油坊主
こーちゃん。実はまた、面白いものを買っちゃったんだ。
でーん! どうだい、「ウォーターボール」。いや、紛らわしくないように、「アクアボール」と呼んだ方がいいかな。
このでっかいボールの中では、濡れることなく水の冷たさを楽しめて、自由に散歩もできる一品だ! いや〜、テレビでみんなが楽しそうにはしゃいでいるものだから、ついつい買ってしまったよ。
この湖、アクアボールの使用は大丈夫みたいだ。こーちゃん、この機会に遊んでみないか?
どうだい、アクアボールの感想は?
――水の中の生き物の様子も、よく見られて楽しかった?
ああ、アクアボールは透明だから、観察には持ってこいかもしれないね。ただ、水の中の連中からしてみたら、でかぶつに自分たちの暮らしを見おろされていて、いい気分はしないかも。
いや、それも人間の感覚かな。連中にとっては目の前のことが最優先。のんきに頭上をうかがう暇なんか、ないかもしれないね。人さまが水の上を歩くことに、関心を持つものがどれだけいるか。
水上歩行といえば、こーちゃんはこんな話は知っているかな?
昔から、水の上を歩くという現象は、人間離れした御業だと認識されていた。
かのイエス・キリストを始め、偉人・聖人には水上歩行の逸話を持っている人が多い。
水は生命の源。それから浮かぶことができるのは、単なる生命を超えた価値を持つ、ということを人々に分かりやすく伝える現象だったのかもしれない。
どこまで本当かは謎だね。人間って先祖の功績を、自分たちの功績にしたがる人も多いから、尾ひれをつけた話もいくつかあっただろう。
だけれど、何も縁なく、水上を歩いたという伝説の存在がいる。
かつて、各地で見られた、「油坊主」の話だ。
この油坊主の実態は、よく分かっていない。
普段は僧侶の風体で、各地を回っている。見た目には栄養満点の身体をしているから、修行僧には見えないのだとか。
それでも立ち寄った場所で、葬儀を執り行ったりと、僧として求められる仕事はこなしていたようだ。
しかし、当時、太った身体というのは富裕の証であり、精進を重ねている坊主に似つかわしくない。本当に霊験があるのか、と疑う声がちらほらとあがった。
嘘でも真でも、見たこと、感じたことが、個々人の中で描く人物像となる。評判というのは、目安にはなれど、指針とするには不安定だ。
そんな彼が、霊験を見せる演出の一つとして行ったのが、水上歩行。
ほとんどの人が、実際に見るまでは、どうせデブが水に浮かぶだけだろうと、期待していなかったらしいんだ。
ところが、浜辺に集まる皆の前で、彼が海に足を踏み入れると、どうだろう。その足裏は、海中に浸ることなく、水面に吸い付いた。
彼はそのまま、確かな足取りで波間を歩いていく。時々、大きめの波が押し寄せて、彼の衣服を濡らしはするが、彼の身体そのものは、水滴1つ、つかない。水が自分から彼を避けているようにしか、思えなかった。
水と決して交わらない者。それこそ、彼が「油坊主」と呼ばれるようになった、ゆえんなんだ。彼は自分の力を疑う者たちの前では、決まってこのパフォーマンスを行ったんだ。
彼は熱心な信仰者を各地に作りながらも、全国行脚の旅を続けていたけれど、時々、ぱったりと姿を見せなくなる時期があるらしい。
彼についての話を聞かなくなると、ほぼ同時期におかしな現象が報告されるようになる。
とある漁村でのこと。彼が水上歩行を行った沖合で採れる魚が、でっぷりと太っていたのさ。
脂が乗っている、なんてものじゃない。極端な肥大化だ。例年の大きさの三倍のいわしやさんまを確保したという話もある。
これも「油坊主」の成せる業なのか、と人々はいぶかしんだけれど、空腹にかなう者はいない。その魚たちも食料として、民たちの胃袋に収まるようになる。味も、普段食べる魚と遜色ないとなれば、ボリュームが優先されるのもおかしくない話だろう。
大漁は何年も続き、人々はひとときの満足に酔いしれたのだけど、このあとがいけなかった。
一年後、その漁村の女たちが、一斉に身ごもることになる。
夫を持つ妻はもちろんだが、相手のいない生娘。年端のいかない少女。すでに現役を過ぎた老婆でさえも。
村中は色々な意味で大騒ぎになった。しかし、目の前の命の儀式を控えて、様々な追及は後回しにされる。
女たちは、腹が膨らみ始めてから、わずかひと月程度で、お産を迎えた。
ところが、生まれてくるのは、人の赤子ではない。ギトギトと、てかる粘膜に覆われた、赤子大の肉塊だった。手足はおろか、目も鼻も口もついていない。だが、へその緒でつながったそれは、時折、自力でぶるぶると震えた。肉塊は生きていたんだ。
後を追うように生み出されていく、生きた肉塊。人々はその不気味さに驚き、村の中央に集めて、焼き払いにかかったらしい。
しかし、火をつけたとたん、燃えるどころか、勢いよく爆散した。火薬もかくやという威力は漁村のほとんどを、木っ端みじんに吹き飛ばしてしまった。
かろうじて生き延びた人々は、肉塊の危険を国々に伝え歩く。「油坊主」の恩恵にあずかっていた人々は、件の肉塊を目にすると、土に埋めたり、海に流したりする。沖に流れていく塊は、波を被ろうとも決して沈みはしなかったらしい。
そして、肉塊の恐怖がすっかり消えて、皆が平穏を取り戻しはじめるころ。
どこからか、でっぷりと太った僧侶が、お経を唱えに、姿をあらわすそうだよ。




