人生の山
ん、どうした、つぶらや。そわそわしちゃって。
ケータイのアドレス登録? 別に構わんぜ。……ほい、こんなもんでいいだろ。
アドレス登録のためだけに、声をかけるのが忍びなかった? ははあ、用事がないと、人としゃべるのに尻込みする感じか? まあ、気持ちはわかるわな。
俺なんて始終そんなもんだ。話題は少ないし、自分から声をかけるのもおっかなびっくりで、ケータイのアドレス帳も、家族をのぞけば、数えるほどしか入っていない。昔はそれなりに入っていたんだが、今となっちゃ、あれも幻だったんじゃないかと思う。
どうして消しちまったのか? 正直、ハズイ話であまりしたくない気もあるんだが……現在の俺のルーツでもある。笑い話だと思ってくれた方が、こちらも気が楽だ。あまり構えないでくれ。
昔から、俺は人見知りで通っていた。というのも小さい頃の、思い出が大きい。
俺は母子家庭でな。母親の後ろ姿を見て育った。掃除とか、料理とか、裁縫とかをしている姿を見慣れているから、それが当たり前だと思っていたんだ。
だが、保育園や小学校に行った時、俺がこの手の話題を振っても、誰もいい反応を返してくれなかった。「ふ〜ん、すごいねえ」でたいていの会話は終了。みんなは元のアニメとかゲームとかの話に流れていった。俺の話題は1分も場を持たせることができなかったんだ。
この時、素直にみんなの話題に乗れていたならば、どんなに気が楽だっただろう。だが、俺はみんなが夢中になっているものに、ついていくことができなかった。いや、厳密にはついていこうと、どうにか知識を取り入れて、中に踏み込んだことがあったさ。
だが、俺の付け焼き刃の情報など、誰も求めてくれなかった。
「はあ? お前、こんなことも知らねえの? にわかが入って来るんじゃねえ」
そんなことを言われたのは、一度や二度じゃない。みんなが求めていたのは、もっとディープでマニアックな情報だった。ド素人の俺が入っていけない、ボーダーラインを感じたよ。
わずかな成功体験にでも恵まれていたら、あるいは違ったかもしれないが……あいにく、俺は良い体験を積めなかった。だから、自分から話を振ることもなくなり、相手からも距離を取ったんだ。本当はあの輪の中で、大勢に囲まれていたかったのに、できなかった。
内心、むしゃくしゃしたよ。俺が興味を持ったものって、どれだけの価値があるんだろうって。今までの暮らしは何だったんだろうって。
母親を逆恨みしたこともあったが、やがて機会が訪れることになる。
中学に上がったばかりの時だったように思う。
お弁当強化月間だったか何かで、給食の代わりに自分でお弁当を用意する、という長い期間があったんだ。ウチの学校は徹底していて、家の人の手を借りずに、自分の手だけで作ったかどうか、裏まで取っていたんだ。
特にウチのクラスは、親に頼りきりで、調理実習以外じゃロクに包丁を持ったこともない生徒が大半。味気ない弁当がほとんどだったっけ。
その中でも、俺の弁当は目立った。全部、母親から学んだものだったけど、みんなは「すげえ」と、素直に喜んでくれたんだ。それは、母親以外からは数えるほどしかもらったことのない、うなじがむずむずするような、こそばゆさだったよ。
弁当作りのコツから始まった、クラスメートとの交流は、俺にとって新鮮なものばかりだ。今まで、俺の趣味に興味を示さなかった周囲が、こぞって俺に尋ねに来てくれる。頼りにしてくれる。その中には小学校からの顔なじみも、大勢いたんだ。ケータイのアドレス帳も母親と親戚だけの寂しいものから、五十音のほとんどの行に、名前が登録されているものに変わっていく。
たまらなく、嬉しかった。同時に、心の中で「こんなこともできないなんて、大したことない奴らだぜ。そんなんで、俺を卑下してたのか。くく、腹痛え」と、にじみ出る優越感に、うっとりと浸ってた。
決してそれらを表に出さず、俺は自分の知恵をひけらかしていたよ。気持ちよかったから。おかげでみんなの輪の中に入れたけど、俺は何も分かっちゃいなかった。
変わったのは周り。俺は何一つ変わっちゃいなかったんだ。
みんなは料理以外でも、時々、俺を外出に誘ってくれた。そして、俺はそれにホイホイとついていくんだ。ただ、日時がバッティングすると、どうしてもどれかを諦めざるを得なくなる。
断りを入れるのは、怖い。だって、自分から切り出さないといけないのだから。そしたら、たった一回だけでも、みんなは俺を見限るかもしれない。あの時みたいに、俺は拒まれるかもしれない。
嫌だ。絶対に嫌だ。そんな目に遭うくらいなら、自分から動きたくない。近寄りたくもない。
俺は黙っていた。あの寒いところに、また落ちたくはなかったからだ。だけど、相手にしてみれば、俺が自分勝手な行動に出たとしか思えないだろう。
そんな不誠実な奴と、好きこのんで付き合おうとするなど、どこの物好きか。俺はまた多くの人に距離を置かれ出したんだ。
俺はどこまでもバカだった。離れていく人を、俺につなぎ留めようと画策したんだ。これが、俺にとって初めての能動的なアクションだったよ。去り行くものを追いかけて、今いる人を蔑ろにする。本当、自分勝手だったよなあ。
そうして、俺はそばにいてくれた人を失い、去っていく人も取り戻せずに、また元の一人に逆戻りさ。
お弁当の強化期間も終わった。また、誰も俺を必要としてくれない。いや、それどころか、誰も俺に構ってくれなくなった。俺が一体、どんな奴なのかは、今までの行動が証明してくれているんだ。
積み重ねてしまった罪科。崩すこともできず、俺はそのまま中学生活を終えたよ。
そして、今の高校生活。俺は知っている人のいないところに来たくて、家から遠い、この高校を選んだ。みんなのアドレスも、見ているのが辛くて消しちまった。それも、相手からしたら不快に思うか……むしろ、まったく気にされていないかだろう。電話とかメールとか、もう来ないもんよ。今、入っているのは、件の家族と、お前だけだ。
俺はあの時期が、人生の山だったと思っている。どこまでも上を見ていたかったら、俺は今いる人を大事にすべきだった。でも、どれくらい大事にすれば良かったのだろう。
急激に登った山は寒い。息は苦しいし、天気だって、いつ変わることか。そんな山をいくつもいくつも抱えて、算を乱さない奴は、本当にすごいと思うんだ。
俺はただ気持ちよく、山に登って、山を荒らして、下るだけだった。おかげで山は崩れてしまい、元の姿には戻らない。そして、俺には長い時間をかけて、それを取り戻す勇気は、残っていないんだ。
正直、俺は今でも怖い。自分が受け入れられないこと。受け入れられたとしても、それを壊してしまうことが。
そんな俺でも良かったら、つぶらや。お前と一緒に、人生の山を築いていけたらと、思うんだ。




