鬼殺し
お、なんだ、つぶらやくん。薬の本なんざひっくり返しちゃって。勉強かい?
「ぶす」がどんな薬か調べようと思った? ああ、最近授業で習った、狂言のやつか。
あれ、「トリカブト」のことらしいよ。本をかじったつぶらやくんなら、知っているんじゃないかな?
口に入れて、数十秒で死に至る即効性があり、特別な解毒剤というのも、存在していないと聞く。蜜や花粉にも含まれていて、誤飲の恐れがあるから、天然のはちみつっていうのも危ないんだよ、ふふ。
そんな毒でも、部位によっては、漢方薬になるんだから驚きだ。この世のあらゆる毒って言うのは、案外、身近にあるものが、極端な性能を得ただけかもしれないね。
だが、極端も極端。それこそ重箱の隅をつつくかのごとき場所にまでたどり着いた時、それは単なる毒と断じることはできるのだろうか。
これは、今や姿を失った、幻の毒に関する話だよ。
ずっと昔、とある町で、「人食い鬼」が出たという、知らせが広まった。発端は、町はずれで遊んでいた子供たちが、日が暮れても戻ってこないと、親たちが探しに出かけた時のこと。
いつも子供たちが遊んでいる広場には、彼らの無残な死体が横たわっていた。体中の肉をえぐられているが、遺体を検分したところ、妙なことに気がついた。
いくつかの遺体には、爪痕と思しき傷が残っているのだが、獣のものにしては、やけに小さいのだ。まるで、普段は爪を伸ばさない人間が、無理やりつけたかのように、浅い。
犠牲者の数を数えたところ、本来混じっているはずの男の子が一人、その中にいないことに、大人たちは気がついた。
ただちに捜査が行われて、現場からやや離れた草むらに突っ伏して、眠っていた彼は、たちまち捕らわれることになる。ほんの少し前まで、端正な容姿と、目を見張る利発さで、周囲の人々に神童と噂されていた彼。
それが今では、泥で双眸を醜く彩り、髪はすっかり白くなってしまっている。発する言葉は意味を成していなかった。彼の口内からは、舌が抜かれていたんだ。
そして額には、ヤツデの葉を貼り付けたような、奇妙な青あざができていた。
本来なら、証拠があがるまで拘束し、しかるべき罰を加えるところ。その子の両親は狂人のごとき様相になったわが子をかばったけれど、子を思う気持ちは、犠牲者の親たちも同じこと。
圧倒的な多数に押し切られ、その子は大衆の面前で、彼らの子供たちと同じ。いや、それ以上にむごたらしく、なぶり殺しにされてしまう。
彼は命の灯が消える瞬間まで、抵抗らしい抵抗を見せなかった。それを、無言の抗議と受け取ったのは、彼の両親を含めた、わずかな人ばかり。被害者の親を含めた、多くの者は、「人食い鬼」を葬ったことに興奮し、歓声をあげ、彼の両親を罵った。
迫害必至の状況に、両親はその日のうちに、この町を後にしたそうだよ。
翌年のこと。一組の夫婦の間に子供が産まれた。
その夫婦は町でも指折りの、高齢同士のつがい。ほぼ子供を諦めていただけに、喜びは大きかった。だが、その表情は、我が子の顔を見た途端、絶望に変わる。
あったんだ。その赤ん坊には。ヤツデの葉のような額のアザが。昨年、自分たちが鬼の始末に盛り上がっていた立場だけに、この状況が引き起こす未来が、いやというほど、鮮明に想像できた。
亡き者にしなくてはいけない。だが、長年望み、腹を痛めた我が子に、どう手をかければいいのか。
そのわずかの逡巡の間に、そばに控えていた産婆さんが、黙って赤子ののどに手をかけて、一気にひねる。この世に生まれ出た、命の鼓動は、ものの数分で完全に止まってしまったんだ。
元気な泣き声が、ふいに収まった家屋に、今度は怒号と悲鳴、ものを壊す音が満ち満ちた。周りの者が駆けつけた時には、すでに遅く、産婆さんも夫婦も、出産に立ち会っていた者たちも、互いに互いの首を絞め合って、息絶えていたんだってさ。
それからも、産まれ出る赤子には、しばしば「鬼の印」が出た。今までの経験から、出産に立ち会う者は、必要最低限にしている。産声が聞こえない地下室で、印が出たら、人知れず始末されたんだ。けれども、事態は好転しなかった。
赤子の姿が見えなければ、鬼かどうかの区別がつかない。ならば、常に悪い可能性を考えるのが、人々だった。鬼を生んだ者としての蔑みに堪えられず、死んでも生きても、夫婦は町を去っていき、だんだんと町からは活気が失われていったんだ。
どうにか「鬼」を根絶しなければならない。町の長は高名な易者を訪ね、占ってもらう。
「この町には、疑いをかけられ、殺された者の怨念が飛び回っている。新しき体を見つけたならば、入り込まずにいられないだろう。今のままでは、永遠に町は失われよう」
易者は数日の時間をもらいたいと申し出た。約束の期日に、長が再び訪れると、易者は大きな樽と荷車を用意していたんだ。
「鬼は打ち合っても滅ぼせぬ。この酒を飲ませるのだ。かのスサノオも、オロチの討伐に酒を用いた。鬼を殺すには、酒が必要なのだ」
半信半疑で、町へと戻った長は、近く出産を控える夫婦に、そっと酒を渡したそうな。
やがて、お産の時がやってくる。赤子を、堂々と取り上げる夫婦の姿を、人々は喜んで受け取った。鬼が産まれずに済んだのだと。
しかし、祝いの後に、夫婦はこっそり長に、お礼を言いに来た。実はあの赤子には「鬼の印」があったのだが、お酒を口に含ませると、見る見るうちに印が薄まり、消えてしまったとのことだった。
鬼から人に戻れる。その手段を得た長は、有頂天だったらしい。町の人々を屋敷へと招き、大々的に、例の酒を振る舞ったとのこと。長自身は下戸で、酒は一滴も飲めなかったという話だよ。
人々は味わったことのない酒に酔いしれ、喜色を満面にたたえていた。やがて、すっかり眠りこけてしまい、主人は余った料理などをかたしていたのだけれど、その目の前で信じられないことが起こった。
眠っている人の姿が、まばたきするたびに、消えていくんだ。ゴザやタタミに汚れを残したまま、先ほどまでいた場所には、影も形も残らない。
半刻も経たないうちに、宴の席はもぬけの殻になった。長は事態の重さの責任を取り、職を退いたとのことだよ。
姿を消してしまったのは、全員、最初の「人食い鬼」をなぶり殺しにし、以降も鬼が始末されるたびに、苛烈な攻撃を加えていた者たちだったという。
「鬼殺し」の酒は、いつの間にか姿を消し、いまやどこにあるのかも分からないとか。




