赤い靴
おお、つぶらやくん。その靴、おニューの靴じゃないか?
当たりだろ、へへ。小学校も高学年になるとさ、もうマジックテープの靴なんて、履いてられないと思わないかい。あのべりべりとワンタッチでつけたり、はがしたりするお手軽な感じが、いかにも「僕はまだ、こんな簡単じゃないと、靴を履けないんでちゅ〜」とアピールしている感じがしてさ。
もう10年は生きたんだ。ひもを通すことも、ちょうちょ結びも、自分でできる。もう、子供じゃないんだぞって、背伸びをする手段の一つだと思うんだよ。ヒモ靴のチョイスって。
あ、そういえばつぶらやくん。その靴、ちゃんと下駄箱に置いて、履いた靴だよね? 家の中で履いて、そのまま玄関に降りましたって、靴じゃないよね? ふう、それは良かった。
昔からの言い伝えであるでしょ。靴を履いたまま、玄関に降りちゃいけないってさ。あれの本当の意味を知っているかい?
まだ休憩時間も残っているし、良かったら話そうか。
家の中と家の外。明確な区分をしようとする試みは、ドアを初めとして、様々なものが存在する。家の中は、人間にとって城であり、縄張りだ。許した者のみを通し、他は入り口で追い払わなければならない。
多くの人は、外から中に入ろうとするものには敏感だけど、中から外に出ようとするものには鈍感だ。外は異質だと分かるが、内は自分にとって慣れ親しんだもの。それが移動するだけで、変わることはないと、ややもすれば考えがちになる。
だけど見方を変えれば、「外」という「内」に、異分子として突っ込んでいくということなんだよ。
僕の母さんが、まだ子供だった頃。誕生日のプレゼントとして、赤い靴を買ってもらった。童謡にも出てくるような、外国風のデザイン。お母さんも一目ぼれをしちゃったらしい。
けれど、翌日にすぐ履いていくようなことはしなかった。というのも、誕生日の数日後に学校の遠足が迫っていたんだ。おニューの靴、どうせなら晴れの舞台で、みんなにお披露目したいと、思ったらしい。
そんなお母さんに対して、おばあちゃんは「夜に靴をおろしてはいけないこと」「家の中で靴を履いて、そのまま外に出てはいけないこと」を約束させる。けれど、お母さんは遠足当日の、みんなからの賛辞を皮算用していたところで、正直、うわの空だった。
靴を元のように箱に戻して、自分の部屋にしまいこんだんだ。
そして、遠足前日の夜中。
楽しみで寝付けなかったお母さん。荷物の確認をしながら、明日、出かける時の予行演習をし始めた。その時、あの赤い靴を箱から引っ張り出してね、シミュレーションとして、家の中から玄関に、降り立ってしまったんだ。
格別の履き心地に満足したお母さん。そのまま玄関に残して、おばあちゃんに突っ込まれたくないから、靴を元通りにしまい直して、また布団に寝転がったんだって。
ほこりもしっかり払ったし、黙っていれば分からないだろう、と思ったらしいね。
そして、遠足当日。お母さんの期待通り、みんなはお母さんの目立つ靴に注目してくれた。新しい靴ということで、お母さんもちょっと汚れるたびに、濡らしたティッシュで汚れを拭ったみたい。
人間、新鮮なうちは気に掛けるんだけどねえ。慣れてくると、どうでも良くなってしまうとか、罪だなあ。
みんなの反応を堪能したお母さんは、玄関にみんなの靴と一緒に赤い靴を並べて、その日はぐっすり眠ったんだって。
ところが翌日。例の赤い靴はなくなっていた。そのうえ、玄関の引き戸には、乾いた泥がついていたんだ。更に外をのぞいてみると、泥のついた靴跡が、道路に向かって消えている。
「あなた、言いつけを守らなかったわね」
お母さんが靴を探す様子を見て、おばあちゃんが詰め寄ってくる。その形相は般若のようで、お母さんは半べそをかきながら、遠足前日の夜のことを白状した。
おばあちゃんは、ため息をつきながら話す。夜というのは、人間にとって休むべき時間。いわば、人のいぬ間に神様たちが動く時間。そうやって家の中を巡回してもらうことで、私たちは安全に過ごすことができている。
ところが、その時間に人が靴を履くというのは、緊急の用事であることがほとんど。何か大事があってはならない、と家の神様が靴にくっついて、一緒に外に出て行ってしまうのだと。
室内で履いて、玄関に降りた時も同じ。玄関でゆっくり履くことができない事態なのかと、神様が心配して、ついていってしまうのだという。そして、一度、外を知ってしまった神様は、更に関わる相手を求めて、外に出続けてしまうとも。
ならば、靴を探しに行かなきゃ、と責任を感じて、躍起になるお母さんだったけど、おばあちゃんが、それを止めた。
たとえ、見つけることができても、神様はすでに「お友達」を連れている。それは家に害をもたらすかも知れない。「お友達」もまた関われる相手を探す。知らぬ存ぜぬを通して、触れないようにしなさい、と注意されたとのこと。
一日で、お古の靴に戻してしまったお母さんに、周りの人は首を傾げたり、理由を尋ねたりしてきたけれど、お母さんはお茶を濁した。
その日から休み時間や登下校の間に、お母さんの前に、あの赤い靴がよく姿を現すようになった。
ある時には、校庭の隅っこに。ある時には朝礼台に。ある時は車止めの上に。
左右が揃っていることもあれば、片方しかない場合もあったけれど、確かにお母さんの履いていた赤い靴に、違いなかった。国道の直前に揃えて置かれていた時には、飛び込み自殺をした人の靴のようにも見えたって。
友達が、あれはお母さんの靴じゃないのか、と指摘してくれる時もあったけど、おばあちゃんに言われた通り、お母さんは徹底的に無視を続けた。
やがて、赤い靴は姿を現さなくなった。どこかに旅立ったのか、誰かに拾われたのか。お母さんはほっとすると同時に、せっかく買ってもらった靴を、台無しにしてしまったことを悔いたみたい。
そして、現代。
つぶらやくんは、最近のニュースを見たかい? トラックが歩道に乗り上げて、下校中の児童を次々にはねた事故。警察に務めている、親戚のおじさんが調べたところ、現場には被害者の数よりも、一足多く靴が転がっていたらしいんだ。
あちらこちらにガタが来ているボロ靴だったけど、その表面だけは、まるで血を浴びたかのように、ぬらぬらと、てかっていたんだって。鑑識に回されたけれど、その後、いつの間にか姿を消していた、という話だよ。




