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ジャンプ・ジャンプ・金魚

 祭りが近くなってきたせいか、辺りから祭囃子を演奏する太鼓の音がするな。うちの和太鼓部も参加するという話だぜ。恥ずかしながら、この学校に入るまでは、和太鼓部にも全国大会があるなんて知らなかったんだ。うちの学校って、想像以上にすごかったんだなあ。

 つぶらやは太鼓を叩いたことはあるのか? 今じゃ、ゲーム感覚で叩けるようになっているからなあ。その気になれば、すぐにでもという感じだろ。俺個人としては、太鼓に宿る特別感って奴が好きなんだがな。

 伝統芸能を越えて、芸術音楽にまで昇華された太鼓。それにまつわるエピソード、いい機会だから聞いてみないか?


 日本の打楽器に分類される太鼓は、バチで打たれるものだとされている。手で打つものに関してはつづみと呼ばれるようだな。「命のリズム」なんて形容されるように、心臓は「鼓動」するだろ。太鼓の振動と心臓の動きには、大きな関係があるというのは、今なお力説されていることだ。

 太鼓は、命の盛り立て役である。そんな自負が、伝統ある太鼓を打つ者を強く縛り付けることがあった。太鼓の流派が多くできるようになったのが、江戸時代。特に歌舞伎を盛り上げる効果音として、各団体がしのぎを削るようになった。

「鳴り物入り」という言葉があるだろう。鳴り物は太鼓のこと。その音一つをとっても、対象に箔をつけるには十分。打ち方は、日々、研究を重ねられる。

 これは、その流派の一つで起こった出来事だ。


 その流派も歌舞伎の音響担当によって、知られていた。特に雷の音にかけては一級品と伝わっている。開祖が太鼓を叩いた時、劇場の脇にあった池の金魚が、一斉に飛び跳ねたという逸話があってな。その奥義は「魚跳うおとび」として、その流派における上達の証として使われるようになったんだ。

 弟子が多いその流派だが、「魚跳び」をおさめる者となると、ぐっと数が減る。逆に言えば、その「魚跳び」が使えるだけでも、太鼓叩きとして生活ができたという話だ。

「魚跳び」の試験は、大々的に告知がされて、修行の成果を衆目に晒されることになる。この程度で重圧を感じるようでは、大舞台で演じることなどできない、という意味も込められていたらしい。

 弟子たちは基本的に住み込みで、日々、切磋琢磨しながら「魚跳び」習得に向けて、修行を重ねていたらしい。


 何代目かの魚跳び伝承者の代のこと。

 当代の伝承者は、開祖の最後の弟子だった。「魚跳び」を会得するために、日夜練習に励み、家族、友人、恋人、娯楽……あらゆる楽しみを辛抱してきた。

 その甲斐あって、彼の評判はうなぎのぼり。長年、苦労をし続けてきただけに、その感慨深さもひとしおだった。けれど、苦労が報われることを知った彼は、自分以上に相手にも厳格になっていったんだ。

 弟子たちのふぬけた稽古に喝を入れ、拳や足、罵声を飛ばす。へばる弟子たちを徹底的にしごき上げたんだわ。そして、二言目には「俺の時には、こんな程度の稽古など……」と自分語りが入る。自分が会得のために、血のにじむような努力をしてきたことを、わかってほしかったのかも知れない。


 だが、弟子たちにとっては、腹が立つ自慢話にしか聞こえなかった。そして反論する。

「自分たちは、自分たちの限界までやっている。あんたの常識を、俺たちの常識に当てはめるな」とね。度重なる衝突で、やめていく弟子も大勢いた。

 中には師と正面から口論する度胸を持てず、「体調が優れないため」「身内の病のため」などと、いかにも最もな理由をつけて、去っていく者もいた。そのような奴に限って「必ず戻ってくる」という、守らない言葉をくっつけ、事を荒立てまいと必死になる。

 師も、度重なる言い訳に、内心で辟易しながらも、若い芽が潰れて行ってしまうことに、人知れず悩んでいた。

 自分だって何度も逃げ出そうとしたことがある。だが、命を懸けて臨み、走り続けなければ、この奥義は体得できない。傷をなめ合っていたら、ナアナアの馴れ合いで、何もつかめずに一生が終わる。

 文句を垂れる暇さえ惜しみ、命を賭け続けることで、ようやくものにできるというのに。

 ままならぬ思いの一方通行が、師の胸を絶え間なく傷つけていたんだ。


 そして、ある年の試験前日。

 一人の弟子が、暇乞いをしてきた。先ほど訪ねてきた知人に、故郷の家族が病に倒れたことを聞いたので、見舞いたいと申し出たんだ。

 その弟子は、現段階で師が期待をかける者の一人だった。今回の試験で合格すれば、跡取りとして、最有力の候補となる。彼の努力は、師も認めるところだった。

 だからこそ、ここで手放したくない。師はその思いを内に秘め、表向きはいつも通り厳格に、頑として受け入れなかった。弟子は更に一回食い下がったが、それも跳ねのけ、試験に向けての準備をするように、師は告げた。

 弟子の目の端には光るものが見えたものの、やがていつも通り太鼓の前にたち、調整に入ったとのこと。


 試験当日。

 多くの人が集まる中、道場の中央は畳が敷かれて、長胴太鼓と、水を張った大きな金魚鉢が置かれる。鉢の中に金魚が入れられ、規定の演奏回数内での跳ね具合によって、試験の合否が決まるんだ。級が上がるにつれて、跳ねさせなければいけない金魚の数が違う。

 例の弟子は唯一の最上級挑戦者。一時に五匹の金魚を跳ねさせる必要がある。順番も最後に回されて、雰囲気も高まっている。弟子は作法、振る舞いこそ全く乱れていないが、目元は真っ赤だった。直前まで、泣きはらしていたのだろう。

 師は上座から、その様子をじっと見守っていた。ここで合格すれば、自分の跡目として申し分ない才能を示すことになる。あとは、心の乱れを抑えられるかどうか。

 許される演奏回数は三回。与えられる時間は五分間。一回、十秒前後だが、精神統一などで、たっぷり時間を使うことが許される。ただし金魚鉢に触れたり、畳敷きから下りることはできない。できるのは、その場で己を高めるのみ。


 一回目。一打ち目から全速力。観客のうなる声が聞こえた。

 姿勢、腕の振り、加速、下半身。どれを取っても、精妙な打ち手であることが、わかったのだろう。

 だが、浅い。この揺れでは二匹程度だろう、と師は察する。果たして、その通りになった。

 二回目、今度はゆったりとした一つうちから、早さを上げていく。最後の盛り上がりは、観客の身が震えるほどだった。

 だが、足りない。ぎりぎり四匹程度だろう。予想通り、跳ねる金魚は四匹。

 弟子は太鼓の前で正座をし、黙想した。観客も一切言葉を発しない。いかなる神秘も降り立てそうな、張り詰めた時間が流れる。


 そして、時間ぎりぎりになって。

「あっ」と誰かの短い悲鳴が上がる。観客は出どころと思しき、道場の入り口を振り向いたが、そこには誰もいなかった。しかし、弟子はかっと目を見開くと、ばちを握って太鼓の前に立つ。

 三回目。一回目と変わらぬ全力疾走。

 だが、一回目と違う。弟子が二回叩いた時点で、師は思わず胴震いする。雷に打たれたような痺れが、全身に走ったのだ。

 いける。その直感通り、鉢の中の金魚たちは、まるで空に垂れ下がっているエサを食わんとするように、我先にと何度も何度もバチの中から、跳ね飛んだ。演奏が終わっても、金魚たちの舞は止むことはなかったらしいぜ。


 あるいは自分を越えたかもしれない。そんなことさえ感じた師の元に、例の弟子がやってきた。

 金輪際、太鼓に関わることはやめる、という申し出だった。その手はわなわなと震えていて、断れば、師さえ殺すことも辞さない。そんな怒りに満ちていた。

 師は弟子の激情を、静かに受け止める。もう、自分ごときで彼を抑えることはできないだろう。彼は弟子の申し出を受けたんだ。

 それから後、師の後継者は現れず、「魚跳び」は絶えることになる。ただ、あの弟子の試験の三回目が行われる時、ちょうど弟子の故郷にいる家族が、一斉に息を引き取ったのだという話を、師は耳にすることになる。


「魚跳び」を極めるには、あらゆるものを、大切なものの命すらも、捨てなければならない。

 何度もそうつぶやいた師の太鼓は、晩年になっても変わらず、多くの金魚たちを、天に舞わせ続けたとのことだ。



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