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士に反する

 ほ〜、今回のつぶらやくんの研究テーマは魑魅魍魎かい。好きだなあ、君も。

 こうして生きているとさ、自分の死角には何かが潜んでいる、と覚えるような感覚に襲われることがあるよね。魑魅魍魎を生み出すのって、それらの警戒心の現れだろう。

 辻の角、建物の影、誰も寄り付かない廃屋……不意に何かにでくわして、寿命を縮めてしまうことがあったかもしれない、これからを生きる人に、同じ不幸が降りかからないよう、人々は想像力をたくましくしたのだろうね。

 そして、良く知られた例であれば、想像から現実に逆輸入だ。お面を始めとする被り物などで変装して、実際に人々を脅かし、威嚇する。今でこそお化け屋敷とかのエンターテイメントで使われる手法だけど、ガチな怨念もいくつかあったらしいよ。

 君の興味をひけるかな?


 古くから日本に伝わる怪物、「鬼」。その中でも牛の頭を持つ「牛頭ごず」と呼ばれる鬼は、今昔物語から姿を現わしている。西洋でもミノタウロスを筆頭に、半牛半人の伝説は数多い。発想に関して、同じ人間なんだなあと感じる点の、一つといえるかもしれない。

 この牛頭と呼ばれる鬼は、地獄の番人の一人だと考えられていた。そのため、地獄行きを意識せざるを得ない場面で、その存在を使われたケースもある。

 かの一向宗の門徒が集まる、石山本願寺での戦いなどでも、用いられたという話だ。


 戦国時代に、織田信長と石山本願寺との十年以上にわたる対立があったことは、よく知られていると思う。まあ、しょっちゅうチャンバラをしていたわけではなく、外交や調略も盛んに行われた、冷戦に近い状態だった時期も長かったと聞くね。

 そして、いざ戦うとなると、一向宗の勢いは激しかった。「進めば極楽、退けば地獄」なんて意味合いの過激な旗印も、彼らの士気向上に一役買った。

「ならば、地獄に落としてやろう」という、意味も含まれていたのかもしれない。一向宗に対抗するものの中に、牛や馬の頭部をかたどった兜や、面をかぶった兵が混じるようになったらしい。牛頭鬼、馬頭鬼めずきを模したんだね。


 極楽浄土を夢見る人と、地獄への水先案内人の戦いの末に、鬼を率いる第六天魔王に軍配が上がることになった。犠牲になった者たちの血と汗が染み込んだまま、そこに新しい城が建てられることになる。

 天下人、豊臣秀吉の威光を知らしめる大坂城だ。まだ、このころは「阪」ではなく、「坂」の字が使われていたんだよ。

 政権を確固たるものとするアピールには十分だったけれど、実際の豊臣政権は長続きしなかった。天下分け目の関ヶ原の戦いを経て、江戸幕府。そして、大坂の陣によりまた難波の地に、新たな無念が積み上げられるようになった。

 こう考えると、因果は巡るという教えも、あながち間違ったものではないかもね。それらは地面に溶け込んで、じっくり確実に広がっていく。

 江戸時代半ばを過ぎた頃でも、これらの出来事はまだ尾を引いていた。


 徳川の世になって、二百年近い時が流れた。大阪の地は「天下の台所」と呼ばれて、全国の名物が集まり、後々、問屋街として栄える礎が作られた。そして、ものが集まれば、奇妙も集まるということだね。


 とある夕暮れのこと。一人の武家が、町の診療所に飛び込んだ。肩口から血を流している彼の顔色は青く、歯の根があっていなかった。

 治療を受けながら、彼が恐る恐る語ったところによると、辻斬りに遭ったとのことだ。物盗りの仕業としては、おかしくない話。ただし、彼の話では、その物取りは首より上が、牛のそれだったとのこと。

 しかし、医師は最初から眉につばをつけながら話を聞いていた。斬られたという割に、傷口は親指がずっぽり入ってしまいそうなくらい、深くえぐられているんだ。

 刀にしては傷口が不細工。動物の角などで突かれたんだな、と医師は判断した。動物にやられたことを知られるのが恥ずかしく、辻斬りのせいにしようとしているのだろう。

 それでも話を合わせつつ「ただの被り物じゃないですか」と医師は話したけれど、牛特有の生臭さが染みついていて、とても血抜きをしたようには思えない。今でも奴の臭いが、鼻にこびりついているんだ、とふるえながら彼は語った。

 医師はしばらく安静にするように、と話して男を帰したけれど、翌朝になって彼の女房だと名乗る女性が、訪ねてきた。夫の姿が朝から見えないのだという。


 それからというもの、辻斬りによる被害がじわじわと広がってきた。幸いにも死者は出ていないが、どの被害者も「牛の頭をした武士に襲われた」と、口をそろえて証言した。

 同時に、役畜として飼っていた牛たちの首が、奪われるという事件が起こった。

 牛の首を盗んだと思しき、辻斬り。もしや、と医師と女房は番所に訴え出て、捜査を依頼。領内の牛たちに監視をつけさせることになった。


 数日後。犯人が網にかかったという知らせが入る。とある家畜小屋に、牛の頭をかぶり、血刀をぶらさげた男が現れたのだという。風体の不気味さもあいまって、刀を振り回す姿は恐怖そのものだったけど、多勢に無勢。後ろから羽交い絞めにされると、四方から棒で叩かれ、ねじ伏せられた。

 牛の頭を取ると、そこには、あの日診察を受けた武士、女房の旦那の顔があったけど、牛の血肉にまみれた彼の言葉は、もう人間が発しているとは思えない支離滅裂なものだった。

 放っておくのも、島流しにするのも危険。さりとて、この狂気じみた者を処刑するのも気が引けると感じたのか、彼は地下牢に入れられ、獄死したとの話だよ。


 かつての一向宗は武士に逆らうもの。そして、今回の男の所業も武士道に逆らうものだった。

 士道に反することが、この先、この地で起きることがないように。そんな祈りが込められて、士に反する「坂」の文字は、「阪」の文字に変更されたという話だよ。



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