこすりに一秒も要していない。彼女に関心を払っていないものは、気づかないか、もしくは、見間違いかと思ってしまうほどの早業。
俺はあんな人に、ほおずりしてもらっていたのかと、鳥肌が立つのを感じる。仲間にそのことを話したことがあったが、彼女の色気に夢中なみんなが信じるはずがなく、かえって俺がバッシングされる結果となった。
構わない。何に触れたか分からないほおが押し付けられるなんて、俺にはごめんだったから。
そして、時はやってきた。
お姉さんは、俺の住んでいるマンションの最上階に姿を現わしたんだ。
マンションは、昼間、ほとんどの住人が外に出ている。他にどれだけの人が気づいていたか分からないが、俺は彼女の動向におっかなびっくりだったから、見つけることができたんだと思う。
階下から見上げる彼女は、屋上の貯水槽にほおずりした。俺にとって、すでに見慣れた、気持ち悪くなる速さで。
すると、どうだろう。彼女の黒い髪の毛は、瞬く間に炎に包まれた。たちまち炎は彼女の身体を覆いつくし、火だるまになりながら、彼女は両手を空に掲げながら叫んだ。
「雨よ!」て。
ほどなく彼女の姿は炎に包まれたままくずおれて、動かなくなってしまう。だが、彼女の身体からは、真っ白い煙が、勢いよく立ち上るのが見えたよ。
数秒後。数週間続いた青空へ、不意にどす黒い雲が湧き出した。雷が鳴り出し、ぽつぽつと雨が降ってきたんだ。
周囲のみんなは、急に降って来た、予報にない雨に大騒ぎ。向かいのマンションでは、洗濯物を取り込む人たちの姿も確認できた。
俺は屋上へと駆け上がったが、屋上には燃え尽きてしまったように見えたお姉さんの、灰も炭も焦げ跡も、まったく残っていなかった。
ただ、例の貯水槽。彼女がほおをこすりつけた場所には、黄土色の表面にそぐわない、虹色の太い筋が入っていた。ちょうど、ひとのほっぺたくらいの幅を持った、な。
それから、お姉さんは姿を見せていない。俺は彼女のことを、神様が用意した、天候のマッチなんじゃないか、と思っているんだ。




