76 sports day 体育祭準備2
鳴り止まぬ爆音。耳朶を叩く怒声と悲鳴。肌を焼く熱と舞い上がった砂ぼこりに身を汚し、その手に握られた剣からはとめどなく鮮明な赤がしたたり落ちていた。
ここはどこだろう、意識が朦朧としている。
一歩踏み出せば、つま先に死体が引っかかり転びそうになってしまう。『私』はそんな無造作に転がった亡骸を蹴り上げながら前へ前へと進んだ。
その地獄のような光景はすでに当たり前のような感覚となって、なんの感慨も抱かせない。ただこの胸にあるのは『彼女』への激しい焦燥感と抉られるような痛みだった。
どこだ。早く、早く探し出さなければ。
『私』は必死に探し回る。見覚えのない死体は気にせずに踏み、見覚えのある死体は跨いでいった。見覚えのある死体に彼女の姿がないことを祈りながら、殺し合いの続く中をひたすら歩き回り、時折襲ってくる人間を斬り捨てた。
どれくらいそうしていただろう、ふいに『私』は何かに気がつき猛然と走り出した。血を吸い過ぎて斬れなくなった剣を投げ捨て、地に横たわった一人の女性の元へと辿り着く。
『私』は彼女の傍らに膝をつき、砂ぼこりと血に汚れてもなお美しさを失わない彼女の頭を持ち上げた。
彼女はまだかろうじて息をしていたが、焦点の定まっていない瞳は虚空を見詰めている。
「ああっ! なぜ、どうしてだ――――マリアンヌ!」
『私』は彼女をそう呼んだ。涙を流して彼女の首筋に顔を埋める。流れた涙がマリアンヌの白い首筋を流れていく。
彼らが幸せならそれで良かった。俺の愛する人が、俺を愛してくれなくても二人が幸せで笑っていてくれるなら、それで良かった。心からの祝福の言葉を二人に送ることができた。
――――なのに、なぜ!!
震えるような微かな声が耳朶を掠める。
「…………最期に……一目……逢いたかった――――オルフ」
「マリアンヌ? ――待て! 逝くな、マリアンヌっ――――マリィーーーー!!」
悲痛な叫びが木霊する。
私ではない、誰かの声が私の中で泣き叫んでいる。
――――あなたは、誰?
瞼を開ければ、見知った寮の自室の天井だった。夜が明けたばかりの薄暗い室内をゆっくりと見回して、ぽたり……と目尻から涙が零れたのに気が付いた。
目尻に指先を触れればしっとりと濡れる。泣いていたようだ。
瞳を閉じれば鮮明に思い出せる。胃の中のものをすべて吐き出してしまいそうになるほどの血と死肉の臭い。血まみれの死体、首がないもの、首だけが転がっているもの、知らないはずなのに知っている誰かの顔。
あれは戦場という名の場所だろう。けれど私は一度だってそんな場所にいったことはない。わずかな血の臭いを嗅いだことはあっても、あれほどまでに悲惨な光景は知る由もないことだ。
なのにどうして、あんな光景をくっきりと夢に見ることができたのか。
黒霧に関わった辺りから意味ありげな夢を見るようになったけど、あれは私自身か、第三者の目で見ていた。だけど今回は違う。私は誰かになって誰かが見ていた、体験したことを恐らく夢に見たのだ。
どういうことだろう。
考えようとしたが考える材料が足りな過ぎてすぐに諦めた。九十九君に相談してみよう。また誰かが私に干渉してきたのなら彼が分かるはずだ。
まだ薄暗い中、顔を洗い髪を整え運動着に腕を通した私は静かに寮を出た。昨日決まった体育祭の参加競技で一番重大な種目、リレーのアンカーという大役を任せられてしまったのだ。ウォークラリーで私の足の速さは周知の事実であったので迷われることなく選ばれてしまった。選ばれたからには全力で挑まねばなるまい。
というわけで早朝ランニングを再開することにしたのだ。一ノ瀬君と一緒に。
春先とはいえまだ早朝は肌寒い。腕を摩りながら朝靄の中を寮の門まで歩けば一ノ瀬君が同じく運動着を着て約束通り待っていた。
「おはよう、一ノ瀬君」
「…………おはよう、花森」
なぜか朝も早くから疲れ切った顔でげんなりと一ノ瀬君が挨拶を返して来た。不思議に思って首を傾げていると門の影から誰かが勢いよく飛び出してきた。
「おっはよう! 花ちゃん!」
「え、七瀬君!?」
突然のことに唖然としていると飛び出してきた勢いのまま七瀬君に抱きつかれてしまった。力強くぎゅーっとされて息苦しい。
「心配したよ! 三日も寝込んだんだって!? 怪我とかもういいの――」
「せいっ!!」
「がふっ!」
ドゴンと鈍い音が響き、目の前から七瀬君が横に吹っ飛んだ。理由は察しが付く、一ノ瀬君が七瀬君を蹴り飛ばしたのだ。
「い、痛いよ……一ノ瀬君」
「悪いな、足が滑った」
「…………思いっきり掛け声上げてたと思うんだけど」
しくしくと泣きながら身を起こした七瀬君は私から若干距離をとって立った。一ノ瀬君が無言で圧力をかけているようだ。抱きつかれるのは困るのでありがたい。
「体の方はもう大丈夫だから心配しないで。それより七瀬君はどうしてここに?」
「もちろん走る為だよ。俺、体育祭のリレーアンカーに選ばれたから。花ちゃんもアンカーなんでしょ?」
「うん。そっか、そうだよね。七瀬君すごい足速いし」
「まあねー。体育祭でのリレーは魔法禁止らしいし、花ちゃんとはフェアな勝負ができそうで今から楽しみでさ! まさか二人とも早朝走り込み考えてたなんて驚いたよ。俺、花ちゃんとは勝負抜きで走ってみたいって思ってたし、俺も一緒でいいよね?」
「一緒に走るくらいならかまわないけど」
「やった!!」
と我が物顔で私の隣につこうとして一ノ瀬君に割って入られた。かなり強引に。
「…………狭いんだけど一ノ瀬君」
「ははは、いいじゃねぇーかまだ肌寒いし」
「男とくっつく趣味ないから!」
「俺もねぇー。じゃあもっと離れろ、花森から半径三メートル以内に入るな」
「それもう他人の距離!」
なに喧嘩してるんだか、男二人でぎゃんぎゃん喧しいのでさっさと走り込みを始めてしまった。のんびりしていたら予定の距離を走り終わる前に授業が始まってしまう。
二人を置いて走り出すと、置いて行かれたことに気が付いたのか二人ともにらみ合いながら追いついてきた。
そして一ノ瀬君は最後まで絶対に私の隣を七瀬君に譲らなかったのだった……。
「…………一ノ瀬勝と七瀬いつきはどうしたんだ?」
「……さあ、どうしたんだろうね」
食堂の入口でどうしたらいいのかまごついていた黒霧を見つけた私は彼を連れて朝食の席についた。今日の朝食メンバーは黒霧と走り込みを一緒にした一ノ瀬君と七瀬君。だが二人とも汗だくでテーブルに突っ伏してしまっていた。
あんなデッドヒートするからこうなるのだ。
「……黒霧、男にはな……負けられねぇー戦いってのがあるんだよ」
「そうなのか?」
「知らない」
きょとんとした顔で聞かれても私は女なので答えられない。黒霧は『ニンゲンは難しい』と困った顔になってしまった。
黒霧は現在、男子寮で暮らしている。なぜ私と一緒の部屋ではダメなのか私達があげた理由が妖の黒霧には理解しがたいものだったらしく結構ごねられた。根本的な男女が一緒の部屋はダメの理由からして説明が難しい。お年頃だからとかしか言いようがなく、それ以上踏み込んだ話は保険の先生にお願いします。
黒霧はおそらく、子供、女の子、男の子、大人の女性、大人の男性といくほど怖がっているのではないかと思う。だから男子だらけの男子寮がちょっと不安だったのだろう。一ノ瀬君と同室ということでなんとか頷いてもらえた。男子寮は個室じゃないから数人のルームメイトがいるが、彼らともなんとかうまくやれているようだ。
「黒霧はたしか借り物競争に出るんだよね?」
「ああ……カリモノキョウソウというのがなんなのかよくわからないが」
どういう競技か分からないのにこれに出ればいいよ! と言われて頷いてしまうあたり押しに弱い。まあ、借り物競争なら足の速さとかは関係ないし、万が一黒霧の足が遅くても問題にはならないだろう。問題なのは借りてくるものを彼が理解できるかどうかだ。
「練習する時間もあるし、大丈夫でしょ……たぶん」
「一ノ瀬勝、君は騎馬戦に出るんだろう? 乗馬の訓練はしなくていいのか?」
「…………お前の考えてるような騎馬戦じゃねぇーから。それに俺たぶん馬の方だし」
「え? 上じゃないの?」
運動神経もあって力もあるから敵から鉢巻を奪いやすいと思うんだけど。
「俺、ガタイいいから重いんだよ。だから下で支える方が安定すると思う」
「だねぇー、俺も一ノ瀬君は馬がいいと思うよ、先頭きる正面の方。あのポジションって勝負強い人じゃないと勝にいけないから」
「へぇー、そうなんだ」
万年体育祭お休みしていた私は騎馬戦を間近で見た事がないからかなり知識が適当だった。確かに一ノ瀬君は馬の方がいいかもしれない。
「上は千葉、黒須磨、能登、九十九が堅いな。下は岩城、橘、日笠、後は中野かな」
「中野君? でも彼そんなに体型大きくないと思うけど」
「あいつは司令塔。D組の中じゃそこそこ頭いい方だし、立ち回りが上手い」
そうなんだ。さすが一ノ瀬君、よく皆の事見てるな。それにしても上の人選、千葉君はともかく他の三人はなんとも恐ろしい人物が揃ったものだ。
人の心を読んでくる九十九君にちまたでは魔王と恐れられるSクラスの闇属性、黒須磨君、無表情すぎて九十九君ですら心が読みにくいと評判の能登君。彼らに襲ってこられたら土下座して自ら鉢巻を渡してしまいそうだ。
「僕がなんだって?」
「――きゃあっ!?」
ぼうっと考えていたので突然背後から声をかけられて悲鳴を上げてしまった。
慌てて振り返れば思った通り、穏やかな微笑みを浮かべた九十九君が立っている。
「べ、別に変な事考えてたわけじゃないよ!?」
「うん、そうだね。だけど失礼なことは考えてたよね?」
「うっ」
丁度開いていた私の右隣の席に九十九君が座って来た。ちなみに左隣りは黒霧で向かいが一ノ瀬君、黒霧の向かいが七瀬君だ。一ノ瀬君が頑として私の隣に七瀬君を座らせなかった。
D組メンバーには慣れてきたはずだが、やはり九十九君は苦手な方だ。悪い人じゃないんだけど意地悪なんだよな……。
「…………ねえ、花森さん。僕に何か聞きた事とかある?」
そう尋ねられて私はハッとした。今朝の夢のこと、九十九君に聞こうと思っていたんだ。もしかしたら九十九君はそれを察知して近くに来たのかもしれない。
「あ、うん実はまた変な夢を見て……」
今朝見たあの鮮明な夢の話を掻い摘んで話した。
九十九君は私の話を真剣に聞きながら、じっと私の瞳を覗き込んでくる。一ノ瀬君達も静かに私の話を聞いていた。
話し終わったのと同時に九十九君は私が一番確認したかったことの答えを言ってくれる。
「花森さんの夢に誰かが介入したような痕跡はないね」
「じゃあ、黒霧や鈴白みたいなやつの仕業ってわけじゃねぇーのか」
「え? なにそれ黒霧がどうしたって?」
「後で教えてやるから今は黙って聞いてろよ、七瀬」
一人だけ部外者だった七瀬君は話についていけなくて口を尖らせたが大人しくしていることにしたらしく、それ以上は騒がなかった。黒霧はというとちょっとばかりバツが悪そうにしている。
「花森さんって元々魔力感知能力が高いし、もしかしたら前の介入がきっかけで夢を通してこれから起こりうる事に関わる何かを見ることができるようになったのかもしれない」
「それじゃあ、私が見た夢は……」
「この先近い未来を暗示した何か、かもね。……気になるのは『マリアンヌ』っていう聞き覚えのありすぎる名前が出て来たことだけど」
D組御用達の転送肖像画でもある『マリアンヌ』。彼女の本来の人生は千年以上前の魔法大戦で戦死という最期を遂げている。肖像画のマリアンヌは彼女の魂の一部を映したものにすぎないが、もしかしたら彼女が何か知っているかもしれない。
これから何が起こるのか。少しの不安を胸に、私はいつもよりずいぶん静かな朝食を終えた。




