93 番外 鈴木君が消えた日 後編2(瀬戸視点)
「……先生ここって……?」
私は背筋に冷気が這い登ってくるような異様な雰囲気を感じ取って足を止めた。少々青い顔をしている私に柳生先生は振り返って大丈夫だと軽く手を振る。
「ここは城の敷地内にある塔の一つ『深淵の塔』なんだが」
『深淵の塔』。
それは確か城の敷地内に東西南北、四つに分けられ建てられたうちの一つ、北に位置する塔の名だったはずだ。
別名『四神の塔』とも呼ばれ、この四つの塔には特別な魔力が込められており生徒の立ち入りは禁じられている。
「お前なら知ってると思うがこの塔は特別だ。俺と絶対にはぐれるなよ」
私は先生のすぐ後ろにぴったりとくっ付くと深く頷いた。
ここの知識がなくても魔法使いならば誰でも分かる。先生とはぐれたら最後、生きては外に出られないだろう。それだけの魔術がこの塔全体に施されている。
それほど厳重な術がかけられている四神の塔は何か特別な儀式をする為の場所とも言われているが詳しい事は一生徒の存在である私に知る由もない。
先生と離れないよう注意しながら、長い長い回廊をひたすら進んだ。
夕暮れ時の熟れたトマトのように深い赤に染まった夕日が窓から廊下に注がれているはずだというのに周囲に漂う冷たく重い魔力の影響を受けてか、その赤色からは温かみをまったく感じられない。
まるで血の海の中を歩いているかのような異様な感覚に全身が震えた。
無意識に柳生先生の腕を指が食い込むほどに強く掴んでいたが、先生は何も言わずじっと前を険しい瞳で見つめたまま、一定の速さで歩き続けた。
どれほど歩いただろうか。私の足が若干の痛みを訴え始め、辺りの色が深い赤から暗い青に変わった頃、唐突に柳生先生は歩みを止めた。
「ここ……だな、確か」
辺りを確認しながら柳生先生がそう呟くと目の前に立ち塞がるように佇む一体の甲冑像の頭を右に向けて回した。すると甲冑像はまるで生きているかのようにゆっくりと動き出し顔を向けられた右側へと数歩歩いて止まる。
「ゴーレム……じゃないですよね?」
「そうだな、ちょっとした仕掛けだ。ここを見ろ」
示された場所は先ほどまで甲冑像が立ち塞がって見えなくなっていた壁だった。この塔は魔力石で作られているらしく場所によって色彩が変化しており対応する属性も異なっているようで丁度この辺りは闇属性の領域らしく通って来た他の場所より暗い。底なしの闇の中に吸い込まれてしまいそうな恐怖を感じるその壁に青白く浮かんでいたのは小さな魔法陣だった。
「この陣の術式、転送魔法ですか?」
「お、よくわかったな瀬戸。普通の転送魔法陣とは違うんだが」
「こういうのは癖がありますから。術者によって若干変わってきますけどオルヴォン伯爵のものは有名ですし」
これでも瀬戸家を背負って立つ者だ、大魔法使いとして現在もっとも有名な魔法使いであるオルヴォン伯爵の術式くらいは暗記している。これは少しアレンジが加えられているが元はオルヴォン伯爵が組み上げた魔法陣だろう。
「それにしてもずいぶんと部屋がないんだなと思っていたんですが元々、扉で繋がるような場所じゃなかったんですね」
「まぁ、魔法石自体が加工の難しい代物だし、扉開けてはい部屋に到着、なーんて簡単な仕組みだったら外側に施されてる厳重な結界がアホみたいだろ。中身もそれ相応に複雑になってるんだよ」
それほどまでに厳重な守りだとここで一体何が行われているのか、興味と好奇心が疼いてしまうがそれを確かめようとしたら最後、私の身は露と消えるだろう。好奇心は身を滅ぼす。
湧いた感情をなんとか打ち消して魔法陣を見詰める。
転送魔法陣はほとんどが触れるだけで特定の場所へと転送される仕組みになっているがこの魔法陣は少々勝手が違うらしい。陣が発動する為の詠唱文がこの魔法陣には刻まれていないのだ。
「合言葉方式ですね、これ」
「ああ、あらかじめ指定された言葉をここで言う必要がある。合言葉は毎回変わるからセキュリティはばっちりってわけだ」
柳生先生は魔法陣に右手を翳すと口を開いて詠唱した……ように見えた。先生の言葉は私の耳には届かず、数泊の後に魔法陣だけが青白い燐光を輝かせることで反応したことを示す。
おそらくは合言葉が私に聞こえないように先生が二重に魔法を使ったんだろう。生徒にすら合言葉は秘密らしい。一回きりの合言葉だというのに厳重なことだ。
その後は普段使っている転送魔法陣と同じで周囲の空間が歪んだと思った瞬間、目的の場所へと転送されている。
転送先の場所もとても暗かった。あの魔宝石の漆黒の壁の中に入ってしまったのではないかと思うほど闇の魔力の気配も色濃く他の属性に影響されにくい無属性の私でも胸を圧迫するような魔力圧に息がしづらい。
ちらりと隣に立っている柳生先生を見上げれば、先生はなんでもないような涼しい顔で立っていた。
「淵呪ーー! おーい、いるんだろ出て来いよ!」
聞き慣れない名前を大声で呼びながら先生は辺りを見回す。私も人影を探して周囲に視線を巡らせる。漂う魔力が厚く、そして流れが不規則な上に視界が悪い為、目測では広さが図りにくいが踏み出した時になる靴音があまり響かないところをみると恐らくそれほど広い空間ではないだろう。物も多くあるはずだ。
先生について何歩が歩いた所で、
「…………そこで止まってくれ」
闇の中から冷たく低い声音で誰かが声を上げた。その言葉が耳朶に届いた瞬間、私の足は凍り付いたかのように動かなくなる。
なにか術をかけられたわけではない。ただ、その声音が身が凍えてしまうほど冷たかったのだ。
「ったく相変わらずだな。お前ももう大人なんだから子供に気を使え、怖がってるだろうが」
「…………使っているさ、だからそこで止まれと言った」
先ほどの一声よりも少しだけ和らいだ口調で暗闇の中の人物は返事をした。柳生先生の態度を見るに互いに知った仲のようだ。
「悪いな瀬戸、淵呪……不死神は特異体質でな、お前は無属性だからあんま影響ないだろうが近づきすぎない方がいい」
「……はい」
素直に頷いておいた。あの底冷えするような声音も漂ってくる魔力も私の事を全力で拒絶している。先生に頼まれてもあまり近づきたいとは思わなかった。
「……その女生徒が神城先生が言っていた問題の人物か?」
「そうだ、見てやってくれないか?」
先生の少し後ろにいた私を先生がそっと背を押して隣に並べる。そしてそれ以上前に行かないように私の肩を包むようにして抱くときっちり固定された。
頼まれたってこれ以上先には行きたくないが、重い魔力圧のせいで酔っぱらったように三半規管がマヒし始めていたので、これはこれでありがたかった。
暗闇の視界の先、私からは不死神とやらの人物の姿は見えないがあちらからは見えているのか鋭い視線が私の姿を捉えているのが痛いほど伝わる。
なんでこの人、こんなにも攻撃的なのだろうか。何も知らずに出くわしたら敵と判断して攻撃してしまいそうだ。
「…………どうやら標的は彼女だったわけではないようだ」
棘の中に立たされている気分を数分味わった後、静かに彼は言った。
「どういうことだ?」
「彼女自身に呪術が施された痕跡が見られない。恐らくは本当の標的にかけられた呪術の中にある禁則に彼女が触れたことによって発動した術に蝕まれ、枯渇症のような症状に見舞われたと思われる」
「本当の……標的……」
思い浮かぶのは一つの空白。それを思い出そうとすると決まって激しい痛みを伴う、もしその行動が彼の言う『禁則』なのだとしたら……。
「瀬戸、心当たりがありそうだな?」
「はい、おそらくは私の『パートナー』だと思います。どうしても……思い出せなくて」
「…………なるほど、その標的と関わり合いが深かった為に違和感を覚えることができた君が一番に術の影響を受けた、ということのようだ」
「つーことはだ、瀬戸のパートナーを見つけなきゃこの事態は収束しないってことだな」
「…………そうだな、呪術をかけられた本人でなければ解呪もできない」
と、呟くように聞こえてきた不死神さんの声はどこか不機嫌そうだった。その声に柳生先生はやれやれと頭をかく。
「人見知りも大概にしてくれよ、淵呪。腐っても教師だろ」
「ええぇっ!?」
思わず上げてしまった声が室内に響き渡る。失礼をしてしまったと慌てて口を塞いだが先生は笑うばかりで驚かれた当人からは反応がなかった。
……居心地が悪い。
「まあ、本業は研究員で教職は非常勤だがな」
「……どうでもいいだろう。さあ、分かったなら呪術をかけられた当人を連れてきてくれ。僕はその生徒とは面識がないからどうあがいても探せない」
「だよなー、さてどうするかな。なにか手がかりがあれば」
「あります!」
咄嗟にずっと持ったままだったノートを先生につき出した。どこから現れたのか分からない、不思議なノート。でも確かにこの中には多くの手掛かりが残されている。
「これは?」
「私のノートなんですが、身に覚えのない字が書いてあるんです。ここを見てください。今日の放課後の予定、地下ホールで組体操の練習って書いてあるんです。うちのクラスの予定とは違いますからきっとパートナーの予定なんだと思うんです」
「なるほど、えっと今日の放課後地下ホール使うのは……」
予定を思い出そうと顎に手を乗せて少し考えてから先生は、はっと目を見開いた。
「って、うちのクラスじゃねぇーか!」
「D組ですか?」
「ああ、女子は自由だが男子は地下ホールで組体操の練習予定だったはずだ! ――くそ、よりにもよって担任の俺が生徒忘れてるってのか!?」
よほど悔しかったのか整えられていた髪をぐしゃぐしゃに指でかき回して、頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
「…………お前を欺くほどの者か、思ったより手ごわいかもしれないな」
「まあ、伯爵の張った結界を素通りしてる時点でありえねぇーからな」
確かに、本当になぜ伯爵の結界は呪術に反応しないのか。不思議で、そしてとても不気味だ。
「とりあえず瀬戸、いったん戻ってこのことを神城先生に伝えてくれないか?」
「いいですけど先生は?」
「俺は職員室行って生徒の名簿洗ってくる。こんだけ手が込んでるってことはもしかしたら書類の類も手が入れられてる可能性が高いが念の為な。で、七時に中央庭園に集合ってことで」
そう言ってひらひらと手を振ったかと思うと私は一瞬にして深淵の塔の外へ転送されていた。辺りはすっかり暗くなり空には満月に近い月が上っている。
私は一度だけ塔を見上げた。
立ち入りを禁止されている為、こんなに近くまで来た事はない。見れば見るほど気味の悪い塔で、世界から隔絶されているような異様な雰囲気に気圧される。普通の人間がいていい場所じゃない。
そう思うと、私はすぐさま踵を返して神城先生のいる保健室へと真っ直ぐに走った。
「はぁー、やんなるなまったく」
瀬戸を外へ転送すると、俺はごろりとその場に寝ころんだ。
「…………拗ねてもいいが、その辺に転がるのはよしてくれ」
暗闇の先でよく知っている声が呆れたように呟く。
「しかたねぇーじゃん、俺出し抜かれるってあまりされたことないんだよ」
「……能力を奢らないことだ。万能でも穴はある」
もっともらしいことを機械のような声音で語られて俺の機嫌は目下急降下だ。淵呪に慰めるという選択網はない。
「…………お前の事だ、気づいてはいるんだろう?」
「…………」
あえて無言を通す。気付いてはいても、認めたくない事もある。ことに今回の件はどうしても簡単に認めてしまいたくなかった。
ごろりと淵呪に背を向けて押し黙っていると背から深いため息が聞こえる。
「…………あえて僕が言おう。義経、お前あまり生徒を信用しない方がいい」
聞きたくない。
「お前を欺き、かつ学園全体にかけられた結界を素通りできる人物など他にいないのだから」
やめてくれ。
「呪術、および呪詛を撒いたのは――――――――
お前のクラスの生徒だよ」
教師で、担任でありながら守り導くべき存在の生徒達を疑えと……そんな残酷な事を言わないでくれ。
まだ……続く。




