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鉄和弓の軌跡

 どうだい、こーちゃん、おじさんの風鈴コレクション、楽しめたか?

 外側のお椀部分から、下に提げる短冊の部分まで、色々な個性が出ているだろう? あちらこちらを巡って集めたんだ。自分で作ったものも入っているよ。ほら、このお椀部分に水草と泳いでいる金魚が描かれている奴だ。

 こーちゃんは、風鈴の音に対して、どんな印象を持ってる? 涼しさを感じさせると答える人が多いよねえ。秋の虫のに似た響きだからだってさ。おじさん個人としては、そこまで近い音だとは、感じないんだけどなあ。思い込みの力って奴は、無視できないものがあるね。

 昔から音は、目に見えない何かに対抗するための手段だった。知っての通り、道具も色々開発されたけど、中には、思いもよらぬ効果を発揮したものが存在したらしい。

 ――そろそろ昼時だな。こーちゃんはおそばでいいかい? 食べながら、話そうか。


 鈴以外にも、鐘や太鼓、警戒用の鳴子など、音を出す物に関して、枚挙にいとまはないだろう。

 風鈴が、具体的にいつ頃の時期から用意されたかは、まだはっきりしていない。ベースは神社にある「風鐸ふうたく」と呼ばれる、青銅製の鐘らしいね。これは強い風が吹くと、鈍い音を出す。風に乗ってやってくる悪い者たちを、鐘の音で脅かして入ってこないようにするんだとか。

 音が響く場所は、邪悪が入り込まない聖域となるから、境内をくまなくカバーできるように、複数設置されるのが通例だったらしいけどね。


 しかし、時代が進むにつれて、守るものは拡大していく。時の天皇であったり、生まれたばかりの赤子であったり、邪を祓う場面はより身近に、より頻繁に姿を見せ始めた。そこで、おのずから破邪の力を発揮する儀式が、平安時代に生まれることになる。

 鳴弦めいげんの儀。源氏物語の中にも登場する、矢をつがえない弓を使った、退魔の儀式だ。


 その家は、平安時代より続く、武士の名家の一つだった。数百年以上に及び、生き延び続けた一族には、あるならわしが存在した。

 家には先祖代々伝わる、大きな鉄製の和弓があったという。弓幹ゆがら、弦など全てが鉄でできていた。こーちゃんも知っているかもしれないが、和弓というのは世界でも最大級の大きさを誇る弓だ。それがすべて鉄でできているのだから、威力はすさまじいものがある、と予想がついた。

 しかし、弓自体の強さも半端ではなく、並みの男が4,5人がかりで、ようやく弦を引くことができるという、あらゆる意味で別格の雰囲気を漂わせていた。弦に使われている鉄もまた、他の弓のそれと変わらない太さとしなやかさを持ちながら、刀の刃さえも跳ね返す強靭さ。

 おかげで弦を張りなおすことができないにも関わらず、一向に緩んだり、さびたりする様子を見せなかったという話だ。


 相当、使い手が限られると思われた弓だけど、その武家の一族は、代ごとに必ず一人、自分の力のみで、弓を引くことができる者が現れた。それが、小兵こひょうで華奢なからだつきだったとしてもだよ。

 その者が当主として、家を導くように、と仰せつかったんだ。

 更にもう一点。この弓は、新年における鳴弦の儀を含めて、月に2回しか弦を鳴らしてはならないという、言い伝えがあった。月に3回以上を鳴らす時は、家が廃れる兆しであるとも。

 鉄弓を用いて行う鳴弦の儀は、文字通りの不思議な響きに満ちていた。


一矢いっし、まなこを押し開き」


 そうつぶやいて、当主が限界まで引き絞り、放たれる弦は半刻もの間、長鳴りして、音を聞く者の耳と身体を振るわせる。同時に、「この音の主に従わなければならない」という、畏怖に近い忠誠の念を抱かせたとか。


 だが、長く続いた家にも、終焉が近づいてきていた。

 戦国時代にとある国の城主に任命されていた当代は、押し寄せる大軍を前に、籠城戦を強いられていた。

 主君も、娘の嫁ぎ先も、救援をよこしてはくれなかった。厳密には、包囲網があまりに厳重過ぎて、突破が難しかったらしい。なので、別働隊が他の城を攻めて、相手に兵を割かざるを得ない状況を作るつもりだったが、攻城は難航していた。

 だが、籠城している側には、そのような情報は入ってこず、兵の士気は下がる一方。食料も残り少なく、覚悟を決めなくてはいけない時が近づいていた。


 数日後。包囲軍による総攻撃が始まった。当主の軍が、相手の出城を落としたことが関わっていたんだ。

 相手が軍を分けるだろうという、当主の目論見は外れた。相手は城を一気に落とした上で、城を奪い返すという判断を下したらしいんだ。

 思わぬ失策に、主君はしゃにむに包囲網を崩しにかかる。一方の、城ではあちらこちらに兵が入り込み、血みどろの白兵戦が、そこかしこで繰り広げられていた。

 

 すでに敗色は濃厚。だが、最期まで戦い抜かねばなるまい。

 当主は床の間に置いた、桐の箱から、件の弓を取り出した。同じく天守に留まっていた女房が顔色を変えるが、当主は「落ち延びよ」とだけ告げた。

 家が廃るなどと、心配している場合ではない。もののふにとって、武名が残るかどうかの瀬戸際なのだ。

 当主は鏑矢かぶらやをつがえ、天守の回り縁に姿を現した。鏑矢は大きな音が出て、開戦を告げる合図にも使われる。終末の雄たけび代わりだった。


「一矢、まなこを押し開き」


 当主はぎりぎりと弓を引き絞ると、敵軍のはるか後方目がけて、一気に放つ。例年の鳴弦の儀と同じ、耳が痺れる、弦の咆哮。

 幾万の怒号にも負けない声で、鏑矢は叫ぶ。ぐんぐん、風を切って飛んだ矢は、やがて勢いを失い、敵の密集地帯へ。


 瞬間。水柱と見まごうような、巨大な土柱が突き立った。馬も人もまとめて巻き上げられたのが、遠く離れた天守からも見えた。

 城外の敵は着弾点を中心に、アリの子を散らすような慌てふためき具合を見せていたが、網のほんの一部に過ぎない。堀の中まで入り込んだ兵たちは、遠くの異状に、気づいていない。


「二矢、虚空に翼を広げ」


 当主は矢を継ぐと、ふたたび引き絞り、今度は先ほどよりも近い、城内へと射ち放った。先ほどの咆え声を超える、銅鑼のような音。頭が揺さぶられるような振動を、女房は受けた。

 ややあって、城全体が揺らぐ。大きな土柱が、堀の中に姿を現わした。砂利たちは、天守よりもはるかに高く舞い上がり、やがて雨のように瓦を叩き出す。

 堀の中を悲鳴と死体が満たしたものの、わっと階下で声があがった。敵兵が城内になだれ込んで来たんだ。先ほどの兵と同じく、奴らに外の様子は分からない。当主の首を取ろうと、わき目もふらず、ここへと上がってくるだろう。

 当主が奥の間の掛け軸をめくり、壁を押す。すると、壁はそのまま倒れ、薄暗い階段が現れた。

 彼は自分の傍で、弓の力に恐れをなして震えている女房を、隠し階段へ押し込んだ。


「落ちよ。女であれば、命は取られまい。生きて生きて、我の死にざま、よおく伝えよ。のちの子らが、同じあやまちせぬように」


 女房をもう一度、奥の奥へと押し込むと、当主は外した壁を元通りに直す。

 それが、彼女の見た、当主の最後の姿。ただ、階段を降りていく時、彼の声が響き渡った。


「三矢、すべてを灰にせん」


 声と共に、足元が揺らぎ、天井が崩れ出してきて、女房は振り返る余裕もなく、階段を駆け下りていく。その背後からは、明らかに人ではない、何かしらの生き物のいななきが、いくら降りても、女房を追いかけてきた。あれは本当に弓が出せる音なのか、と女房は戦々恐々とした、とのことだ。


 女房は敵方に捕らわれたが、当主の予想通り、命を奪われることはなかったらしい。ただ、彼女が城を振り返った時、四層を誇った白天守は、見る影もないがれきの山となっていた。それはひとりでに城が倒壊したとしか思えない、急激なものだったという。

 崩れ落ちた城の中からは、多くの兵の亡骸が掘り出されたものの、当主のものだけはどうしても見つからなかったという。

 例の鉄和弓は発見されたが、引ける者は現れず、商人の手にゆだねられた結果、今となっては誰が持っているのか、分からないままらしいのだよ。



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