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全ては水に

 先輩はミスしてしまった相手を、素直に許すことはできますか? そりゃ、要件によるかもしれませんけど、私はいつまでもネチネチ引きずるタイプです。自分の失敗が、極度に怖い人間なので。

 精神的な潔癖症というか、完璧主義というか、ミスした自分をぐずぐず責めちゃいますね。経歴に傷をつけてしまったという罪深さを、胸に刻みたいんだと思います。

 同時に、ミスしてしまった相手も、内心ではいつまでも許すことはできません。特に組織で動いている時などは。潰されてしまった利益、それらが生み出す可能性、すべてをふいにしてしまうのが、自分ではなく他人。

 冗談じゃありませんよ。手の届かないところ、あずかり知らないところで、計画がおじゃんだなんて。もし、時間を巻き戻せるのなら、当人を「ん〜、ん〜」とうなっちゃう目に遭わせて、食い止めます。

 けれど、現実はそうはいきませんよね。誠意を見せたら、「水に流して、励みなさい」とか。引きずってたら不利益なのは、頭で理解できても、心ではなかなか……踏ん切りがつかないものです。

 そういえば、水に流すことについて、最近、興味深い話を聞きましたよ。先輩、休み時間は空いてます? コーヒーでも飲みながら、話でもしましょう。


 水に流すという表現。どのようなイメージがあるか、友達に聞いてみたんですよ。そしたら、なんて答えたと思います?

「紙と一緒に、トイレへポイして、流しちゃう感じ」ですって。水洗トイレが当たり前になっている、現代ならではの答えかも知れませんね。

 昔は水洗トイレなぞありません。川ですよ川。自然の力に頼らざるを得なかったんですよ。そして、水に含まれる穢れを払う力は、身を清めるのにも使われます。いわゆる「みそぎ」というものですね。

 トイレよりも、むしろ、この「みそぎ」こそが水に流すの語源であるというのが、根強い意見としてあります。

 ただ、入浴の習慣もさほどなかった時代。おいそれと水に身体を浸してはならない、という考えもあったそうですね。


 これはある漁村での話になります。

 人口200人足らずと、小さい規模で、人々の糧は日々の漁によって、賄われていたのです。派手なものなどない静かな場所でしたが、一つだけ名物がありました。

 この漁村のはずれには、全国を行脚する修行僧が、こぞって沐浴を行う、小さな泉があったのです。そこは海水よりもなお濃い塩水が、一年中溜まっていたということです。塩もまた、清めに欠かせないもの。その相乗効果により、一層の浄化作用があると、うわさがされていたとのこと。

 ただし、その泉は志高い僧侶や修験者のみ、漬かることができ、村民の誰も、泉を利用してはならない、という決まりがありました。もしも禁を破ったならば、恐ろしいことが起こるだろう、という言い伝え。

 船乗りの端くれでもある漁師たちは、海という底が知れない存在と、付き合い続ける仕事。そのため、同じく理解の及ばないものである、幽霊や迷信を、人一倍警戒する方が多かったようです。

 ところが何代も時が経ち、外から新しい血筋が入ってきて、元来の血が薄まってくると、古いしきたりを軽く見る人たちが現れてしまうのです。


 男たちが漁に出ている間、女や子供が村の留守を預かることになります。彼らは道具の手入れをしながら、漁に備えているのですが、生活がかかっているだけに、そこに手違いは許されなかったそうです。味方を後ろから打つような真似をしないよう、指導には力が入り、反感を買うこともあったとか。

 そして、年端もいかない子たちは、連帯責任を取らされたそうです。船や投網の手入れの質を競い、出来の良い組は褒められますが、出来の悪い組は叱責を受けたとか。

 間の悪いことに、子供たちの中でただ一人。目に見えて、働きの悪い子がいました。

 大柄で気は優しく、一生懸命取り組むのですが、船に穴をあけ、投網をちぎり、銛まで折ってしまう有様は、疫病神にしか見えなかったようです。いつもみんなになじられて、目には涙が光っていたのだとか。


 ある日、買い物で女たちが村をあけなくてはいけない時間があり、子供たちに手入れの課題が出されました。

 すでに何度も行った手入れ。ほとんどの子は滞りなく完了しました。例の子を除いては。その子はまた今回も、大事な船に穴を空けてしまったのです。

 今日という今日は、みんなも口だけではすみません。蹴られて殴られて、身体中にアザが浮かび、くちびるからは血が垂れました。それでも彼は、ギュッと両の拳を握ったまま、みんなからの責めに耐えていたそうです。

 反応のなさに業を煮やした、子供の一人が言いました。


「母ちゃんたちが、ヘマした奴に言うだろ。『頭を冷やせ』って。ならこいつも、言葉通りの目に遭わせてやろうぜ」


 その言葉で意図を察した子供たちは、彼の身体を全員がかりで押さえつけながら、あの泉へと連行していきます。その間も、彼は謝罪の言葉を口にすることはあっても、暴れたりすることはしなかったそうです。

 そして、泉のふちまで来た時。子供たちは彼を、泉の真ん中へと放り投げました。

 子供は全員、泳ぎを教わっています。彼は、手入れこそ下手でしたが、泳ぎに関しては一、二を争う腕前。泉が多少深かろうと、すぐに浮かび上がってくるだろう、と子供たちはたかをくくっていたのです。

 ところが十秒たち、二十秒たち、百を数えても彼の姿は現れません。万が一の事態が頭をよぎり、皆の背筋が寒くなり始めた時。


 水面が盛り上がったかと思うと、水しぶきと共に、彼は身体ごと飛び出してきました。泉のふちに降り立った彼は、まるで馬のように派手な胴震いをします。

 無事だったか、と子供たちは手前勝手に胸をなでおろしましたが、次に彼が起こした行動に再び、鳥肌が立ちました。

 今まで、誰にも手をあげたことのない彼が、すぐ近くの一人に殴りかかったのです。目が血走った彼の、うなりをあげる剛腕をまともに受けて、その子は骨の折れる音と共に、後ろへ吹き飛びました。

 彼はその場に居合わせた者を、片っ端から殴り倒し始めたのです。彼のあまりの変わりように、子供たちは戸惑い、その間に彼が繰り出す、拳や脚の餌食になっていきます。辛うじて逃げを打った子供たちも、言葉にならない咆哮を上げる彼に追われて、まったく生きた心地がしなかったようです。


 騒動は、村に帰ってきた母親たちの手によって、彼が何重にも投網をかけられることによって、収まりました。彼にぶちのめされた子供たちも、どうにか死者は出ずに済んだとのこと。

 母親たちの追及に、素直に事情を話した子供たちは、今度は彼女らの鉄槌を受けることになりました。

 あの泉が僧侶や修験者のみ漬かって良い理由。それは、あの泉が漬かった者が抱いている、最も望んでいる思いを、強めてくれるかららしいのです。

 僧侶や修験者は、心の中に潜む、わずかな邪心を晴らすために、泉に漬かります。高潔な気持ちでみそぎに臨む限り、泉は清涼な効果をもたらしてくれます。

 ですが、よこしまなる心を抱いたまま漬かれば、心の魔に取りつかれてしまうと。

 子供たちは、彼の涙の下にどれだけの魔が潜んでいたか。それを自分たちがいかに助長してしまったかを知り、おののいたのだとか。

 結局、彼は元の優しさを取り戻すことなく、親をも殺そうとしたことで、叩き伏せられて、海に沈められてしまったとのことです。

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