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心と実態

 こーらくんの将来の夢は何かな? 君の年だったら、これから何にでもなれるよ。どうせなら、抱えきれないほど大きな夢を持ってくれ。そうすれば、上には上がいることが分かり、井の中の蛙のごときことには、ならないだろう。今のところの予定だけでもいいから、聞いてもいいだろうか?

 え、まだはっきり決めていない? 世界の役に立つ仕事をしたい? はは、何ともこーら君らしい意見だ。実は、役に立つ仕事に就きたいという意見、他の多くの生徒からも聞くんだよ。

「役に立つ」って便利なワードだ。抽象的であるにも関わらず、「プラスの要素ですよー」とアピールしている。相手の気分を害することは少ないし、安全な受け答えだろう。


 だが、この際はっきり言っておこうか。この世の仕事は、すべて何かしらの役に立っている。「役に立つ仕事」という言葉は、裏を返せば「どんな仕事でも構わない」という意思表示でもあるんだ。

 だって、役に立たないんだったら、それはもう仕事じゃない。道楽か、もしくは更に下の方に位置する、何かだ。へたをすれば、逆に人を傷つける「害悪」たりえる。

 先生の身で言うのも何だが、みんなにはもっと専門的な、社会で役立つ教育を用意したいところだよ。「やりたい、やりたい」と気持ちばかり先走っても、実際には「できない、できない」じゃ悔しいだろ?

 ――む、ちょっと説教臭くなってしまったかな。ごめんね。お詫びに、こーらくんに一つ、話をプレゼントしようか。

 気持ちだけの、口だけ男の話をさ。


 今からだいぶ昔のこと。

 その男は、農家の末っ子だった。図体はでかく、家族の手伝いはできたんだが、野良仕事よりも剣術に興味があって、近所に道場があるのをいいことに、時々、仕事をさぼっては稽古に入り浸っていたんだってさ。

 良い作物を作る要素には、時間や気候に加え、口では表現しがたい「呼吸」というものがある。その男は、大事な「呼吸」に関して、一向に学ぶ気がなかった。少しでも自分にとって分かりづらかったり、苦痛に思うことがあったりすれば、すぐに剣術に逃げていたんだ。

 しかし、その剣術も下手の横好き。勝てるのはズブの素人か、よっぽど体格差がある相手だけ。真面目に剣術を習った相手には、手も足も出ず、こてんこてんに負けた。

 だが、彼はめげなかった。


「この鍛えた身体が、絶対に人の役に立つ時がくる。その時のために、ぱりっと動けなくちゃいけねえ」


 そう吹聴しながら、稽古にいそしむ彼だったが、さっぱり上達する気配はなく、家の手伝いをしないことで、家族からも疎ましがられ始めた。

 彼は好きなことのために、生活に必要で大切なことを顧みない、ごく潰しになっていったんだ。


 それからしばらくして、彼は実家を追い出されることになる。家族が汗水を垂らしながら作った米や野菜を、労せずに食すばかり。家族の怒りは想像に難くないだろう。

 追い出された彼は、いつも通っている道場に「食客」として雇ってもらえないかと申し出た。「食客」は、食わせてもらう代わりに、他流試合などでは率先して相手と対峙する、いわば道場の用心棒的な存在だ。

 だが、彼のなよ腰な腕で務まるはずがなく、あまりにしつこく頼み込んだために、出入りまで禁止される始末だった。

 それから町に出て、働き口を探す彼だったが、当時は、雇われた者でさえ、働きの悪い奴は、どんどん解雇されていくほどの不景気。何の技術もない流れ者である彼を、雇ってくれるところは、どこにもなかった。

 何日も野宿を繰り返し、はじめは陽気だった彼の心に、わずかずつ、湿気がはびこり出した。

 どうして認めてくれないのか。役に立とうとする気持ちだったら、誰にも負けない。一度雇えば、腰を抜かすくらいの働きをしてやるのに、見る目のない連中だ。

 彼はしばしば、そんな恨み言を漏らす。どちらが本当に見る目がないか、分かっていないのは彼ばかり。


 それから数カ月後のこと。彼の家族が町に向かった時、偶然、彼の姿を目にすることがあった。もっとも、道の上や屋根の下ではなく、郊外の森での話だったけどね。

 木々の上から、家族の前に降り立った彼は、口に雀を加えていた。猫背になり、がに股になって、しきりに身体を揺らしている彼の動作は、猿を思わせた。その瞳は、灰色にくすんでいる。

 家族があっけに取られている間に、彼はのどをフ―、フーと鳴らしながら、跳躍。生い茂った木々に、次から次へと飛び移って、森の奥に消えてしまったらしいんだ。

 目撃談は、他の者からももたらされた。

 ある時は、渓流を小魚と一緒に泳ぐ姿。ある時は、地面に這いつくばりながら、鼻をならし、盛大に地面を掘り起こして、ミミズを乱獲する姿。そしてある時は、町中の犬や小鳥、売り物の魚に至るまでも、彼は手づかみで強奪していく姿。その醜悪な姿は、見る者があまりのおぞましさに、顔を背けるほどだったという。


 ついに彼に対する捕縛令が出されたが、実質、生死は問わないものだった。

 徹底的に網が張られて、それに引っかかった彼は、人とは思えない腕力と脚力で人々をかき乱す。けれど、多勢に無勢。徐々に追い詰められ、住みかと思しき洞窟の近くで、一発の鉛玉によって、その生を終えることになる。

 だが、彼の向かおうとした洞窟の内部を調べた者たちは、驚きの声をあげた。

 中にはいずれも、まだ子供のオオカミたちが何匹もいた。彼らの周囲には、明らかに魚や小鳥のものと思われる、骨が散らばっていたとのことだ。

 彼の逃げた道を改めると、ところどころに、まだ狩りができないほどの小さな動物たちが身を寄せ合った形跡があり、彼が手にいれた食料の残骸が見受けられたらしい。


 彼は弱きものたちの庇護者になっていたのか。

 いやいや、子供を残して死んだ、畜生たちの霊に憑かれていたのだ。

 人々は口々にうわさをしたが、確かなことは一つ。

 かねてからの望み通り、彼は役に立ったのだ。人ではないものたちの。



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