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報復のともがら

 つぶらやは、自分の落ち度に関して、どれくらいの自覚がある?

 数字を初め、目で見えるものだったら、言い訳したところでごまかしは効かない。腹をくくらなけりゃあかんだろうさ。

 だが、目に見えないものだったらどうなる? 実は、自分がいけないと思っていても、正直に話さないんじゃいか?

 それが相手からの言いがかりだったら、なおのこと、事実を認めようとしないだろう、動かぬ証拠を提示されない限りな。いや、されたとしても、頑なに認めないことも、あり得るかもだ。

 いわれなき報復。恐ろしいよなあ。いつどこで、自分が何したかなんて、自分ですら分からねえことがあるもんよ。お天道様に、尋ねるわけにもいかないしな。

 特に俺のおじさんのケースは非常に特殊なものだ。いつ、俺やお前も同じ目に遭うか分からん。この話、聞いておいて損はないと思うぜ。


 俺のおじさんは、マンガ家をやっている。一年に数回、会うかどうかといったところだ。さほど有名ではない、と自称していたが、生活ができているから、それなりに売れているんだろうな。一度、お袋が買っているおじさんのマンガを読ませてもらったが、いかにも純粋な少年少女に受けそうな、熱くて、ハッピーエンドなストーリーばかりだったぜ。

 おじさんは、身内以外の人間関係がわずらわしい、典型的な芸術家肌でな。人よりも自分と向き合う時間を増やしたいんだとさ。それで日々の糧、社会への貢献を生み出すんだから、マジで大したもんだと思うぜ。

 だが、おじさんは本来、別の仕事に就きたかったらしいんだ。マンガ家を続けているのは、自分の罪を償うためなんだとか。

 おじさんの昔の体験はこんなものだ。


 小学校時代、誰でも一度は、「廊下を走るな」と注意されたこと。もしくは、注意される光景に出くわしたことがあるだろう。

 おじさんも、廊下を疾走する常習犯だった。休み時間に、廊下の端から端まで、校舎の隅から隅まで、大騒ぎしながら、友達と追いつ、追われつの鬼ごっこ。雨の日などは盛大に行い、先生に注意を食らって、廊下にいる人たちに迷惑をかけながらでも、身体を動かしたい気持ちを、抑えられなかったらしい。

 しまいには、面談の時に、先生が親にばらして、お小言をもらう始末。


「楽しくても、自分が悪くなくても、迷惑をかけたら謝りなさい。誰が見ているか分からないわよ」と。


 けれども、おじさんは懲りることなく、卒業まで追いかけっこを続けていたらしい。何かにつけて、言われたことに逆らいたい、反抗期真っ盛りだったことも大きかった。

 ただ、今は、素直にやめておけば良かったと、後悔しているんだとさ。


 月日が流れて、おじさんが高校生の時。

 憧れの全国屈指の強豪運動部に所属したおじさんは、ほぼ毎日、ズタボロになるまでしごかれて、くたくただった。結構、夜遅くまで活動するもんだから、解散するのは9時前後ということも多かった。

 おじさんが通学に使っているローカル線は、元々、利用者があまりおらず、部活帰りの時間だと、車内はほとんどガラガラだったらしい。

 おじさんはその座席の真ん中を陣取って、大股を開いたり、ソファ感覚で寝転がったりして、夢の世界に「とっこんでいく」のが、日々の楽しみだったとか。降りる駅は終点だから、乗り過ごす心配もない。車両に誰もいない時は、まさにお大尽気分だったとさ。


 その日も、おじさんが乗った車両は、貸し切り状態だった。これ幸いと、スポーツバッグをまくらに、座席を占領して、横になるおじさん。今まで幾度となく訪れた、至福の時に見も心もゆだね、うつらうつらしていると。

 上から何かがのしかかってきた。腰掛けるというよりも、頭上の金網を破って、漬物石が落ちてきたような、痛さと重さ。仰向けに寝ていた無防備な腹に、めり込む衝撃。思わず、えずいて、目を開けるおじさん。

 視界の先で、別車両へのドアが、乱暴に閉められるのを見た。自分を踏みつけた犯人だろう。疲れと寝起きで、一気に頭に血がのぼったおじさんは、跳ね起きると、その後を追いかけた。

 おじさんがいたのは、四両編成の最後部。それを最前車両まで駆け抜けたおじさんだが、犯人の姿を捉えることはできなかった。ほんのわずかな乗客たちは、みな座席に座って眠っていた。だらしなくよだれを垂らしている者もいて、とても狸寝入りとは思えない。

 分からない。不気味に思いながら、家に帰るまで眠らずに警戒していたおじさん。

 あとで風呂に入った時、自分の身体には、服越しの衝撃だったにも関わらず、直接踏まれたような、大きい靴跡が出来ていたんだとか。


 それからというもの、外にいる時、おじさんは油断ならない時が続いた。電車で眠る時に、誰かに踏まれたりするのはもちろん、駅で電車を待っていたり、横断歩道で青信号待ちの時も、後ろから蹴り飛ばされて、危うくひかれそうになった時が、何度もあった。相変わらず、下手人の姿は見えず、自然と待ち時間は柱や電柱に、身を預けることが多くなる。

 学校生活中でも、階段を降りようとした時、後ろから押された。どうにか、転がり落ちることは防いだものの、踏み外した足に体重がかかり、ねんざをしてしまう。松葉杖などの必要はないが、部活に出ることを止められてしまった。それでもおじさんの部活は病気の時以外、活動できない部員も、見学や応援をすることを義務づけられている。

 もともと、親の反対を押し切って、部活目当てで進学したおじさん。見ていることしかできない時間が、非常に悔しく、もどかしかったと話していたぜ。

 一体、俺に何の恨みがあるのか。しぶしぶ、みんなの部活動を見学したおじさんは、痛む足を引きずりながら、家路についたとのこと。


 眠気に耐えながら、電車を降りたおじさんは、徒歩10分程度の道のりを残すばかりだった。

 家の前、ラストの下り坂。通行人の姿もなく、どの家屋も明かりを消して、寝静まっている。音も、ほんの数分前にすれ違った車を除けば、どこかの家の飼い犬が、かすかに漏らすうなり声のみ。

 ひねった足が痛くて走れず、けれども早く家に帰りたくて、坂を下り始めるおじさん。

 けれど、坂を少し下ったところで、後ろから足音が聞こえた。振り返ると、クロづくめのパーカーを着て、フードをかぶった人影が近づいてくる。わざとらしく、足元の石を大胆に蹴散らして、音を立てながら、おじさんが歩んだ道筋をなぞっていた。


 自分に真っすぐ向かってくる、迷いない歩みを見て、おじさんは寒気がする。

 家は坂のふもと。まだ距離がある。それにあいつが、今までの犯人だとしたら、家が割れるのもまずい。朝に待ち伏せでもされたら、外に出るのさえ命がけだ。

 加えて、この坂は一軒家が密集していて、自宅のすぐ手前まで下らなければ、逃げ込めるような路地はない。まだ坂道は半分ほど残っている。半端なところで蹴り飛ばされたら、ねんざしている足では踏ん張れない。昼間の程度では済まない恐れもあった。

 近くの家に助けを求めるか、とも思ったみたいだが、男のくせに、痴漢から逃げる女のような真似はしたくない。そう思った時には、おじさんの足は、びっこを引きながらも、前に進んでいた。

 追手から逃げるため。被害を小さくするために。


 歩き慣れた坂道が、やけに長く感じられる。無理に動かすものだから、一歩一歩、足にしびれるような痛みが走った。

 けれど、止まれない。後ろの足音は、このわずかな間で、どんどん大きくなってきた。

 必死に前だけ見て進む。振り返る時間も、度胸もない。どうにか、あと数歩で、目指す路地にたどり着こうかという時。

 後ろから転がってきた小石が、傷んだ足にぶつかる。詰められた、と思った時には、背骨に強烈な一撃を食らっていた。

 坂が終わり切っていなかったこともあって、飛び込むように倒れ込むおじさん。肩にかけていたスポーツバックが、押された勢いで顔の前に飛び出し、クッション代わりになってくれなければ、顔面傷だらけになっていただろうって話してたぜ。

 ぶっ倒れたおじさんの脇を、走り去っていく足音。どうにか顔を上げた時は、例の人影はおじさんの目指した路地を曲がるところだった。

 おじさんは痛みをこらえながら立ち上がると、人影の後を追う。もしかすると、近所の誰かが犯人かも知れないのだ。その手がかりだけでも、掴めたらと思ったんだ。


 路地を曲がるおじさん。用事がない限り、この道を使うことはなく、この数年は数えるほどしか通っていない。そのずっと奥にあるどこかの家で、ドアが閉まる音がした。

 おじさんは足の悲鳴を無視して、どん詰まりまで歩いたけれど、家の特定はできなかった。その代わり、周りの家のブロック塀に、石で刻まれたようなキズができている。

 さっと目を走らせたおじさんは、鳥肌が立ったらしい。そこにはどれも同じ文面で、こう書かれていた。


「あの日、廊下ではしゃいで、私の子供たちを踏み殺した奴らを、痛い目に遭わせてください」


 消えかかるたびに、何度も書き直したらしく、ブロック塀は元の色を失って、真っ白だったとか。

 おじさんは、それから虫も殺さず、あまり人とも関わらない道を選び、今に至るということだよ。


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