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見えない監視

 あ、こーちゃん! 学校帰りに会うなんて珍しいなあ。へえ、またけっこう本を買ったみたいだね。その袋、古本屋のものってことは、シリーズものでも大人買いした?

 ――僕の方も、大荷物だって? うん、まあね。新学期が始まったから、教科書もたくさんもらっちゃってさ。こうして手提げ袋に入れているってわけ。もうパンパンだよ。

 新しい本ってさ、開いた時に独特の匂いがしない? 紙の匂いなのかな。ほら、トレーディングカードでも、パックを剥くと漂ってくる、あんな匂いだよ。僕さあ、個人的にあの匂いって、結構好きなんだよね。いかにも「消毒済みですよ!」って雰囲気がして。

 でもね、紙の本をめくる時に、用心しなきゃいけないケースってのが、あるみたいだよ。

 こーちゃん、歩きながらでいいから聞いてみない?


 これは、僕の友達の話になる。

 彼はものすごく成績優秀でさあ、このあたりで一番のトップ校を受験して、合格したんだ。一度、観点全部が最高のオール5なんていう、驚きと味気なさに満ちた、すごい成績表を見せてきたことがあるよ。

 他にもいろいろ見せびらかすもんだから、人によって好き嫌いがはっきり分かれるタイプの人間だった。そんだけ、影じゃすごい努力をして、それを抑えつけられてきたんだろうな、とも感じたけどね。

 その彼が高校に進学して、何日か。健康診断とかと並行して、新品の教科書たちが配られたんだ。そして、お約束の落丁や乱丁がないかのチェック。名前を書けの指示だね。

 彼も、例の新品の匂いというのは、結構好きな人種らしくてね。1ページ、1ページ丁寧にめくりながら、よく確認したみたい。各教室には、花瓶に入った花が生けてあって、その匂いと混じり合って、何とも変な感じがしたんだとか、

 この学校、ページチェックの指導が厳しくてね。先生が机の間を巡視しながら徹底したから、必然的に全員が手抜きできなかった。そりゃ、年度が進んでから気づかれても、困るよねえ。確認が完璧に済んでから授業が始まる。

 だけど、その学校のカリキュラムの進め方は、違和感を覚えるものだったって。


 毎回、どの科目の授業も、ページをめくることが多かった。それだけなら、特段、不思議は感じないだろうけど、補足なりプラスアルファなりで、飛び飛びにページを開かされるんだ。先生の言葉を聞いていれば、ある程度つながりが分かるんだけど、「わざわざ、こんなことを指摘するの?」といった重箱の隅をつつくような、些細な知識もあった。

 毎回の授業コマで、教室中に、紙をめくる音が充満する。その規律正しい雑音は、ある意味で軍隊か工場の中みたいだったと、友達は話していたよ。ページをしきりに行ったり来たりするさまは、さながらゲームブックのようだったとも。めくる時に、ほこりが舞ったりしているのか、くしゃみが良く出るから、マスクをする日もあったと言ってたっけな。

 おかげでテスト範囲も、ページ数が飛びまくってめちゃくちゃ。勉強なら自信があったけれども、周りの生徒も、自分と同等かそれ以上の力の持ち主。わずかな気のゆるみで、あっという間に成績順位は落ちていく。

 人一倍、負けず嫌いの友達は、毎日家でも、全科目のページをひっくり返すかのような勢いで、勉強し続けたってさ。

 

 そして、テスト当日。全員が時間通りに教室に集合している。

 友達は窓際の一番前の席。そばの本棚の上に置かれている花瓶も、花が取り換えられたらしくて、みずみずしい容姿と香りを、周囲に振りまいている。昨日とは違う新鮮な空気に、友達も気を引き締め直したらしいよ。

 教室には常に先生がいるけど、受験している科目の先生じゃない。科目の先生は一定時間で教室を移動しながら、質問があったら受け付けている。ただ、ちょっと気になることがあったんだ。

 先生方は、テストが一つ終わるたび、花瓶と生けてある花を取り換えていくんだ。それどころか、質問を受け付けに、教室へ来た科目の先生が花瓶を持っていて、テスト中にも関わらず、教室の花瓶と入れ替えることも。

 席が近いだけに、友達はわずらわしいこと、この上なかった。しかも生けられる花は、ゆりなどの見慣れた種類から、アフリカの奥地に生えているんじゃないかと思われる、毒々しい色を帯びた名前も知らない種類まで、とても多様。匂いもまた千差万別だった、

 まさか毎回、定期テストのたび、こんな目に遭うのか。友達はマスクをつけ直して、問題を解きながらも、憂鬱だったって。


 やがてテストが終わり、今年度最初の席替えがあった。

 気の合う友達。ちょっといいなと思った女の子たちと近くの席になれたし、テストの結果も上々だったことで、少しは気が紛れた彼。日直だったその日も、放課後に遊びに行く予定が入って、最後の仕事である日誌報告もぱぱっと完了。職員室に届けに行ったんだってさ。

 ドアに「職員会議中」の看板がかかっている。しかもいつもの看板とは違い、下部にペンキで書かれたと思われる、文字のあちらこちらから塗料が垂れ落ちる赤色で、「入室厳禁」とも。

 明らかに何かがまずい。でも、彼はテストが終わったことによる、欲求不満からの解放感と、早く行かないと待ち合わせに遅れてしまう危機感から、心が浮ついていた。

 いつも通り、職員室のドアを軽くノック。返事も待たずに「失礼しまーす」と、ずかずか中へと入っていっちゃったんだ。


 そこには先生たちが全員着席していた。今までの授業やテストで教室に設置されていた、全種類の花と花瓶をそれぞれの机に置きながら。

 先生方の席には、机を埋め尽くさんばかりのプレパラート。その中心部には、花粉らしき様々な色の粉末が見受けられた。

 最前列の白板には、彼の名前を含めた学年の生徒の名前。それらが板のあちらこちらに散りばめられて、相関関係を表すように、何色、何十本もの線で結ばれている。

 線の脇には「信頼」「尊敬」「慕情」「軽侮」「関心」「敵視」「警戒」「断絶」などといった言葉たち。


「入って来るなと書いてあっただろうが」


 彼が先生に叩き出されるまでの数秒間で確認できたのは、それくらいだった。けれども、もっと細々とした文字で、びっしり何かが書かれていたのは、ぼんやりと分かったみたい。


 遊んでいる最中も、職員室でのことを考えてしまい、うわの空だった彼。特に先生方が大量に並べていた、プレパラートが気にかかった。

 彼は家に帰ると、国語の教科書を取り出して、パラパラとめくってみる。見たところ、何の変哲もない。だけれど、やはりくしゃみが出かかった。

 もしやと思い、部屋のボックスティッシュから何枚かティッシュを抜き取り、開いたページを、力を入れて拭ってみる。

 そこには紙の色に同化して、ぱっと見ではわからない、無数の花粉がこびりついていたんだ。くしゃみが出かかる理由は、知らない間に花粉が舞っていたからだろう。

 どのノートにも、教科書にも、花粉がべったりくっついていることが分かって、友達は懸命に拭ったけれど、学校に行って帰ると、すぐに元通りになっちゃうらしい。

 もしや、先生たちがしきりにページをめくらせるのは、花粉を飛び散らせるため……。

 その時以来、友達はマスクどころか帰って来てからのシャワーを欠かさず、制服も毎日取り換えながら、丹念に手入れするようになったとか。



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