86 sports day 体育祭準備8 side 木塚
はぁー、と溜息を吐いて力なくイスに座る。
ここは高等科校舎内にある第三図書室。内部は広々としており天井は吹き抜けで三階建て分の高さのある壁すべてに本が詰まっているという俺としては夢のような空間である。中等科までは人に会うのが煩わしくてパソコンで予約し配達してもらっていたがこの図書室を訪れてからはその魅力的な光景に抗えず足繁く通っている。
今日は最終ホームルームを終えた後、先輩達との合同練習があり団体行動を強いられた為、疲労が半端ない。
普段が普段なだけに精神がまいったがそれはクラスメイト達も同じだろう。俺と誤って接触する度に顔を真っ青にして謝ってくる。
……別に俺はその程度のことで何かしようとは思わないんだが。
初等科に入ってすぐの頃、あの時は色々あって気が短くなっていた。だからちょっとしたことで俺は癇に障ってクラスメイトを昏倒させてしまったことがあるのだ。今のメンバーもほとんどが初等科からいる為、その事件を知っている者も多い。それからというもの元々の無愛想さも相まって俺の周囲からは人がいなくなった。
騒がしくするのは物好きな時任と榊原だ。この二人だって俺が光属性ではなかったら近づこうとは思わなかっただろう。
俺は別に一人でも平気であるし、むしろ一人の方が気が楽なので孤独など気にもしないのだが、教員としては放っておくこともできないのか事ある毎に時任や榊原と組まされた。おかげで今もそれなりの付き合いである。
気晴らしに何か読もうと立ち上がり、本棚を眺めているとふと花森のことが頭に浮かんだ。興味本位で聞いたお勧めの一冊。まさかそれに『にぼしの一生』がくるとは思わず彼女の前で固まってしまったが誤魔化せたとは思う。
俺は少し迷ったが、児童書コーナーに足を伸ばした。児童書など中等科に上がってからは一度も手に取っていなかった。久しぶりに手に取ったその一冊は子供が読むには少し厚みがあったが開いてみれば大きな文字にページのほとんどが挿絵という装いだったので三十分もしないうちに読み終えてしまえるだろう。
そっと指の腹で挿絵を撫でる。そこに描かれていたのは一匹の茶色い毛並みの三毛猫だ。その子猫は小さな男の子に抱き上げられている。
胸を刺すズキリとした痛みに俺は中身を読むことなく本を閉じた。
もう、何年も経っているのに今でもこの本をまともに読むことができないらしい。せっかく薦めてくれた彼女には悪いがこの本は読むことはできないだろう。というより何か意図があって薦めたわけではなさそうだったし急に問われて適当に言っただけだろうな。
奇しくも彼女は核心をついてしまったのだが。
本を元に戻して図書室を出た。本の独特の匂いも静けさも好きだが本を読む気分ではなくなってしまった。窓の外を見ればすでに日は沈み満月に近い太った月が煌々と輝いている。そろそろあまり使用されていない場所は消灯される頃だろう。
消灯、という言葉に再び花森の姿が脳裏に浮かびあがる。
彼女はどうにも暗い場所が怖いらしい。肝試しの時もそうだったがこの間も消灯されてしまった真っ暗な廊下に狼狽えていた。
暗闇など目が慣れてしまえばどうということはないというのに。
彼女はもう寮に帰っただろうか。
最近は体育祭準備で遅くまで残ることが多いだろうし、男子と女子は別々の練習があり一ノ瀬やあの背の高い黒霧とかいう妖の男も花森と行動を共にしない時間が増えている。誰か女子と一緒ならいいが一人なら暗い時間は恐ろしいだろう。
…………。
そこまで考えを巡らせてしまうと気になって仕方がなくなってしまった。とりあえずD組まで行ってみていなければ帰ろう。と、足先をD組へと向けた。
クラスのある教室の近くは消灯されておらず明るかったがまるで人気がない。一歩前へ踏み出せば自分の靴音が高くなり廊下の先まで木霊する。教室にはもう誰もいないだろうとは思ったが念の為、教室を覗いてみた。
やはり誰もいない。しかし何人かの鞄が残っており数人はまだ居残りをしているのだと窺えた。そしてその中に、花森の鞄もある。
彼女はまだ帰っていない。そう確信した。確信してしまうと今度は今、どこにいるのかが気になった。もうこうなったらとことん彼女の顔を見るまで探そう。一度気になるとどこまでも気になるのが俺の性分だ。
D組の教室を出てさてどうやって探そうかと思案していると弾むような朗らかな女性の声が響いた。
「深緑君、こんばんは」
「……こんばんは、マリアンヌ」
声の主はD組御用達の転送肖像画であるマリアンヌだった。この辺りが消灯されれば彼女も人が眠るのと同じような状態になるが今はまだ起きているようだ。
「深緑君は最近ここを通ることが多いですわね?」
「……そう……か?」
「ええ、前はほとんど見かけませんでしたのに。D組に仲の良いお友達でもできましたの?」
キラキラと輝かしく無邪気な子供のように聞いてくるマリアンヌに俺はしばらく黙考した。意識はしていなかったが、彼女が言うのだ俺がここをよく通るようになったのは事実らしい。
いつから? 何の用事で?
問われているのは俺の方だが俺自身でも見当がつかない。しかし一つ言える事は。
「……別に特に仲良くなった奴などいない」
D組を訪ねている意識すらないのに誰かを訪ねているわけがない。
……花森とは少し話すようにはなったが、ただそれだけだ。
「ところでマリアンヌ、花森を見ていないか?」
「李さん? あらあら、深緑君のお友達は李さんでしたのね」
「友達……では」
「ならなぜ李さんがまだ残っていると知っていますの?」
「それは教室に鞄が」
「ほら! 李さんのお席をご存じなんじゃありませんか。仲良しなんですのね」
ニコニコ。
なぜか言質をとられたような気分になった。そういえばなぜ俺は花森の席を知っていたのか。マリアンヌの言葉が本当なら俺はよくD組の前を通っていることになる。そしてその時ふと教室の中を見ていたのだとしたら花森がどの席に座っているのか目にしていたのかもしれない。
……だが記憶にない。無意識とは恐ろしい。
マリアンヌから花森がクラスメイトと一緒に第三特訓室に行ったことを聞き、彼女に近くまで転送してもらった。この辺りも使用している生徒がそれなりにいるのか電気がついており明るい。これなら花森も大丈夫だろうと思いながら第三訓練室のすぐ近くまで来ると中から三人の生徒が出て来た。名前は覚えていないが顔は見覚えがある。彼らは談笑しながら俺には気づかずに行ってしまった。
マリアンヌの話が正しければ花森はクラスメイトと第三特訓室にいるはずだが中は電気が消され真っ暗だ。彼女を残して彼らが電気を消すとは思えないのでおそらく花森は先に出てしまったのだろう。
だとしたらどこに行ったのか。教室にはまだ鞄が残っている。出て来た三人のうち二人はジャージであったし花森も練習に付き合ったのならジャージ姿のはずだ。
更衣室だろうか。
無駄に部屋が多い為、更衣室も沢山あるがD組に割り当てられている更衣室は一つしかない。とりあえず行ってみようと足を向けたがふいに声が聞こえた気がして振り返った。
だが誰もいない。
気のせいかともう一度前へ足を踏み出そうとしたがどうしても胸にもやもやとしたものが漂って先に進めない。
花森は更衣室に行っているはず。その可能性が一番高いはずなのにどうしても別の場所が気になる。
俺は勘の良い方では特にないが……。
一ノ瀬のように野生の勘が働くならその方へ行くべきだが俺はこれといってそういうことはない。だから確率的に高い方を選ぶべきだ。
…………。
だが、どうしてか俺は更衣室とは別の場所へと歩き出していた。不確かなものは信じない性質なのに、最近はおかしなことばかり身に起こる。自分自身のことなのに理解がおいつかない状態に頭が痛くなった。
しかしどうやら当てにならないと思っていた勘がこの瞬間に関しては当たった、ということだろう。
探していた花森の後姿を目視し、姿が見れたのだからそのまま踵を返して帰ろうと思った。だがどうも様子がおかしい。彼女は悲鳴のような甲高い声を上げ体は誰かから逃れるようとしているかのように足で踏ん張って腰を落としている。
不審に思って声をかけようかと近づけば、ようやく状況を理解した。見慣れない男子生徒が彼女の腕を掴んで無理やり連れて歩こうとしていたのだ。
状況を理解した瞬間、心臓から頭の先へと激しい何かが落雷のごとく突き抜け気が付いた時には手にしていた参考書を男に向かって投げつけていた。
「助けて、一ノ瀬君!」
彼女の悲痛な叫びと同時に風を切る鋭い音と鈍く響いた音が間をおかずに聞こえ、一拍して顔面に参考書の背表紙がめり込んだ男子生徒は痛みに悶え廊下に転がった。
お世辞にもコントロールが良いとは言えない腕だが火事場の馬鹿力というやつか、思いもよらないほど上手く投げられたらしい。俺はすばやく花森を庇う為、彼女の前に立ち廊下に転がって呻く男子生徒を睨みつけるように見下ろした。
腸が煮え滾るように熱い。その熱さは喉にまで達し、脳まで溶かしてしまいそうだった。
この感覚は一体なんだ。今まで一度だってこんな風になったことはない。
いつもならばもっと冷静に物事を考えられるはずだ、けれど今はそれができない。今すぐこの男を彼女の前から消し去ってしまいたかった。
「一ノ瀬く――」
背後から彼女の安堵が混じる声が聞こえたが、呼んだ名と俺の名は同一ではない。首を捻って顔だけを半分後ろに向けながら花森の落胆する顔を思い浮かべて心臓の辺りが何かに刺されたように痛んだ。
「…………悪かったな、一ノ瀬ではなくて」
思っていたことがするりと言葉になる。優しい言葉などかけられない。彼女を安心させる笑顔も作ってやれない。きっと俺の顔はこの上なく素直に不機嫌さが滲み出たものになっているだろう。
花森はぽかんとした間抜け面で俺の顔をまじまじと見ると確かめるように言った。
「木塚……君?」
「それ以外の誰に見える」
そんなに俺が助けに入ったことが意外か。彼女の態度になんだか苛々してきてしまう。これではまるで俺が頼りにならないみたいじゃないか。
胸中で膨れ上がった苛立ちを彼女に八つ当たりしないように何でもない風に、いつものように呆れたような態度で彼女を見てから消灯され暗くなった廊下側に転がっている男に目を向けた。
「――っくそ、お前なにを」
「少し遠かったのでな本を投げさせてもらった。うまくぶち当たってくれて感謝する」
自分でも驚くくらい冷めた声が出た。彼を見ていると普段なら絶対に抱かない考えが過る。
…………どうやってこの男に苦痛を与えようか。
俺は医者の卵である。人の命を救い、怪我を治し、精神の安定を図る誇りある仕事だ。常に癒すことを考えている。なのに今はどうだろう。まったく逆の事を考えているではないか。自分自身の奥底にあった暗く醜いものが顔を出したような気がした。
「ふ、ふざけやがって!」
怒りに震えた声が響き渡り、跳ねるように起き上がった男はそのままの勢いで俺の頬を殴り飛ばした。俺は大した抵抗もできずそのまま後ろにいた花森に支えられるように身を崩してしまった。
くそ、痛いな……。
元々、運動は苦手である。引き籠りに近い生活を送っている身ではまともに避けることもできなない。殴られた頬に熱が籠って熱くなる。これは腫れるな。
程度を確認しようと頬に手を当てて、気が付いた。
しまった、眼鏡がない。痛む頬を抑えながら視線だけで探せば眼鏡は少し後ろの壁際に転がっていた。元から目は悪くない為、眼鏡がなくともしっかりと見えるが問題が一つだけ……。
「なんだ弱えぇなお前! 女の前だからって調子に乗りすぎなんだよこのモヤシ」
「――っ!」
俺を支える花森の両手が震えた。ただの安い挑発だ。そんなものに俺は怒りはしない。けれど力の込められた指先から感じられるはっきりとした彼女の怒りになんだか触れられているその部分から熱が伝わっているかのように温かく感じた。
俺の為に彼女が怒りに打ち震えている。そう思うと心臓が痺れたように震えた。
感じたことのない体の変化に戸惑いながらも俺は彼女の手を握った。これは花森が怒るべきことではないし、彼女が何かすべきでもない。
俺が片づけなくては。
なんとか踏ん張って自力で立ち上がるとまだふらつく足で再び花森と男の間に立ち塞がった。
「……確かに俺は腕力もなければ喧嘩もしたことはない。物理的な攻撃力で言えばその辺の女子と対して差はないだろうな」
「はっ! だったらすっこんで――」
「だがそれはそのことに今まで対して必要性を感じなかったからだ。そしてそれは貴様に対しても同じ……だ」
瞳の奥がちかちかする。
抑えていた力が溢れ、零れ出るように凍えた魔力が瞳を伝って流れていく。それを機敏に感じたのか男の顔はみるみるうちに情けない様相となった。
この様を昔見た事がある。あの事件の被害者、俺を怒らせてしまったあの少年と同じ顔をしている。
「本ばかり読んでいるから目が悪いのだと勘違いされがちだが、俺は別に眼鏡をかけなければならないほど視力が低いわけではない。眼鏡を跳ばしてしまったのが運の尽きだったな」
「――ひっ!」
一歩俺が前に足を踏み込むと、男は恐怖に引き攣った声を上げ、ぶざまに尻もちをついて後ずさった。無様だな。
「貴様のような小者が俺の瞳から目を反らせるわけもない。――――眠るがいい貴様に『宵夢』を与えよう」
魔法使いとなったあの日、魔法と同時に俺の身に与えられた特殊能力。この目を見た者を覚めない悪夢へと誘う力。俺は攻撃的な魔法を一切もたないがこの力だけは暴力的と言えよう。肉体的には傷を与えないが精神に多大なる苦痛を与える。精神的な苦痛はやがて肉体的な苦痛にもなって現れる。
あの事件以来、俺はこの力を忌まわしいものとして封じてきたがこの男には望んで使ってしまった。
それほどまでにこの男が憎たらしい。
前に回ろうとした彼女を制し、眼鏡をとってくれるよう頼むと素早く彼女は眼鏡を拾ってきてくれた。すぐにかける。度は入っていない、能力を抑える為の術が施されているだけのものだ。
殴られた頬に彼女は罪悪感を抱いたのか謝られたが花森が謝るようなことはなにもない。悪いのは殴った男の方で、殴られた俺だ。気にするなと言いたかったがその言葉だけは素直に出なかった。
ようやく安堵したのか彼女はボロボロと涙を流しお礼を口にしながら膝から崩れ落ちてしまった。驚いたが彼女の全身が崩れる前に肩を支えてやれた。
顔を顔を見合わせてようやく彼女の顔色が酷く悪いことに気が付く。病的なまでに青白い肌に目元にはクマまである。意識が朦朧としているのか視界が定まらず瞳が揺らいでいた。
治療魔法をかけようかとも思ったが治癒術は使い過ぎると体が慣れていざという時、力を発揮しない場合がある。
少し考えて、俺は肩に置いていた両手を花森の頭へと移動させ、がっちり抑え込むようにして掴んだ。
彼女の瞳が一度覚醒したかのように見開いたが、しだいにとろんとしてくる。
「花森、顔色が悪い上にクマまでできてるぞ。寝不足になるようなことをするな。術をかけてやってもいいが治療を魔法に頼りすぎるのは体に悪いからな……今はツボ押しで我慢しろ」
専門ではないがマッサージも一通り習っている。疲労回復と精神安定の効果があるツボを重点的に押していくと彼女はぼーっとした目で俺を見詰めてきた。至近距離だが眼鏡のおかげで能力にはかからないだろう。なんともなしに見つめ返すと彼女がなんだか一瞬微笑んだような気がして心臓が跳ねた。
だが気のせいだったのか、瞬きをした後には彼女の瞳は閉じられ健やかな寝息が耳朶を掠める。
え? おい、寝たのか!?
いくらなんでも速攻過ぎだろう。どれだけ疲れていたんだ花森は。
一気に脱力感が襲って、俺は彼女の頭から手を離すと一度、廊下に転がした。春とはいえ夜は冷えるが、少しだけ待っていてくれ。と、自分のローブを外すと彼女の上にかけた。
そして能力で昏倒させた男を覗き込む。
落ち着いてきてようやく事の異常さを感じ始めていた。行事ごとになると浮かれる輩は毎度出るがそれにしても強引すぎる。手荒だと言っていい。普通は拒絶されればそのまま引き下がるのが常である。あれだけのことをする例を初めて見た。
なんとなくだった。だが今日の俺は勘が鋭く働いているらしい。光属性の直感とやらを少し信じてみることにした。
男の傍らに膝をついて顔色を見れば男は悪夢にうなされ苦悶の表情を浮かべている。この男は後で神城先生に事情を説明し引き取ってもらおう。悪夢よりも恐ろしい目に合うがいい。
地獄よりもよほど恐ろしい神城先生の怒りを想像し気分を晴らしながら俺は感覚を研ぎ澄ませた。魔力感知は得意分野である。特に反属性である闇の力は判別しやすい。
…………当たった。
違和感の正体を見つけ出した。男の首の裏に彼にこびり付くようにして張り付いている魔力を見つけた。この男のものではあるまい。
これは。
「…………呪詛か」
呪詛は闇の魔法の中でも特に悪質なものだ。十中八九、悪意ある行動によって忍び込まされたものだろう。だが一体誰が、なんの目的で?
俺は暗闇が伸びる廊下を見詰めた。男はなぜこの先に花森を連れて行こうとしたのか。もしかしたらこの先に『主』はいたのかもしれない。
狙われたのがどうして花森なのか分からないがそれも含めて神城先生に報告するしかあるまい。
男のことは後でなんとかするとして、今は花森を運ばなくてはいけない。
花森を運ぼうと彼女の肩に手をかけて、ようやく彼女がいつもと違う髪型なのに気が付いた。普段はなにも装飾がなされていないストレートだが、横たわる彼女は白いシュシュで高い位置に一本に纏めたポニーテールだ。大人しそうな印象が一気に活動的に見える。
女の髪型などロングがショートになってもいつもなら気づかないんだがな……。
まったく興味がないから。だが遅いとはいっても気が付いてしまった。俺はどうやら花森を普通に『見て』いるようだ。なんだか不思議な心持がした。
花森を背負う為、上体を起こし背に乗せたのだがその瞬間、俺は背負うことを諦めた。意識があるならまだしも意識のない状態で背に乗せると予想以上に密着する。わずかな隙間すら空かない。つまるところ彼女の体の前側すべてが俺の背に押し当てられることになるわけで。
…………気になった時点で、セクハラと訴えられても文句が言えない。
脳内で巻き起こった保険の授業を強制終了させ、俺はなんとか横抱きで行こうと彼女の肩と膝の裏に手を差し入れたが、どうにもこうにも。
「…………重い」
「それ、単純にお前の腕力が足りないだけだろ木塚」
かかった声に俺は別段驚きはしなかった。というよりも来るだろうと思っていた。だが遅い。
「今までどこで何をしていたんだ……一ノ瀬」
「合同練習だよ体育祭の。けど、なんか嫌な予感がして」
あちこち探し回ったのか、一ノ瀬の顔には疲労の色が見える。俺が偶然見つけなければ花森がどうなっていたか分からないが、すべてを一ノ瀬の不甲斐なさにしてしまうには責任を押し付け過ぎだと思った。気持ちを整える為に息を吐く。
「なにがあったか聞いてもいいか?」
「いいが、話を聞いた後、暴力的な行為に及ぶのは禁止だ」
「…………まあ、あらかた見当つくし痛い目にはすでに合わせてるみたいだからな……善処する」
そこまで分かっていて善処なのかと呆れたが今なら一ノ瀬の気持ちも分からないわけではない。俺ですら攻撃的な思考に陥ったのだから。
話を聞いた一ノ瀬は男を射殺しそうなほど怒気を孕んだ目で見たが花森が小さくくしゃみをしたのであんな男よりも花森をとったのか、いつもの人好きのする顔で花森に笑いかけると彼女を背負おうとした。
「……おい、一ノ瀬……背負って行くのか?」
「なんだ? 背負うのが一番簡単だろ。前にも乗せた事あるし」
「それは意識がある時……か?」
「そうだけど?」
と、慣れた手つきで花森を背中に乗せたがそのまま固まった。
「………………アウト」
ぽつりと言うと俺ができなかった横抱きで軽々と彼女を持ち上げる。
何がアウトだったのかは、突っ込まないでおいてやろう同じ男として。
「横抱きは……重くないか?」
「花森が重いわけねぇーだろ。軽すぎる、もっと食って太った方がいい」
「それは俺もそう思うな。もう十キロは太っていい」
そう言ったら花森は怒りそうだが。女子はなんだってあんな骨みたいな体型になろうとするのか理解できない。
「じゃあ、後は頼んだぜ」
「ああ」
そう言うと一ノ瀬は荷物があることを感じさせない軽い足取りで廊下の奥へと消えていった。俺は神城先生に報告するべく急ぎ早に保健室を目指した。男の回収も頼まなければならない。呪詛のことも気になった。
だが今現在俺の中で渦巻くのは別のことだった。
「…………少し運動するか」
花森を抱え上げられなかったことがとてつもなく悔しかった。




