96 sports day 体育祭前日それぞれ
いよいよ明日に体育祭を控えた夜。
大根役者な花森がようやく先輩にOKサインを出され、まるで死んだ魚みたいな目をしたあいつを連れて寮に戻り、夕食を終えて部屋で一息ついていると寮長から電話がきていると呼び出しがかかった。
嫌な予感を胸に抱きつつ、保留になっている電話の受話器をとり保留音を停止させ受話器を耳に当てる。
「もしもし?」
「おお、その声はまさしく俺のバカ息子! よぉー元気してるかー?」
「コノデンワバンゴウハ ゲンザイ ツカワレテオリマセン」
「んなわけねぇーだろがバカ」
「――ちっ……なんなんだよ、いきなり電話かけてくるとかなんの用だクソ親父」
嫌な予感が当たった。普段は息子のことなんか放し飼い状態で稽古の時以外は特にかまってもこない親父だ。別に嫌いなわけじゃないし、悪い父親ってわけではないが若干ウザったい所がある。
こちらの気も知らず親父は弾んだ声を上げた。
「明日、運動会だろ?」
「体育祭、な。小学校みたいな言い方すんな」
「どっちでも同じだろ。んでだ、行くから」
「………………は?」
「母さんがしこたま美味い弁当作るってはりきってっぞ。楽しみに待ってろよ!」
「い、いや、待て待て! なに言ってんだ!?」
うっかり受話器を落としかけた。この親父は何を言っていやがるのか。受話器の向こうで親父がなにやら首を傾げた様子だった。
「息子の運動会を応援に行ってなにか問題があんのか?」
「あるだろ! 俺高校生なんだけど!?」
「だからなんだ。学校から案内来てんだから別にいいだろ」
「恥ずかし過ぎるだろうが! ただでさえ親父とおふくろのでけぇ応援で昔から恥じかっきっぱなしなのに。ま、まさか家族全員で来るとか言わねぇーよな!? さすがにそこまで暇じゃねぇーよな!?」
どっと冷や汗が背中を流れる。昔実際に起こった家族総出の応援事件。あれほど赤っ恥をかいたことはない。しかし受話器の向こう側のクソ親父は盛大に笑った。
「わっははははっ! なに言ってやがる」
「そうだよな! もうそれはない――」
「当たり前だろ! もれなく全員で応援に駆け付けるから安心して待ってろよ!」
うわあぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!
* * * *
体育祭を明日に控えた夜、寮長から電話がきていると連絡が入り、俺は保留になっていた電話をとると保留停止ボタンを押して受話器を耳に当てた。
「もしもし」
「あ、みどり君? 久しぶり、元気してるかな?」
「兄さん!? どうしたんだ、電話をかけてくるなんて珍しい」
敬愛する兄、木塚紅葉からの電話に俺は久しぶりに気分が高まった。兄は忙しい人であり、少ない時間で俺を気にかけてくれていたが電話は本当に珍しかった。ちなみに兄さんが俺のことをみどり君と呼ぶのはあのおちゃらかコンビの『ふかみどり君』からである。なんということを。
「明日体育祭でしょう? 卓君から連絡があったんだ。最近家に帰れてなかったからお知らせも読んでなくてさ、助かったよ」
「え? まさか……」
「うんうん、なんとか仕事が空きそうだから行くよ! お弁当は残念ながらコンビニのになっちゃうけど」
「もちろんそれでかまわない。兄さんの手を煩わせるわけにはいかない」
そんな気を遣わなくてもいいのにーというのんびりとした優しい声に安心する。幼い頃から両親に代わって面倒を見てもらっていたせいか俺は親よりも兄に親しみを持っていた。育ての親なのだ。高校生にもなってこんなことではしゃぐのは恥ずかしいが、やはりどうしても浮かれてしまう。
「ねえ、あのさ……みどり君は僕になにか報告することがあるんじゃないかな?」
「え?」
幸せな心地でいた俺に兄さんは意味不明なことを投げかけてきた。報告? なにか兄さんに言わなければいけない重要なことがあっただろうか。
「学業ならば滞りなく進んでいるが?」
「そうじゃなくって! そのーなんていうか人間関係……とか?」
「当たり障りなく」
「そういう答えが聞きたいんじゃないんだよーー!」
受話器の向こうでバタバタもがく音がする。一体なんだというんだ。兄さんは昔から俺があまり人に関わりをもとうとしないのを心配してくれていたが、直接聞いてくるのは初めてだった。
「まあいいや、直に確かめるから! じゃあ、また明日ね!」
「ああ? おやすみ、兄さん」
首を傾げながら俺は受話器の通話終了ボタンを押した。
* * * *
「あー、もしもし? もしもーし俺、オレオレ」
ガチャン。
え、ちょっと待っていきなり切らないで!
慌ててもう一度同じ番号を押して通話を試みる。
「俺です、七瀬いつきです! 切らないでたっ君!」
「…………ったく、最初からそう言えよ、詐欺かと思ったろ」
たっ君こと川波卓也が受話器の向こうで溜息を吐く。相変わらずの辛辣さに俺は苦笑した。
「で、なんだ何か用事か?」
「ひどーい、親友が電話してきちゃ悪いのー?」
「たいした用じゃないみたいだな、じゃ」
「わーー切らないでーー!」
正月以来の会話だというのに本当にたっ君は冷めてるんだから! 昔はまだもう少し付き合いが良かったのにな。と口を尖らせつつも親友の機嫌を損ねないように本題に入ることにした。
「母さん達は元気?」
「元気にしてるよ。奈央ちゃんと梨央ちゃんも小学校に上がっておばさんもパートの時間が増やせるようになったからな。相変わらず貧乏っちゃ貧乏だけど」
「まーそれは仕方ない。元気ならばよし」
「つかお前、それ聞くならわざわざ俺じゃなくて本人にかけろよ」
「や、ちょっと恥ずかしくって」
思春期かと突っ込まれた。だってたっ君となら色々馬鹿話もできるけど母さんだと真面目になっちゃって会話も単調になるしやっぱ恥ずかしいんだって。俺が魔法使いになってアルカディアへ行った時はすごく寂しがってたから電話もマメにしないとと思ってたけど、歳重ねるたびになかなかそうもいかなくなってきた。休みのたびに帰省はしてるし親不孝ではないはず。うん。
「そういえばたっ君のとこは体育祭終わった?」
「俺んとこは夏にやるからまだだな。そっちはいつやるんだ?」
「明日!」
「なんだ、じゃあんな電話してないでさっさと寝ろ」
「はは、そうだね。じゃあ付き合ってくれてあんがと、おやすみたっ君。おばさんにもよろしく」
「ああ、じゃあな」
早々と向こうが電話を切る音が聞こえてから、俺も電話を切った。
* * * *
仕事を終え、職員寮へ戻り一杯やろうかと思っていると携帯から着信音が鳴った。誰からだろうと少し煩わしく思いながらも携帯の画面を見ると、思いもかけない人物の名が表示されおり、うっかり足の小指をベッドにぶつけた。
痛みにもんどりうちながらも震える手で電話に出る。
「も、もしもし!」
「おー、夜分遅くにすまねーです」
「いやいや大丈夫! すげーヒマだったから!」
久しぶりに聞く彼女の声に心拍数急上昇だ。メールでのやりとりは頻繁にやっていたが電話は久しぶりだった。相変わらずの不自然な日本語に温かい気持ちになる。
「どうしたんだ、鈴が電話かけてくるなんて」
「ちっとばっかしソハヤの奴を驚かしてやりたくなりやがったのですだ」
「驚かす?」
興奮気味な彼女、鈴は俺の親友坂上ソハヤの恋人にして六月の花嫁さんだ。未来の旦那にいったいなにしようっていうのか。
「明日の体育祭に乗り込み、戦果をあげやがるです」
「ああ、父兄参加の競技にでるのか。あいかわらず好きだなー」
「ふふん、まあ楽しみにしていてくれたまえだ。ソハヤには内緒にしやがるんだぞ」
「おっけ、じゃあ明日門まで迎えに行くよ。ばっちり坂上から隠してやるから」
「おお頼もしいな! やはり電話して正解でいやがった。明日はよろしく頼む、それではおやすみ」
「おやすみ。ちゃんと布団かぶって寝ろよ。腹出すなよ」
別れの挨拶をすませて電話を切る。しばらく幸せな余韻に浸ってぼうっとした後、顔を枕に埋めてベッドをごろんごろん転がった。
フラれていようが、親友の花嫁さんになろうがやっぱり彼女は未だに俺の女神だ。声だけで幸せいっぱいです。しかも明日は間近に彼女が見られるときた!
今晩は良い夢見れそう。ありがとう神様。
それぞれの体育祭前夜。
夜は更け、そして熱い体育祭が始まる。




