そして、教えは生きていく
ほ〜ん、孤児院出身のキャラクターか。最近のハイファンタジーだと、一作品に一人は孤児院出がいるような気がするんだけど、先生の好みが偏っているのかな?
作る側にとっては、色々、自由な設定が練れるからねえ。政治や社会の問題点にできるし、やんごとなき血筋とか、英雄のひとつぶだねの、隠れみのにはぴったりだ。同年代とも絡ませやすいし、大人の数もコントロ―ルが簡単。いわくもつけ放題で、舞台装置にはちょうど良いかもね。
――ん? 日本では孤児院ってそんなに聞いたことがないって?
そうだね、今は「児童養護施設」という名前になっているから、孤児院という姿で見られることは少ないだろう。今は完全な孤児というより、親がいても面倒見られないから、預けられるというケースが増えていると聞く。虐待をはじめとする、家庭の事情もあるんだ。
そんな、わけありの子たちが集まる場所。奇妙なことが姿を現わすことも、歴史上はあったわけだ。
こーらくんの題材になるだろうか? ちょっと、聞いてみないかい?
日本における孤児院のおこりは、聖徳太子の時代だと言われている。「悲田院」と呼ばれる、孤児や飢えた人を収容する施設が作られたんだ。
後々、救済制度も作られたんだけど、国家の手よりも知人や親類の手によって行われることが多く、身寄りのない人は「悲田院」に頼ることになる。世話をするのも、役人などではなく、政治から切り離されて、修行に励む仏僧たちが中心になったんだ。
だが、鎌倉時代以降は、児童にとって冬の時代。度重なる戦いの中で、人々の暮らしは困窮していった。労働力とみなされるならまだいい方で、堕胎、捨て子、間引き、身売り……今の日本の感覚では、とうてい許しがたい、人身の扱いがまかり通っていた。
当初、都を中心に行っていた慈善事業も、幕府の権威が地に落ちたことで、地方に手が回らなくなる。このまま、苦しみにあえぐ日々が続くのかと、人々は不安を募らせたが、救いの手は外からやってきた。
宣教師フランシスコ・ザビエルの来日。そして、日本初の病院を建てた、ポルトガル商人、ルイス・デ・アルメイダの登場だ。
アルメイダは九州の戦国大名、大友宗麟の助力を得て、西洋医学に基づく病院を建てた。仏様に頼っても治らなかった病気を、医師たちが治して、命を救ってくれるんだ。こりゃ、キリスト教に傾く人が出てくるの、無理ないよねえ。
アルメイダは医師兼神父兼商人として、その生涯を病人と、恵まれない子供たちに捧げることになった。彼には多くの協力者がいて、慈善事業や布教活動を手伝ってくれたんだが、彼の管理しきれないところで、不思議なことが起こる。
それは彼が私財を投じて建てた、領内の外れにある孤児院でのこと。そこは今でいう学校と大差ないタイムスケジュールで、朝の賛美歌に始まり、裏手の畑を耕したりして、一同が規則正しい生活を送っていた。何年かをそこで過ごして、手に職をつけた子供たちは、社会に巣立っていくんだ。
更に、定期的に聖書の朗読会を開いて、領民を大勢招いているから、この建物は孤児院であり、学校であり、教会でもあった。
だけれど、熱心に通う者の中には、この施設にかすかな違和感を覚える者が現れたんだ。
聖書の朗読会の最後は、讃美歌の斉唱で締めくくられる。
来訪者は朗読から斉唱までのおよそ一時間。板敷の上で正座をしている者がほとんど。足を崩しても構わないと言われていたが、長年、染みついた癖は、そう簡単には拭えない。聖書の話に感動した時なぞは、皆、足に汗をかくこともあり、室内は熱気でむんむんになる。
その中で、孤児院にいる子供たちの歌声が、こだまするんだ。
年長格の女の子たちは、毛布に包まれた赤子を抱いたまま、のどを振るわせている。見ている者にとって、いかにも、聖母といったイメージが湧いた。
朗読会は月によってまちまちだが、少なくとも2、3度は行われている。そのたびに子供たちが一堂に会するんだけど、不思議なことに、会を開く人数が次々に増えているんだ。
月のはじめは50人程度だったのが、次回来たら60人。そのまた次は70〜80人と加速度的な勢いで増加していく。
いかに乱世で、土地や家族を失いやすいとはいえ、戦がまったくない月でも、孤児が増え続けていくのは、どうしたことだろうか。
仕事ができるようになったり、引き取り手が見つかった子たちから、次々に孤児院を去っていくので、どうにか帳尻はあうものの、久しぶりに朗読会に参加したりすると、居並ぶ顔ぶれが、すっかり変わっていたりして面食らうこともある。
一体、孤児院で何が起こっているのか。その答えの一端が示される出来事が起こった。
朗読会に熱心に参加している者の中でも、一番のご年配のおじいさん。自分と息子の病気を治してもらって以来、熱心にキリストの教えに耳を傾けるようになっていた。
その息子さんも最近、戦で亡くしてしまってからは、ますますここに入り浸るようになってしまったんだ。時間さえあれば、息子の安らかな眠りを祈っているのだとか。
そうして、ある日の賛美歌斉唱の時間。いつも通り、子供たちが全員の前に立ち並ぶ。一ヶ月ぶりに朗読会に参加した男もいたが、張り替えられた板敷の上に並ぶ子供たちは、見知った顔がまったくないほどの、入れ替わり具合だった。
でも、いざ歌い始めようという瞬間。おじいさんが、すくっと立ち上がる。
「おお、おお、そこにおってはいかんではないか」
おじいさんはそうつぶやきながら、並んだ子供の一人に近づいていく。制止の声も聴かず、真っすぐに進んでいくおじいさんに対し、きょとんとする子供。
とうとうおじいさんは取り押さえられて、外に連れ出されたけれど、その間、さかんに「ここにおってはいかん! 神の御許へ、神の御許へ!」と叫んだんだってさ。
心配したおじいさんの知り合いが、一緒に外へ出て事情を聞いたところ、おじいさんは「あそこにいた子は、息子の小さかったころと瓜二つだ」と答えたんだ。
他人の空似では、という知り合いの問いに、おじいさんは首を横に振る。
あの子は左腕に比べて、右腕が三寸ばかり長かった。周りに同じような特徴を持つ者はいない、特別な身体。それが、顔もそっくりな別人に現れるはずがない、と。
翌早朝。おじいさんは居ても立ってもいられず、孤児院に向かった。誰にも悟られないよう、気配を殺しながら。
孤児院の扉は開け放たれていた。中をのぞいてみたが、誰もいない。けれども、昨日と違うのは、床板がすっかりはがされてしまっていて、土台の土がむき出しになっている点だ。
人はいるのか。床板をどこに持って行ったのか。
疑問が湧き出すおじいさんの耳に、かすかな鍬の音が裏手から聞こえてきた。畑の方角だ。
引き続き、足音を忍ばせて、おじいさんは音の出どころへ向かう。
畑には子供たちが集まっていた。おじいさんの息子のそっくりさんも混じっている。彼らは、ぐるりと畑を取り囲み、その中央で神父が土を掘り起こし、穴を掘っていた。穴の脇には、はがしたてと思しき、床板が転がっている。
神父は床板を穴に放り込むと、掘り起こした土を、また元のように戻していった。子供たちはいつもの賛美歌を歌いはじめ、明るくなり始めた空に、澄んだ歌声が響き渡る。その乱れのない動きと響きと光景に、おじいさんは飛び出す機会を逸してしまった。
賛美歌が歌い終わった時、神父が埋めなおした地面が、むくむくと盛り上がり始める。いや、その盛り上がりは数えきれないほどで、まるきり地面が泡立っているかのようだったそうだ。
そして浮かび上がった「地表の泡」からは、ぢゅぽん、という音と共に、何かが飛び出した。それらは畑を囲っている少女たちの手の中へと飛び込み、たちまち産声を上げる。
赤ん坊だった。泡を飛び出した赤子たちが、次から次へと生まれ出て、土を身体につけたまま、思うがままに泣き始める。
おじいさんはあっけに取られていたものの、やがて我に返って、そそくさと家に戻っていき、二度と朗読会に参加することはなかったとのことだ。
やがて、その孤児院を中心に、多くのキリスト教徒が生まれ、全国に教えを広めることになる。彼らは、昼夜を問わずに歩み続ける、比類なき敬虔さで、熱心に布教を続けていたらしい。
そのあまりの実直さに危機感を覚えた太閤秀吉が、バテレン追放令を出すのは、もうしばらく後の話になるそうだよ。




