80 sports day 体育祭準備6
木塚君がおかしい。そう感じたのは間違いではなかったようだ。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「えー、何このお通夜みたいな空気ーー」
「そうだよ~せっかく皆で食べてるんだから楽しくお喋りしようよ~」
時任君と榊原さんはいつも通り楽しげだが私と一ノ瀬君、七瀬君となぜか私が座った直後に隣の席に着いた木塚君は重い沈黙を纏っていた。
右隣の木塚君から放たれる威圧感が私の胃を重くする。
楽しく朝食する気分にはなれない。そもそもなぜ木塚君は私の隣にわざわざ座ったのだろうか。いつもならすでに彼の指定席みたいになっている奥の端っこの席がいつもの朝食スペースだったはずだ。私の知っている限りでは彼が誰かと朝食をとることは滅多にない。時々、時任君と榊原さんが乱入してお喋りしたりしていたが基本一人だ。
指定席が誰かにとられてしまったのかと思って見てみれば、いつも通りきちんと空席だった。
念の為、左斜め向かいの七瀬君に聞いてみる。
「パートナーと一緒に朝食を食べようとかそういう――」
「ない! ないない、絶対ない。木塚君とパートナーになってからそれなりにコミュニケーションとろうとしたけど怖い顔で睨まれるだけだったし!」
それもそうか。もし木塚君がパートナーである七瀬君と歩み寄ろうと朝食をとろうとしたのなら私ではなく彼の隣に行くはずだ。現在彼の隣には七瀬君ファンであろう女子が陣取っているが木塚君が来た時点では空席だったのだ。
時任君と榊原さんも木塚君が私の隣の席についたすぐ後に来たから彼ら二人と一緒に……ということでもなさそう。
「ね~ね~、きいろ君は昨日からすーちゃんとかつ君と一緒にご飯食べてるよね~? いつもは女子に囲まれてるのに~」
「きいろ君って……あ、俺か。実はね、二人と一緒に早朝から走り込みしてるんだ。だからそのままの流れで。それに花ちゃんともっと喋りたいしね!」
「走り込み? もしかして体育祭の練習?」
「そ、俺達三人ともリレー出るから」
「三人とも足速いもんね~。きいろ君とすーちゃんはもはや別格だし、クラス対抗リレーはD組VSB組って構図が出来上がりつつあるって聞いたよ~」
「え、なになにそれ。どこ情報なの榊原さん」
「あいちゃん情報~」
「ああ、平間か」
一ノ瀬君が彼女の名前を聞いて渋い顔をした。
平間愛、D組女子メンバーの一人で情報部に所属している情報通な少女である。この学校では部活動はかなり自由で同好会から本格的なものまで様々である。とっている授業数や難度によって生徒の忙しさはまちまちなので比較的自由な時間をもてる生徒が部活動に所属している。
ちなみに私はそれなりの授業量をとっており、そのほとんどが難度B以上なので忙しい方の部類に入る。その為、部活動には参加していなかった。
ちなみに一ノ瀬君は部活には入っていないが空手部で教える側として時々行っているようだった。
「……一ノ瀬君って女子で唯一平間さんだけは苦手だよね?」
「嫌いでは決してないが、あいつの趣味だけはどうもな……」
平間さんが一ノ瀬君と話をしている場面はよく見かける。一ノ瀬君からというよりはほとんど平間さんが話しかけているようで、一ノ瀬君は話の途中でも逃げるように彼女から離れていた。この態度は一ノ瀬君としてはとても珍しい。
私としては平間さんはハキハキと喋る明朗闊達な人で、情報部といっても人を傷つけるようなゴシップは流さないからそれなりに好感を持っているクラスメイトだ。
平間さんの趣味、とやらはさすがに知らないが。
「一ノ瀬君、あれも女子の内面の一つなんだよ。受け入れてこそ器のでかい男ってもんさ」
「……俺は七瀬みたいに割り切れねぇーの」
七瀬君はさすがというか他クラスの平間さんの趣味を知っているようだ。周りを見れば木塚君以外は微妙な笑顔。
知らないのはもしかして私と木塚君だけ?
平間さんの趣味がなんなのか気になるが誰も言ってくれないので少し仲間外れになった気分がして口を尖らせつつご飯を口に運ぶ。
隣の木塚君が気になってあまり食が進まない。なんかこの感じ懐かしいな。あの時も隣の彼が気になってまともにお弁当が食べられなかった。私はどうも木塚君が傍にいると変に緊張していけない。
……なんか、監視されてる気分なんだよな。
敵意はない……と思う。前はただ怖いとしか思わなかったけど彼が私を『診』ていてくれたことを知って今は少し何か別の考えがあるのかな、と思うようになった。
何を考えているのかまではさっぱりだけど。
「……花森、昨日話した本のことだが」
「アヴェリーのこと? 今日にでも借りようと思ってたけど」
「そうか、なら読み終わったら感想を聞きたい」
『えぇ!?』
驚きの声を上げたのは私ではない。一ノ瀬君と七瀬君だ。私が言う前に二人に言われてしまった。驚きに目を瞬かせていると、木塚君は眉根を寄せて首を傾げる。
「なんだ、その反応は」
「木塚君が! 花ちゃんと、本のお話!?」
「しかもおススメして、感想待ち――だと!?」
なぜ二人の方が私よりも動揺しているのか。横目で見れば時任君と榊原さんは始終ニコニコしっぱなしだ。
なんだろう、すごくこの二人から悪巧みのニオイがする!
「俺が花森に本を薦め、感想を聞くのになぜそんなに驚く」
「木塚君が本の虫なのは知ってるけど人に本を薦めた事なんてないじゃん! 俺が聞いた時は絵本でも読んでろって言ったくせにぃっ!」
木塚君からはかなりぞんざいに扱われているのか七瀬君が涙目で訴えた。が、木塚君は冷たい眼差しで七瀬君を睨んだ。
「赤点を脱してから文句を言うんだな。読書とは知の基礎があってこそのものだ」
「いや、そんなことないぜ? 俺、花森からアヴァン戦記薦められて読んだが面白かったぞ」
「……アヴァン戦記、ああ、あの魔法大戦を下敷きにしたというファンタジーものか。あれはヒロイック要素が色濃く、子供に人気があるのもあって文章はずいぶん柔らかい感じに翻訳されているし漢字も少ないな。一ノ瀬でも読めたのは納得できる」
「なんという上から目線……」
「えー一ノ瀬君ずるい! ね、花ちゃん俺にも何かおススメしてよー!」
七瀬君が駄々をこね始めてしまったので仕方ないな、と私は記憶の中にあるすべての本をさらった。七瀬君が興味を持ちそうなジャンルで、読みやすいものは。
「『アニーと風の草原』はどうかな?」
「広い草原を風と共に駆けるのが好きな活発な少女の話だな。少女の妄想癖が少々理解に苦しむ所があるが文章も優しいし漢字も少ない。七瀬でも読めるだろ」
「…………木塚君、なんか今日はやけに絡むね」
「絡んでいるわけではない。知っている図書だから詳しく言ってみただけだ」
と言ってはいるが言い方がすごく高圧的だ。それになんだかどんどん声音が低くなっている気がする。なにか気に障ったのだろうか。
「すーちゃん、私は~?」
「俺にもなんか薦めてーー」
「お前らも絡んでくるな!」
「いいじゃんケチー!」
「かつ君のけちんぼ~!」
二人の絡みようもいつにも増して激しい。すっかり一ノ瀬君と七瀬君は時任君と榊原さんに掴まってすったもんだだ。
しゅ、収拾がつかなくなる!
止めようとも思ったが時計を見ればそろそろ朝食を切り上げなくてはならない時間になっていた。場を収めるか、あっちは放っておいてきっちり朝ごはんをお腹に入れて登校するか。
数秒黙考して、私はお箸を持った。
ゴメン、一ノ瀬君と七瀬君。お腹が満たされないまま行くと一限目にとった魔法生物の授業で意識を失うかもしれない。今日はマンドラゴラと戦わなくてはいけないのだ。
あのおぞましい鳴き声は万全の状態でも苦しいのに、お腹が減っていたら戦うものも戦えない。
頑張ってご飯を食べていると、白米の上に煮干しが降って来た。
……やだこれデジャヴ。
初等科六年に起こったイジメ……もとい木塚君の施しであった煮干し剣山を思い出してしまった。机の中にこれでもかと突っ込まれた煮干し達のむせ返るほどのニオイが懐かしさと共に白米からわずかに香ってくる。
これくらいならまだ食べられるけど。白米に煮干しはどうなんだろう。茶漬けにしたらいけるかもしれない。
「あ、ありがとう……」
一応礼を言うと木塚君はこちらも見ずに黙々とご飯を食べていた。煮干しご飯を。
目の前の賑やかさなどどこぞ吹く風で朝食を食べ終わると食器を持って立ち上がった。
「…………花森、俺に本を薦めるとしたらお前は何を選ぶ?」
「え?」
呟かれるように言われたその言葉に私は思わず彼を見上げた。木塚君はじっと私を見下ろしていた。深緑色の双眸がぽかんとした間抜け面の私を映し出す。
まさか木塚君までお薦めの一冊を聞いてくるなんて。私は咄嗟に考えようとしたがすぐに気が付いて止めた。
「木塚君が読んでないような本、たぶん私は知らないと思うけど」
「別に俺が読了済みのものでも構わない。君が俺になにを薦めるのか興味があるだけだ」
なんなんだそれは。
やっぱり彼の考えていることはよく分からない。だがこのまま黙っていても引き下がらなさそうだったので、色々思い出してみては選択するを繰り返す事一分。自分としては頭が擦り切れるくらい考えた。
その結果。
「『にぼしの一生』……とか」
我ながら木塚君に対する失礼なまでの一貫したイメージで選んでしまった。『にぼしの一生』は捨て子猫を拾った少年が、その子猫が煮干しが大好きだったので『にぼし』と名付けて大事に育てるというもの。詳しい話はちょっと忘れてしまったのだが『にぼし』の単語が強烈に出てきてうっかり言ってしまったが、こんな児童書を薦めて更に気分を悪くさせてしまったかもと恐る恐る見上げれば、そこには想像していたような不機嫌な眼差しではなく、驚きに見開かれた普段はあまり見られない表情をした木塚君がいた。
「ど、どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
声をかければ我に返り、木塚君はさっさと食器を片づけに行ってしまった。あの反応は一体どういう意味だったのか。
彼の事を良く知らない私には、想像することもできなかった。




