無常の島
やあ、お待たせ、こーちゃん。ちょいと一服させてもらっていた。
最近は喫煙スペースが町のあちらこちらにできて、私のようなスモーカーにはありがたい限りだよ。
やけにこの辺りは喫煙スペースが多い気がする? ああ、ちょっと前にタバコの吸い殻が原因のボヤ騒ぎがあってね、その時にたくさん、スペースができたんだよ。
少し前なんか、車の運転手が、たばこの灰を道路に捨てたらしくてね。バイクに乗っている人が、タイヤを取られて、横転事故を起こしたことがあった。そのために灰皿がついている車が普及したと聞いたことがあるよ。
受け皿の存在っていうのは、本当に大切だ。取りこぼしたものによってもたらされる、色々な災厄を未然に防いでくれるんだから。目立たないゆえに、ぞんざいな扱いを受けることも多いが、そのおかげで数えきれない運命が助かっている。
そして、それは人間単位でも同じこと。私たちはややもすると、カスでみみっちく思える自分を、受け止めてくれる誰かや何かを求めている。どうにかして、それに出会いたいと、飢えるほどに求めながら、日々を何とか過ごしている。今も昔も、その願望は変わっていないようだ。
これはおじさんが小さい時に聞いた昔話だ。
むかし、むかしのこと。
日本がまだ、日本と呼ばれていなかった時。数年ぶりの赤ん坊の誕生に沸く、その村に、一人の若者が帰ってきたんだ。
人々は驚いた。彼は船大工で、中国と行き来するための、帆掛け船の製造に携わっていたんだ。
数年前に新造された船。期待を込められて、処女航海に出かけたその船は、志賀島の沖合で嵐に見舞われて、沈没。乗り込んだ者、ことごとくが海のもくずに消えたと、人づてに聞かされていたからだ。彼も、緊急時の修理の人手として、船に乗り込んでいたと。
人々から話を聞いた彼も驚いた。自分が嵐に遭ったのは、つい先ほどのことではないのか、というのだ。
彼はどこで、どのようにして過ごしていたのか。皆の疑問に対して、彼は次のように答えた。
皆がいう、船が嵐に遭って、沈没したという日時。確かに船は風雨の渦中にあったし、高い波を幾度もかぶったものの、沈んでしまうほどの被害は受けていなかったという話だった。
乗り込んだ者たちの一部は、嵐への対応が間に合わず、海に投げ出されてしまったが、自分は船から投げ出されないよう、帆柱に自分の身をくくり付けることができた。ただ、帆柱が折れて外れることがあれば、共に海へと投げ出され、綱を解く暇もなく、水底へ引きずり込まれることになるだろう。
ますます激しくなる雨と風。上も下も分からなくなるような揺れに、すっかり目を回していると、不意に空で轟いた雷の光が、視界を真っ白に塗りつぶしたのだ。
気がつくと、自分は帆柱だった木片と共に、砂浜に打ち上げられていた。どうにか立ち上がって、辺りを見回すと、妙なことに気がつく。
ここはおよそ、人が100人、身を寄り添うのが精いっぱいの広さといった、小さな島。木が一本も生えていない。隅から隅まで砂が支配して、安定した足場は存在しなかった。
これでは脱出のためのいかだすら、組むことは不可能。見渡す限り、島影はなく、通りかかった船に助けてもらうより他に、脱出の手段は思い浮かばなかった。
途方に暮れて、呆然と立ちすくんでいると、不意に後ろから声を掛けられた。
ボロボロの貫頭衣を身に着け、髪がぼさぼさに乱れている。2,3匹のハエが体の周りを飛び回っていて、少し近寄りがたい姿の、汚らしい少女だった。航海安全の祈祷師、「じさい」が女になったら、こんな感じになるか、と彼はぼんやり考えたらしい。
確かに、先ほどまでは、この島にいなかった人物。どこから現れたのかを聞くと、彼女は、すっと頭上を指さした。
「私も一緒。あなたも一緒。もともと、皆は一緒なの。だからここにずっといよ。動くことなく、ずっといよ」
暗に、抜け出すことはできない、と言っているのか。しかし、食料がなく、周りも海水。どのように生き延びろというのか。
彼の問いに、彼女は背中を向けて、再び天を指さした。
はるか上空から、サラサラと黄金色の粒が降ってくる。まるで羽毛のように、ゆるゆるふわりと、舞い降りてくるカケラたち。その量は、空全体を覆いつくすほどのものだった。
引き寄せられるように、静かに島へと落ちるそれらは、あっという間にこんもりとした山になり、彼女はその山に頭を突っ込みながら、夢中でそしゃくしていた。
「食べないの?」と、ある程度食べ進めた彼女が彼に顔を向けて、金の粉に口の周りを汚しながら、尋ねてくる。
彼は顔をしかめながら断った。得体が知れないし、何より「じさい」のごとき存在と食事を共にすることは、忌み嫌われることだったからだ。
この島からは太陽が見えない。なのに、一向に夜がやって来る気配も、船が通りかかる気配もない。
相変わらず、天から粒が降り注ぎ続け、彼女は片っ端から食べていくのに対し、彼は一向に手をつけない。彼にとっては食事より、一刻も早い脱出の方が、関心事だったから。
おかげで彼の周りには、すでに黄金の粒がうず高く積み上がり、ちょっとした砦のようになっていた。
「早く、早く。お願いだから食べようよ」
砦の向こうから響く、彼女のねだるような声が、耳にまとわりついてくる。ちらちらと見える彼女の姿は、相変わらず、節操のない食事にいそしむものだった。とても腹に溜まるとは思えない、黄金の粒。それをひたすら、頬張るという浅ましいものだった。
「お願い、食べてよ。これ以上、食べずにいると、終わっちゃうよ」
と、少しずつ物騒な言葉を使いだす彼女。それでも彼は頑なに、声を無視し続けた。
どれくらいの時間が経っただろう。今まで明るかった空が、突然、かげった。夜が押し寄せたかのような、急激な変化に、思わず天を仰いだ彼は、息を飲んだ。
訪れたのは、夜じゃなかった。この島を覆いつくさんばかりに大きい、何者かの手のひら。その影だったんだ。
「ああ、来ちゃった……来ちゃったよ」
彼女が両手、両膝を地べたについた、犬のごとき姿勢で、降りてくる手のひらを待ち受ける。彼はあまりの事態に、目を見張るばかりで、動くことができなかった。
巨大な手のひらは、おもむろに島の端へ向かって降りてくると、砂浜の一部をつまむ。すると、そこを起点として、島が一気にめくりあがり始めたんだ。そのさまは、指にできたさかむけを、自分の手でむいていくかのような景色だった。
手のひらの動きと共に、島全体がひっくり返っていく、今や、二人の頭上には、天地が逆転した砂浜から、砂と黄金の粒が降り注いでくるばかり。
目の前の平地が山に、山が空になっていく様は、まさに高波のごとく。
「いやだ、いやだ! 私、行きたくない! 辛いことばかりだもの! 苦しいことばかりだもの! あんな場所、行きたくない!」
砂の波に飲まれる直前、彼は彼女の悲痛な叫びを聞いた気がした。
気づくと、彼はこの村を見下ろす、小高い丘の上に立っていたらしい。自分に何が起こったのか、確かめるために村にやってきたのが、今のことだという。
彼が、ひとしきり話し終わった時、赤子の声が響いた。彼の家に集まっていた皆が、思わず耳をふさぐくらいの、大音声。
皆が声の元に駆けつけると、母親の腕に抱かれながら、しきりにあやされる赤子の姿。これが仕事と言わんばかりの、一心不乱の泣きっぷり。
ところが、彼が顔をのぞかせたとたん、それまでの荒れ具合が、ウソのように静まり返る。赤子は彼の顔に飛びつくと、その鼻の頭にかじりついた。
一同が慌てて引きはがしたものの、彼の鼻には、まだ歯が生えそろっていないはずの、赤子の歯型が、はっきりと残ったということだ。
どっとはらい。




