神様の干潟
冬の海。寄せては返す白い波。潮風にあたりながら、キャンバスに鉛筆を走らせるというのは、何ともいいものですね、先輩。
先輩も手帳開いたはいいですけど、書きつけるものが見当たらないって感じですね。苦虫を潰したような顔をしてますし、少し休んだ方がいいんじゃないですか?
――え? お前が手を止めないうちは、絶対にやめない?
どこまで負けず嫌いなんですか……先輩は手が動いてないんですから、勝負になっていない気がするんですけど〜。
はいはい、分かりました。少し休みますよ〜。ほい、手放しました。先輩も休みましょうね〜。たまにはボケボケしましょうよ。
あ、波打ち際には近寄らないでください。ちょうど満ち潮になる時間です。この辺りって、波足が早いから、うかうかしていると大人も波にさらわれちゃいますよ。ほらほら、遠慮せずに、隣にどうぞ。
ふああ、眠たい〜。まだお天道様も高いって言うのに、昨日、飲み過ぎましたかね。最近、アルコールを飲まないせいか、すっかりお酒に弱くなった気がします。
まだここにいますか? それとも、どこかで休みましょうか? あ〜らら、ブルーシートに寝転がっちゃって、徹底抗戦の意思表示ですかあ。
しょうがないですね。お付き合いしちゃいましょ。先輩の好きそうな話でもしながらね。あ、でも、もし足元が濡れるようなことがあったら、即退散しますので、そのつもりで。
私の住んでいたところって、引き潮の時間帯は地面が露出する、広い干潟があります。満ち潮の時には、海の向こうの祖父母の家も、引き潮の時は歩いて行くことができました。
小さい頃から、自分の家と祖父母の家を行ったり来たりしていましたから、おかげさまで、時間とか潮の満ち干に関しては、警戒が強くなりましたよ。うっかり眠り過ぎてしまったり、夢中になって時間を忘れてしまうと、置いてけぼりを食らっちゃいますから。
最初はこの潮の満ち干に関して、私はただ「そういうものなんだ」と感じていました。けれども、一日も休まずに満ち干を繰り返す海を見ているうちに、どうして海は満ち干を休まないんだろう、と思い始めたのです。
――月の引力のせい、って先輩はおっしゃるつもりでしょう? でも、祖父母が話したことは違ったんですよ。
祖父母は、神様がお帰りになられている、と教えてくれました。
例の干潟が地面になるのは、朝から夕方にかけて。その間は、海の中に住んでいる神様が、空の上を飛び回り、地上を見渡しているのだと。
そして、日暮れ時になると、海の中にお戻りになって休む。お風呂に入る時、ざぶんと湯船に漬かると、お湯が溢れてくるだろう? だから、神様がお戻りになられることで、海が溢れて、潮が満ちるのだよと、話してくれたのです。
私はその説明に、妙に納得してしまいました。神様も大変なんだ、と心配になってしまうくらい。
けれども、祖母は言っていました。神様は気まぐれで、時々、思わぬ時間にお戻りになる。そして、一緒に遊ぶ、遊び相手を求めることがあるんだとか。
私は、その後も時間ができるたびに、祖父母の家に通っていたのですが、2人が亡くなる少し前。ある出来事をきっかけに、ぱたりと遊びに行くことを止めてしまったのです。
あの日は、良く晴れた日のことでした。私は年の離れた兄と一緒に、潮干狩りに出かけていたのです。
干潟には日陰となるものがありません。私と兄は帽子をかぶりながら、熊手を持って貝拾いに夢中になっていました。
まだ海水が満ちてくるまで時間があります。私はぬかるんだ地面に寝そべるのが好きでした。日光を浴びた泥の地面が、ぬくく、軟らかいベッドとなって私を包んでくれる。この感覚が好きだったのです。
泥をかき出して作った穴の中に、横たわる私。その上にドロドロした掛け布団をかけていく兄。しっかり身体を埋めた私は、あまりの気持ちよさに、ついうとうとしてしまいました。
ちょっとのんびりしたら、すぐに出ようと私は思ったのです。
ところが、私たちの場所より、ずっと沖の方から悲鳴が迫ってきました。見ると、何人かの人が、ウォータースライダーのように、水に流されながらこちらに滑って来るではないですか。
波ではありません。水です。地表のすぐ上に、じゅうたんのように広がった水流が、まんべんなく干潟を覆いつつ、近づいてくるのです。
しかし私は、泥のベッドに横たわっている真っ最中。首だけ上が出た状態で、すぐには身動きが取れません。
対して、自由が利く兄は、埋まった私をほっぽって、波から逃げるように走って行ってしまいます。兄を恨みました。
やがて、勢いよく水が顔に叩きつけられて、私は思わず目を閉じてしまいます。
しかし、変なのです。
顔を水に突っ込んだ時は、息苦しさがするはずなのに、それがまったくないのです。水をかぶっていながら、道具なしで息ができるのです。
仙人は霞を食べて生きているという話でしたが、そのような状態に近かったのかも。
遠くへ逃げ出して、すっかり小さくなっていた兄も、水に足を取られて、すってんころりんと転びます。ざまあみろと、私は息のできる水をかぶりながら、にやけてしまいましたよ。
干潟いっぱいを覆いつくし、兄を含めた多くの人やものを乗せた水のじゅうたんは、広がった時と同じか、それ以上の勢いで畳まれていきます。
その強さは、水に漬かっている私の顔が、首ごと持っていかれるのではないか、と錯覚したくらいです。たくさん滑ってくるものがあったのに、私にぶつからなかったのは、奇跡だったかもしれません。
兄がすっかり水にさらわれたあと、私は必死に叫んで人を呼び、助けてもらいます。すぐに海難救助隊が出動しましたが、事態は意外な終息を見せます。
その日の夜。息のできる水にさらわれた人たちは、自力で各々の家に戻って来たんです。
兄も同じくでした。流された時の服装でしたが、その手足は祖父母よりもしわがいっぱいになっており、背中にはフジツボに似た、おできがありました。
兄には、さらわれた直後の記憶はなく、気がついたら家の近くの道路を歩いていたとのことです。
お医者さんでおできはとってもらったのですが、しわは取れることがなく、時間と共に身体中へどんどん広がって、今の兄は全身しわだらけ。年に見合わない、老人のような姿になってしまいました。




