77 sports day 体育祭準備3
「ねえ、マリアンヌ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
朝食を終えた後、私と一ノ瀬君、そして気になったのか七瀬君と九十九君も一緒にマリアンヌの肖像画前にやって来た。
「あら李さん、どうしたんですの?」
「ちょっと嫌な事を思い出させるようで悪いんだけどマリアンヌってその……戦場で亡くなったのよね?」
「そうね、あまり詳しくは覚えていないのだけど。誰かに斬られてしまってそのまま……だったような気がしますわ」
「その時、誰か一緒にいなかったか?」
「私を看取ってくれた人ですの? えーっとどうだったかしら……。最期の時はずっとオルフのことを考えていたような気がしますけど。あの時彼は私からとても離れた場所にいたはずですから」
オルフとはオルフェウスのことだろう。あの夢の中でも確かにマリアンヌは彼の名を呼んでいた。心から彼のことを愛していたんだろう。
肖像画のマリアンヌは本物の魂の一部を宿した仮初のマリアンヌだ。本物の記憶が曖昧なのは仕方がないこと。
「ごめんなさいね、はっきり思い出せなくて」
「いいの、ありがとう……。それと最後にもう一つ、マリアンヌってマリーって呼ばれていたことがあるの?」
「あら、よく御存じでしたのね! 小さい頃にごく親しい人の間でしか呼ばれていませんでしたのに」
幼き日のことを思い出したのかマリアンヌは嬉しそうに頬を赤く染めて微笑んだ。よほど温かい思い出があるんだろうな。少し羨ましく思いながらも確信が得られるかもしれないとぐっと手に力を込めた。
「それって誰だか覚えてる?」
「ええもちろん。オルフよ」
「オルフェウス?」
「彼とは幼馴染ですもの、彼には子供の頃はよくそう呼ばれていましたわ。大人になってからは二人の時や親しい友人と一緒の時だけならマリーと呼んでくれましたわ」
そういえば二人は子供の頃からの知り合いだった。けど私が見た夢の人物はオルフェウスではない。マリアンヌ当人がその時はオルフェウスは遠くにいたと言っているし、なによりあの人物は叶わぬ思いに嘆いていたのだから。両思いで互いに愛し合っていたオルフェウスとは考え難い。
「他にはいないの?」
「えっと、そうですわね……。あ! 伯爵ですわ。オルヴォン伯爵からもそう呼ばれていました」
「そうか、二人は師弟関係が長かったんだものね」
「ええ、幼い体にしては高い魔力を持ってしまっていましたから、伯爵には随分とお世話になったのです」
「もっといない?」
「どうだったかしら……特に思い当たる人は他には――あ」
「いるの!?」
「すごく曖昧な記憶が……確か彼にも―――ダメだわ、名前が思い出せない」
「……そう」
とても申し訳なさそうに項垂れるマリアンヌに私は慌てて首を振った。もういないはずの人から聞いているのだ、全部はっきりと分かるとは思っていない。
それにしても『彼』か。夢の中の人物はまだ若そうな少年のような声をしていた。戦場に倒れたマリアンヌはすでに今目の前にいるような成人女性の姿だったし、きっとマリアンヌの美しさと優しさに惹かれてしまった純朴な少年だったのだろう。
しかしなんでまたその少年が私の夢の中に現れたんだろうか。その意味がなんであるのか分からないまま、私は体育祭準備の為、一ノ瀬君と一緒に広い高等科校舎の中を駆けずり回ることになり、しばらくそのことは忘れてしまっていた。
「じゃあ、騎馬戦のメンバーは一年D組、騎手は黒須磨、能登、九十九。騎馬は一ノ瀬、橘、岩城、中野、高千、村岡、日笠、植木、篠塚。二年B組、騎手は森永、月島、糸堂――」
糸堂先輩の名前が挙がった所で教室内がざわついた。
現在三年、二年、一年合同の作戦会議中である。普段はあまり顔を合わせることのない学年同士互いに興味を持ちつつ、それなりに静かに話を聞いていたのだがD組のメンバーも糸堂先輩にはウォークラリーで色々やられているので彼の名前が上がるだけで抑えようのない恐怖の声がさざめき立つ。
気持ちは分からなくもない。
「あれぇー、一年君達は僕が騎手だと不安かな?」
『滅相もないです!』
D組、息の合ったハモリ。糸堂先輩は始終笑顔なのだがそれが不気味に見える不思議。岩城君や能登君も感情が分かりづらいが糸堂先輩も負けずに真意が見えにくい人だ。どっちかというと九十九君に似たタイプかな。笑顔を浮かべつつも決して腹の底を見せない食えない人達だ。
だから……なのか。
「糸堂先輩、もうちょっと一年から離れてくれませんか? 皆先輩を怖がってしまってますよ」
「遠慮しないで~、同じチームじゃない」
「寄るなって言ってるじゃないですか。むしろ壁に埋まっててくださいよ」
く、黒い火花が散ってる! あの糸堂先輩に堂々とあんな口が利けるのは九十九君だけだ。先輩のクラスメイトも三年の先輩達も糸堂先輩には極力、関わらないようにしてるみたいなのに。
…………同族嫌悪って怖いな。
「ユキ君、鉄季君、二人とも頑張ってくださいね!」
「ネッコに言われなくても勝利しますよ。俺を誰だと思っているんですか」
「わー、ユキの超自信家。サキちゃんに応援されたからってカッコつけすぎ」
「…………鉄季、どうやら泥沼の底に沈みたいようですね」
「本当のことなのに」
後ろの黒須磨君、能登君、土倉さんの仲良し幼馴染トリオはあの黒い火花を弾け飛ばしている二人の事は別次元のことのように和気あいあいとしている。
私も別の世界へ行きたいんだけど。
混沌としてきた教室の中、進行役の三年生がフリーダム過ぎる後輩達を気にせず次々とメンバーを発表していく。
これくらい肝が据わってないと進行役なんて勤まらないんだろうな。しかしこの中できちんと彼の話を聞いているのは何人いるのか。かなり無意味な集まりのような気がしてきた。
「これから一週間、授業の開いた時間帯を使って各自競技の練習をしてもらいます。放課後は合同で応援練習です。我々赤チームが割り当てられたホールは高等科地下一階東側の訓練場――」
長々とこれからの予定を話す先輩の話をしっかりと聞いて、その日の行事は終了した。後にD組全員から練習行程の話を聞かれることになる。
だからちゃんと人の話聞いときなさいよ!
「あ~~すーちゃんいーところに~~」
間延びした声に話しかけられて私は振り返った。そこには思った通りのんびりと歩いてくる榊原さんの姿がある。隣には時任君もいた。
「なにか用?」
「うん、あのねーこれから時間あるかなぁ?」
この後は寮に帰るだけだ。本でも読もうと図書室に行ったのだがもうこれといってすぐに読みたいと思うものがなくて丁度暇だった。
「特にないけど?」
「やったぁ~、じゃあちょっと付き合ってくれないかなぁ」
「花森さんいるとすんごい助かるんだよね」
と二人に詳しいことを聞けないままズルズルと連行されるように私はひきずられて実験室に連れてこられてしまった。
実験室にはすでに様々な調合機材と材料が並んでおり、一番奥のテーブルで木塚君が相変わらず神経質そうに調合していた。
「ふかみどりくーん、助っ人連れてきたよぉ~」
「助っ人? …………ああ、花森か」
「どうも。で、一体なんなの?」
ようやくまともに説明してくれそうな人物と出会えた私は二人から逃れるようにささっと木塚君のテーブルまで移動した。
「体育祭の準備だ」
「体育祭の準備? なにか調合することあったっけ」
「傷薬なのど薬剤が多く必要になるんだ。体育祭は毎年怪我人が出るからな」
「え、そんなに危険なの?」
「妙なことを言う。花森も体育祭に出たことがあるだろう」
木塚君から視線を外した。彼とは一回しか同じクラスにならなかったから私が毎年体育祭を欠席していることを知らないのだろう。しかし私の目があからさまに泳いだのを見て、彼は感づいたようだ。
「…………とにかく体育祭では怪我はつきものだ。二年と三年は自身の課題で忙しい身だからこういうことは一年が担当することになっている」
「でーこういうことが得意な光属性は俺達三人しかいない」
「私達だってやること結構あるのに~。ってことでぇ、助っ人頼もうって話になったんだぁ。ふかみどり君と競ったすーちゃんなら適任かなぁ~て」
「なるほど。いいよ、任せて」
「やったー!」
こうして誰かに頼られるというのもいいものだ。ウキウキしていることを悟られないように一生懸命、冷静な顔でいようと努力しているとじっと木塚君に見られていることに気が付いた。
「なに?」
「いや……別に」
声をかけるとふいっとそっぽを向いてしまったので詳しくは聞けなかったが、なんとなく木塚君も嬉しそうにしていたような……気がしてしまったのは、私自身が一番浮かれているからなんだろうか?
3/13 榊原の李への呼び方を花森さん→すーちゃんへ訂正。




