果てしなき「たられば」
おおっと、こーくん、またたくさん本を積んでるな。研究熱心だ。
ええと、「グリム童話」「アラビアンナイト」「デカメロン」……童話とかの研究ってところか。
おじさんも童話を読むのは好きなんだ。こういう話って、多くの人が何世代にも渡って語り継ぐものだから、そこで生活するにあたって必要なことを叩きこむ、一助となっているんだろう。本当に小さい頃からさ。
小さい頃からやれば、何でもできる。無限の可能性がある。けれども、大人を体験したことのない子供はその大事さが分からず、子供を経験したことのある大人は痛いほどに知っている。
大人になってからやり直す。そんなことができるなら、もっと違う自分を目指せた。
夢と現実のギャップを知った人なら、多かれ少なかれ思ったんじゃないかな? 実はおじさんには、やり直しに関して、ちょっと奇妙な体験がある。こーくんも興味を持ってもらえるんじゃないかな。
その体験をした当時。恥ずかしながらおじさんは、仕事で僻地に飛ばされたばかりだった。どう見たって「左遷された」としか思えなかったんだ。
おじさんは学生時代、勉強を頑張っていたよ。やればやっただけの成果が絶対出る。努力は絶対に実るという言葉、大好きだった。自分の成績がそれを裏付けている気がしたからさ。でも、それは正解がはっきりしているからこそ、もたらされた結果だったんだ。
社会に出たら、マニュアルは正解なんかじゃない。一定の質を保証するためのもの。そこからのプラスアルファを、自分で生み出さなきゃいけなかった。
残念ながら、おじさんはそこに気づくのが遅かったんだ。言われた通りに仕事をこなしたけれど、もう一歩、踏み込めなかったんだ。学生気分、なんて卑下されたことも多かったよ。
正解のある勉強ばかりだったおじさんは、マニュアルという正解通りにことを進めているにも関わらず、結果が出ず、けなされることが、すごく胃に来たよ。どうにかしようとした頃にはすでに遅く、成果で同僚に水をあけられて、厄介払いというわけさ。
日々の仕事をこなしながら、おじさんは腹が立っていたよ。「誰も教えてくれなかったから」なんて言い訳、通じないんだもの。真実よりも事実しか見てくれない社会に、うんざりしていた。
そんな時、おじさんは1人の同僚から、あるおまじないのことを聞く。彼も飛ばされてきた口で、歳や境遇も近かったから、打ち解けるのは早かったよ。教えてくれたのは、やり直しができるおまじない。
まず、目覚まし時計を4つ用意する。デジタルではなく、アナログ。短針、長針、秒針がついているものだ。
次に、それらをそれぞれ、3時、6時、9時、12時にセットし、一斉にスタートさせる。タイミングが狂ってはいけない。
更に、これらの時計を自分のふとんの周りに設置。頭は6時の時計、足は12時の時計、右腕の先に3時の時計、左腕の先に9時の時計。上から見ると、ひっくり返った時計になるわけだ。
そして、最後にして特殊。自分が戻りたいと思う時代の、自分の情報を紙にできるだけ書き込み、それを燃やし、灰を被って眠る。これらの準備を整えて、翌朝に目を覚ますと、戻りたい時間に巻き戻るという話。
もし、現代に帰りたくなったら、同じ用意をして、最後の燃やすところのみ、現代の自分の情報にしろとのこと。
「どうせ、つまらねえ毎日の繰り返しなんだ。刺激が必要だろ。今晩、やってみないか? 俺もやるからさ」
おじさんも全く、同意だった。戻りたかったのは、大学4年生時代。
上手くいってもいかなくても構わないや、とおじさんは当時、住んでいた場所を始め、思い出せる限りをノートのページに書き出し、それを燃やして灰にする。
十分に冷ましたとはいえ、灰を顔にコーティングするのには抵抗があったけど、笑い話にでもしようとして、実践。そのまま眠りに入ったよ。
翌日。いつも眠っている自宅とは違う場所で、おじさんは目を覚ました。
低めの天井と、気持ち狭めの部屋。でも、間取りに覚えがあった。机の上に並んでいるのは、大学時代に使った参考書たち。道具もカレンダーも、あの日、おじさんが使っていたものが帰って来ていた。
本当に戻った? 部屋のテレビをつけてみる。おじさんが大学生の時に起こった、旅客機事故のニュースだ。この日は特番が組まれて、ほとんどのチャンネルでしきりに報道したのを覚えている。
戻ってきたんだ。そのままニュースで曜日を、手帳でコマ数を確認。
今日、大学は休みだった。おじさんが科目を調整して作った、休みの日だ。
早速、町に繰り出そうとしたおじさんは、部屋を出たところで、右隣の部屋の人が、あわただしく飛び出していくところを見た。
何かあったのか。いや、すでに経験した私は分かっている。確か、件の飛行機事故でご家族が亡くなられたと聞いた。ほどなく、このお隣さんは遠くに引っ越してしまう。
でも、おじさんにとってはどうでも良かった。身体は大学生だけど、知識は大人だ。これから存分に楽しむぞ、とその日は遊びまくったっけ。だが、おじさんの奇妙な体験はこれからだった。
次の日。目を覚ましたおじさん。昨日と同じ部屋だけど、さんざん買った雑貨類がすっかり姿を消している。テレビを始めとする家具たちも、大学2年の時に、買い替える前の状態に戻っていた。
まさかと思い、テレビをつける。日付は、およそ3年さかのぼっていた。
確認すると、今日は大学で1コマ目から講義がある。あわただしく準備をして、出発。久しぶり過ぎて、大学への道を間違えかけたけど、何とか間に合った。
「よう、こんなぎりぎりなんて珍しいな」
大学時代の友人の一人が声をかけてきた。確か、彼は第一志望の大学に落ちて、ここに来たと話していた。
「かったるいけど、必修科目だしな。あーあ、あと英語が10点取れてたら、こんな大学来てないのに」
相変わらずの文句ったれ。おじさんも同じ、第一志望で落ちた者同士で、良くつるんでいた。彼とは大学卒業後、今でもぽつぽつ会っている。
懐かしい面子とも再会。当時は相手を知らないゆえに、踏んでしまった地雷を回避して、ちやほやされまくった。覚えている限り、この一日で、以前の私よりも広い交友関係を築けたと思う。
いい気持ちのまま帰宅。翌日は3コマ目から講義。
存分に夜更かしができたけど、昨日の件もある。もしも、ヘンテコなところで起きるはめになるとやばいから、欲望をぐっと抑えて、早く眠ったよ。
「いつまで眠っているの、起きなさい」
今度は布団を引っぺがされた。若い頃の母さんだったよ。大学に入る時に、別れを告げたはずの実家に、おじさんはいた。そして、カレンダーは大学受験当日。
やり直せ、というのか。おじさんは受験会場の大学に向かう。知識は意外と出てきたし、間違えた箇所は何度も見直したから、覚えている。
きっちり見直して提出。結果待ちだ。その日は早く休んだよ。
翌日は時間が戻らず、いきなり、試験の結果発表の日に飛んだ。
おじさんは第一志望の大学に合格。以前は叶わなかった、理想の実現に、胸が躍ったよ。
だが帰り際、同じ学校を受けた友達が漏らした言葉に、不安が蘇る。
「あ〜あ、高校に入った時から、もっと勉強しとけばよかったぜ」
翌日。おじさんは、高校入学の初日に飛んでいたんだ。
それからおじさんは、時をさかのぼり続けた。
外したせいで負けた、サッカー部でのペナルティキック。
黙ったままで通り過ぎた、好きな子への告白。
怪我をして、入院する羽目になった、バカな度胸だめし。
すべてを良い方向に書き換え続けた。
でも、無駄だ。すぐに時間はさかのぼり、おじさんがやったことは、無意味となる。
賽の河原の石積みと一緒。何度やっても、すべてがパーだ。
やがて、おじさんは幼稚園児になった。だが、すべては意味ないと思ったおじさんは、本来、出るはずのお遊戯に出ないことを選んだ。
それを知ったお母さんは激怒した。そして、こう言い放った。
「あんたみたいな子、生まれてこなければよかったのに」
おじさんはその言葉に、頭を叩かれたよ。単にショックだっただけじゃない。もしも、おじさんが生まれる前まで時間が戻ったら……おじさんはどうなってしまうのか、と。
戻らなきゃいけない。現代へ。
おじさんは時計を用意しようとしたけど、家に時計は4つもない。買わなきゃいけないが、この頃はまだお小遣いをもらっていない。
おじさんは迷うことなく、お母さんのへそくりからお金をくすねる。この時は、当時の隠し場所を知っていた自分に感謝したよ。
ノート、鉛筆、マッチも購入。当時の我が家は、おじさんが手の触れないところにマッチを置いていたから、自分で準備をした。
お金をくすねたことがばれたらまずい。おじさんは小さい手のひらで、どうにか準備を整えると、さっさと眠った。
現代に戻るか、存在を失うか。二つに一つ。
結果は見ての通りだ。おじさんはどうにか戻って来た。だが、同僚は植物人間になってしまい、今も病院で眠っている。
こーくん。君にだって、やり直したいこと、今でもたくさんあると思う。だが、それは自分だけじゃない。世界中がそうなんだって、おじさんはあの体験で実感した。
時は巻き戻らないから、降り積もる。私たちは進まなきゃいけない。
どんなに辛くて埋もれそうでも、この山のような一瞬一瞬があって、初めて生きていると言えるだろうからね。




