センス・オブ・ワンダーチャイルド
つぶらや、どうだ? 肉焼けたか? おっ、キープしてくれたか、すまねえな。
いやあ、焦げてない肉って、こんなにうまかったんだな。昔は焦げた肉ばかり食っていたから、あんなまずいもん、よく食えるなと思っていたもんだぜ。
色がよく分からねえ、というのは厄介だな、まったく。
ちょうどいい焼き加減が分からねえ。人の顔色が分からねえ。緑ランプと赤ランプの違いが分からねえ。信号とかは、まだ何とかいけるから、そこまでひどくないと思うんだが。
おっと、あわれんでくれるなよ。お前感覚の「不幸」が、俺感覚の「不幸」とはイコールじゃないんだからよ。人生楽しんでいるぜ、俺。
まあ、自分が色覚異常だって信じてもらえるまでは、少々辛かったけどな。お絵かきの時、色を間違えて塗って、「ふざけてんじゃねえ!」って、ぶん殴ってきた先生のこと、今でも根に持っているぞ。
ん? 視覚以外のどこかが、異常に優れているとかないか?
ああ、その手の話、よく聞くよな。さあて……記憶力なら、ちっとは自信があるけど、他は分からんな。
そういえば、そんな「感覚」についての実験話、聞いたことがあったっけ。肉の追加が来るまでの間に話そうか。
五感という奴は、不自由になると、それを補おうとして、脳が活性化する、という一説を聞いたことがあるな。
例えば、視覚に関しては、目を通して見ることができずとも、感じるに近い形で「見る」ことができるようだ。
つぶらやのような物書きには、観察の「観」の字を使った「観る」といった方が、掴みやすいか?
運動会とかで、はちまきを巻く時、たいてい頭の後ろで結ぶだろ? 最初はできなくても、何度かやっていくうちに、見なくてもしっかり結べるようになる。その「見なくてもできる」っていう感覚の世界が、大きく広がっていくらしいんだな。
感覚の世界を広げる。これは世俗まみれの大人より、世間知らずの子供の方が簡単だった。ほとんどの感覚実験は、彼らの思春期を犠牲にしながら行われていたらしい。
だが、生まれつきでない限り、意図的に器官を潰すのは悪手。国を支える労働力を、永く失うことになる。なので、一時的に感覚を奪う策が取られた。
麻酔ではやり過ぎ。身体の自由が利かないと、動きや反応が見られない。
そこで、神経をマヒさせるアルコール飲料。すなわち、「酒」の出番というわけだ。
その実験は、森を切り開いて作った更地に、新しく村を作り、人々を住まわせて行われたらしい。
それまで、森の近辺では、原因不明の火事が相次いでいたようだ。ならば、先手を打って、燃やせるものを刈り取ってしまえ、と木々が切り倒されて、城の木材庫の中へ放り込まれていた。
実験の開始が大人たちに通知され、実行に移される。甘酒の飲み放題と称して、子供を集めて、片っ端から飲ませたんだ。通常の甘酒と違って、たっぷりとアルコールを含んでいたものをな。
集まった子供のうち、半数ほどはその場で眠りこけちまった。
残った半数のうち、八割は千鳥足で、ろれつが回らず。残りの二割も、意味不明な言葉の羅列を並べる者がほとんど。
だが、ただ一人。酒を飲んだきり、うつむいたままの子供がいる。悪酔したのかと思って声をかけると、意外なほどしっかりした返事をしてきた。
その子は、顔が赤いことをのぞけば、いつもと変わりない様子。だが、数秒、目を閉じてから言った。
「あと半刻足らずで、殿様の兵が来るね」
大人たちは驚いた。この実験の報告をするために、殿様の兵が来るのが、半刻後だったからだ。もちろん子供たちには、このことは一切伝えていない。
兵たちが来てからも、その子は、一介の子供が知り得ない、様々な事情を言い当てて、周囲の人間を驚かせた。
この結果を見て、おおいに政に役立てるべきだ、という意見と、偶然が重なった当てずっぽうに命を預けるバカはいない、という意見の二つに分かれる。
折衷案として、数ヶ月間を村で過ごし、その結果が良好ならば、城に召し出される運びになった。
かくして、その子は毎日、酒浸りにされて、力を試されることになる。だが、その能力は予知だけにとどまらなかった。
さしたる予知がなく、十日ほど経った時。
村はずれにある物置小屋で、火事があった。この中には予備の農具が入っていて、守らなければ、今使っている農具に故障があった時、日々の仕事に影響が出る。
突然のことで、人々は慌てながらも小屋を取り囲み、予め家に蓄えておいた水をかけた。
ところが、火の勢いは一向に収まらない。そのうえ、水が瞬時に蒸発する「ジュー」という音が聞こえなかった。
その眼に紅蓮の炎が映り、その耳に空気が爆ぜる音が届き、その皮膚に焦げるような熱が染みていく。なのに、水がまったくきかない。
奇怪な炎に、皆がたじろいだ時、酔いどれたあの子が、ふらふらと炎の中へと歩み入った。
皆は止めようとしたが、彼は怖じずに小屋の中へ。ほどなく、みんなの農具を抱えて、外に出てきた。
「感じるよ。この炎は、ここにない」
その子は何度も、炎の中を出入りして、皆を手招きする。
まずは子供が、次いで大人が恐る恐る炎の中に。
熱い。むせるほどに熱いけど、決して燃えることはない。危害がなくば、蒸し風呂と同じだった。
それからも何日か、水で消えない不思議な火事が起こり続け、その子は炎の中で踊っていた。「大丈夫、大丈夫」とみんなに伝えながら。
やがて人々は、この被害が出ない奇妙な火事を、風呂代わりに楽しむように。それを感じ取れる、彼の第六感に畏敬を表するようになっていった。
もうじき、殿様から申し渡された期間が終わる。
あの「この場にない火事」以外にも、酔っぱらった彼は数々の現象に対処して、村の人々から絶大な信頼を得ていた。
そして、期間終了まで、あと数日と迫った夜中のこと。
「火事だよ。またあの火事だ。大丈夫だよ」
彼の声が村の隅々にまで響き渡った。
人々は寝ぼけまなこをこすりながらも、飛び起きる。娯楽の少ない時分、あの幻想的な燃える風呂は、人々にとって代えがたい楽しみとなっていたのだから。
燃えていたのは、例の物置小屋。もう、何度炎に包まれたか、分かりはしない。
今日も赤々と、火の粉を飛ばしながら、勢いよく燃え盛っている。
「大丈夫、大丈夫」
小屋の周りで踊りまわる彼の、力強い太鼓判。人々は脳髄にまで染み込んだ刺激を求め、我先にと、炎へ飛び込んでいく。
――数秒の後。彼らの歓喜の叫びは、苦悶の悲鳴に、響きを変えた。
肉が焦げ、骨が焼き尽くされる音。鼻をつく異臭の先には、炭へと変わった家族の身体。
今度の火事は、本物だった。「そこにあった」。
目の前で繰り広げられる、焼身の舞に、人々は恐れをなして逃げようとする。だが、変わらずに踊り続ける、彼がつぶやいた。
「帰る場所なんて、ないよ」
人々が振り返る。
夜景の中で、自分たちの家が燃えていた。どの家も、一つ残らず。まるで一斉に見計らったかのように。
「だって、好き勝手ばかりして、何も私たちによこさなかったじゃないか」
そういって微笑みながら、彼は自らも炎に飛び込む。
辺りに酒の臭いを漲らせ、その身体は業火に消えてゆく。ほどなく、小屋は爆発し、家々も順番に爆ぜていった。
炎をまとい、宙に打ち上げられた木材たちが、灼熱の槍となって、人々の頭上から降り注ぐ。
刺され、燃やされ、貫かれ。人々はほうほうの体で逃げ出した。
村は一夜にして、消し炭の山と化した。
後日の調査で、村は閉鎖され、近づくことはできなくなった。
ただ、炭と灰に支配されていた、焦げ臭い大地の一部。かつて物置小屋のあった場所に、大量の甘酒による、水たまりが残っていたようだ。
彼の身に何が起こっていたのか、今でも憶測の域を出ない。
ただ、この実験以降、その殿様の領内では、年少者の飲酒は固く戒められたのだとか。




