暴圧電流
つぶらや、スマホのバッテリーは大丈夫か? 危ないようなら、こいつを使ってくれて構わねえぜ。タブレット充電用に、新しく買ったモバイルバッテリーだ。1回ぐらいなら、お前のスマホも充電できるだろう。
それにしても、製品の小型、軽量、高速化のこだわりには舌を巻くよ。わずか数年で、シェアのトップが入れ替わる目まぐるしさ。ぼやぼやしていたら簡単に置いていかれちまうけど、買い替えには金も手間もかかるからなあ。置いていかれないためにも、貯金って結構大切かも知れん。そして、いざって時に動けるような充電もな。
しかし、電気を溜め込んでおこうとは、大したアイデアだと思わないか。はるか昔は、雷でしか電気の存在がハッキリしていなかったのに、時を経た現代では、それを暮らしの中で使えるようにし、なくてはならないレベルまで昇華している。人間の知恵と執念には恐れ入るねえ。
だが、その探究心は、時に今まで知り得なかった事態を呼ぶこともある。俺自身が出くわした話。興味があるか、つぶらや?
俺が学生の頃の話だ。
お前も知っての通り、俺は気温の変化に弱い男でな。気温が高かったり、低かったりする日は、エアコンをガンガンにつけていないと、生きていけないんだ。家だったら寝る直前まで、エアコンの効いた部屋に閉じこもることができるから、何とか命をつなぐことができるんだが、問題は学校だ。
人ひとりの意見じゃ、絶対に冷暖房をつけちゃくれない。当たり前だろ、と思われるかもしれないが、俺には十分死活問題だった。ゴールデンウィークを過ぎては暑がり、9月に入らないうちから寒がる日が増え始める俺。許される限りの対策をしても、まだ足りない。
冷暖房って、常時つけ続けることのできる家電の中じゃ、特に電力を消費するらしいな。ちりも積もれば山となるで、電気代を考慮した学校が、つけたがらないのも分からなくはない。
だが、人工的な気温調整に慣れちまった俺は、学校でもちょっとは冷気や熱気にあたりたかった。そして、ある年の冬のこと。
早朝。朝練習でもないのに、俺は一時間早く、教室に入った。
俺のクラスには、教室の片隅に、大型の電気ストーブがある。先生が許可した時だけ使用することができ、普段はゴムカバーをかけられて、一年の大半を、クラスのみんなが、気まぐれに使う物置場として暮らしている。その封印を、俺は勝手に解き放とうとしていたんだ。
普段使わないからだろう、プラグは外されている。俺はそれをコンセントに差し込むと、カバーをめくってスイッチを入れる。
数秒後。ゴウウンとうなるような音と共に、ストーブが稼働した。あまりの音の大きさに、先生の誰かが駆けつけて来るんじゃないかと、おっかなびっくりだったが、運よく教室の外を通る人すらいない。
音は数秒ほどで収まり、ほどなく、手をかざしたくなる暖かさが、ストーブから染み出してきた。俺は自分の席のイスを近くに持ってきて、どっしりと腰かけながら、熱気を堪能していたんだが、いくらかしておかしいことに気がついた。
ストーブの火力が、急激に強くなっていくんだ。出力は最低にしてある。なのに、ものの数十秒で、俺の額からは、汗が滝のように流れ落ちてきた。家で予め暖めたこたつに潜り込んだとしても、こんな事態にはならない。それこそ発熱体に顔を押しつけるような、愚行でもしない限りは。
俺は慌ててストーブの電源を切る。襟足からじわじわと、冷たいものが首を伝っていくのが分かった。
教室中には、ストーブの熱が充満している。使っていたことがばれたら、まずい。俺は教室の窓を全開にして、ひたすらに熱気を逃がした。急激な気温の変化に、とめどなくくしゃみが出たが、構ってはいられない。
この所業の証拠を、隠滅しなければ。俺の中の本能が、必死にそう叫んでいた。
どうにか、みんながクラスに集まり始める頃には、教室に元の冷え切った空気が行き届き、ストーブ自身の熱も収まっていたよ。
これでいつも通り過ごせる。そう思っていたんだけど、あいにくその日は、予想以上にドタバタする一日となった。
2時間目の体育。ダンスの時間だった。
先生が用意するラジカセの音楽に合わせて踊るんだけど、その日はのっけからラジカセの音が出ないんだ。コンセントにつないでいるから、電池切れとも考えづらい。先生も首を傾げながら、再生ボタンを何度も押したり、CDを取り出しては入れ直したりしている。
俺たちはこのトラブルをいい事に、近くの連中とくっちゃべっていたんだが、やがてラジカセから出るノイズに、音楽が始まるのかと、ピンと背筋を正した。
ところが、流れてきたのは、聞き慣れた外国人女性の声による、英語の歌詞ではない。ライオンのような獣の声だったんだ。それがひとしきり響いた後に、女性の悲鳴。いつもCDで耳にしている、外国人女性の声だった。
音だけで紡がれる、爪牙の惨劇。それは最後にもう一度ライオンの咆哮が響き渡ることで、ブツリと切れた。先生を含めて、その場にいる全員が唖然としちゃったよ。
CDもラジカセも、うんともすんとも言わなくなってしまい、結局、先生のアカペラでダンスをすることになってしまったんだ。
給食の時間。うちの学校の校舎は4階まであって、給食を乗せたワゴンを、エレベーターで運ぶことができる。ところがその日、エレベーターで事故があった。
給食室でワゴンが乗せられた後、4階のボタンが押されて、ドアが閉められたんだ。その瞬間、エレベーターは急上昇。校舎全体に響くかという地響きを立てて、4階よりも更に上部にある、エレベーターの天井に激突した。
先生たちが力づくでエレベーターのドアをこじ開けた時、上からポタポタとシチューの雫が垂れ落ちていたと聞く。もしも人が一緒に乗っていたら、大惨事だったに違いない。
エレベーターは使用禁止となって、点検の間は給食係が、1階にある給食室と自分たちの教室を往復する羽目になったよ。
そして5コマ目。情報の授業。
タイピングの学習だったが、授業が始まってほどなく、最前列の教卓に座っていた先生が立ち上がると、廊下側で一番前の生徒のパソコン画面をのぞき込んだんだ。
教卓のパソコンは、生徒たちが使う、教室中のパソコン画面を見ることができる。前にそのことを知らずに、インターネットで関係ないサイトを見ていた生徒が、注意されたことがあった。
だが、今回はのぞいた先生も目を見開きながら、生徒のマウスを奪い取り、キーボードを時折いじっている。何が起きているのかと、俺を含めた野次馬が画面をのぞいてみた。
目の覚めるような青一面の画面。ブルースクリーンだ、ととっさに思った。システムに何かしらの異常が起きている。だが、本来表示されるべき、白文字の警告文は、そこにはない。
代わりに、何か黒い影のようなものが、さっと画面を横切った。そいつが通った後は、起動前のパソコンと同じ色の、漆黒の筋が残される。青い部分を、きれいに削り取っていくんだ。
先生が色々といじるが、黒い影はそれをあざ笑うかのように、一本、また一本と、己の足跡を残していく。画面の半分が黒くなった時、先生はパソコンの主電源に手を掛けた。強制終了させるつもりだ。
だが、止まらない。影は次々に、青地を食い漁っていき、その最後のひとかけらさえ、もぎ取った後に、ようやくパソコンの電源は落ちた。同時に、動いていた他のパソコンたちも、一斉に意識を失い、沈黙する。
先生は、ふう、と長い溜息をついたけど、ほどなく女子生徒が短い悲鳴と共に鼻をつまんだ。俺を含めて、その場にいた全員も、つられて鼻を押さえる。
理科の酸化実験をした時の、何倍もひどいにおい。その源はパソコンをつないだ、コンセントだった。
床から飛び出していたコンセント。そこから、差してあるプラグがひとりでに抜けていく。その先端は何十時間も熱を持っていた時のように、半ば溶けかかっていた。
コンピューター室が利用禁止になった翌日。その日も、俺は教室に一番乗りした。昨日のように、ストーブに当たるつもりはない。むしろ、ストーブから遠ざかりたい気分だった。
けれど、昨日のコンピューター室で嗅いだような異質な臭いが、コンセントから漂ってくる。ちらりと目を向けると、コンセントの差込口から、茶色い液体が漏れて滴っている。どこか粘り気のある垂れ具合は、まるでよだれのようだった。
臭いの原因は、どうやらあの液体らしい。俺は気味悪さを感じたものの、みんなが来たら騒ぎになると思って、ティッシュ片手におそるおそる、近づいていったよ。だが、いざ拭おうと、俺が手を近づけた瞬間。
コンセントが音を立てて、壁の中に引っ込んだ。ぽっかりと空いた穴。そこから細くて長い、灰色の舌が伸びたかと思うと、ティッシュを握った俺の甲を、ぬらりとなめる。
思わず「うおっ」とうめいて飛びのいた俺は、近くの机に背中からぶつかって、しりもちをついちまった。痛みで動けない俺の前で、舌は穴近くの床をペロリペロリとなめまわしたかと思うと、すっと引っ込んでいったよ。我に返った俺は、みんなが教室に集まってくるまでの間、夢中で手を洗った。
ぽかりと口を開けたコンセント跡。みんなが騒いでいたのを、先生が黙らせると、ガムテープで何重にもきつく栓をする。更に朝会が開かれて、今年いっぱいの冷暖房禁止令が出されてしまった。
俺の身体にとってはつらい事だが、もうそれどころじゃない。あの穴の中に引っ込んでいった舌の主。あいつが原因だと思っている。きっと、俺が不用意に起こしてしまったんだ。
学校を卒業して久しいけど、あいつは今もどこかのコンセントの向こう側で、這いずり回っているんだろうか。




