74 next stage 幸せな目覚め
目が眩むような強く温かな光だった。
闇の中でふわふわ浮いていただけの私の元に差し込んだその光に導かれるように私の意識は上へ上へと引き上げられる。
この身に残る確かな彼のぬくもりを抱いて、私の瞼は覚醒と共に開かれた。
瞳に映るのは白い天井。鼻腔を掠めるのは独特な薬品の香り。清潔な白いシーツと布団に包まれて私は横たわっていた。
この場所を私は知っている。つい最近、訪れたことがある場所だ。
「ここ……学校の……」
神城先生の居城、保健室の奥にある患者用入院部屋。透明君をお見舞いに行った時に見た場所と同じだ。
「目が覚めたか?」
「…………黒霧?」
確かに耳に届いた声は黒霧のものだった。重い体を緩慢に動かせば、窓際に背の高い黒髪の青年が立っているのが見える。彼はそっと窓を開けた。
穏やかな風と共に甘やかな花の香りが漂う。
黒霧の長い髪が風に揺れた。
「……なんだか鈴白が髪を黒く染めたみたい」
「まぁ、同じ顔だし……」
こちらを向いた黒霧の顔は鈴白と寸分違わぬ容貌をしていた。あの黒く染まる呪いの痕はどこにもない。美しく滑らかな肌色だ。
「今、呪いは鈴白が負っているだろう。だから僕は呪いから解放された」
自身の罪の意識から里を出られず呪いに侵されていた黒霧。彼の代わりに鈴白は里に残ると言って、黒霧を外へと押し出したのだ。体から呪いは消えても心はきっとどんなに里を離れても罪に縛られ続けるのだろう。
それこそ里の人達が彼を忘れるまで、途方もないく長い時間を。
それでもそれだけに囚われていて欲しくない。鈴白は外の世界を知るように彼を送り出したのだから。
「黒霧……外は、どう?」
「……まだよく分からない。僕もようやくお前から出てこれたばかりだから」
「そうだったね。黒霧、怪我は大丈夫なの?」
「痛みはある。けど僕はニンゲンみたいに弱くないから平気」
黒霧は私の代わりに傷を受けた。彼は力ある妖だし、自己治癒能力も高いのだろう。けれどやはり心配になってしまう。
「そんな顔をするな、僕は君の方が心配だ。傷は僕が代わりに受けたっていうのに、何日も眠り込むなんて……。僕の憑依が……君に負担をかけたのか」
泣きそうな顔を見詰められてしまい、私は正直怠かったのだが全力で顔の筋力を使って笑顔を作った。
「もう大丈夫だから。それに黒霧が憑依してくれなかったらもっと大事になってたし。黒霧の判断は間違ってないよ」
「……そうか」
ほっとして緩んだ表情を見せた黒霧に、顔は鈴白と全く同じだからものすごく違和感を覚えてしまった。でも私、すかした鈴白の顔よりもめまぐるしく変わる表情豊かな黒霧の方が好感がもてる。
なんていうか黒霧、あなたちょっと可愛いわ。
遥かな年上なのに、子供みたい。なでなでしたい。もふもふしたい。
黒霧なら鈴白みたいに容赦なく撥ね退けたりしない気がする。
「ねえ、黒霧。私今、とても癒しが必要なの」
「? そうか」
「狐になってくれない?」
「なぜ僕が獣姿にならなければいけないんだ」
「言ったでしょ、癒しが必要なの。動物は癒しよ、もふもふよ」
「…………ニンゲンの娘の言う事はよく分からないな」
黒霧は訝し気だったが、ちゃんと獣姿になってくれるところからして鈴白より百倍素直である。黒い狐の姿となった黒霧はちょこちょこと小さな足を動かしてベッドの下まで来るとひょいと軽くジャンプして横たわる私の顔のすぐ横まで来た。
少し湿って冷たい鼻先が私の頬を突く。
『これで満足か?』
「うん、とっても。ありがとう黒霧」
『…………別に』
持ち上げた手で触れれば、柔らかな手触りの毛並みが指先に絡んだ。温かな体温に安心する。撫でまくったが黒霧は文句一つ言わずに黙ってされるがままにしていた。
きっと私が腑抜けた間抜け面をさらしていたから怒る気にもなれなかったに違いない。
いやほんと、良い毛並みです。
心行くまでもふもふしていると、扉の向こう側からけたたましい音が響き渡り驚いた黒霧がベッドから転げ落ちてしまった。
なんだなんだと混乱していると、走ってくる足音が高速で近づき、この部屋の扉を勢いよく開け放った。
「花森!!」
「一ノ瀬君?」
騒がしく入って来たのは一ノ瀬君だった。息を切らせ髪も制服も乱れた姿で、一心不乱にここまで駆けてきたのが見てとれる。
いきなりの事に呆然と一ノ瀬君を見詰めると、一ノ瀬君もまた私の存在を確かめるかのようにじっと琥珀の瞳に私を映した。
数泊互いに見詰め合ったが、次の瞬間には一ノ瀬君との距離は顔一つ分にまで迫った。
「起きてるな!?」
「起きてるけど……ちょっと近い、一ノ瀬君近いから!」
更に寄ろうとしてくるので咄嗟に左手で彼の額をチョップ。少しは落ち着け。
「こら一ノ瀬! 患者は花森だけじゃないんだぞ。静かにしろ」
綺麗な顔を怒気に歪ませて神城先生がヒールのある靴で一ノ瀬君を横から蹴った。
あれ……ぐっさりいった気がするんだけど。
「ううっ、花森が起きた……。お前な! なんで三日も寝たっきりなんだよ! 心配して夜も眠れねぇーし、飯も喉を通らねぇーし!」
「……そこまで心配しなくても」
腹にぐっさりいったのは気にしていないらしい。さすが丈夫な一ノ瀬君。神城先生は蹴りが効かないと分かると次は一ノ瀬君の首根っこを摑まえて私から剥がした。
「患者の耳元でぎゃーぎゃー騒ぐんじゃないよ。花森はまだ安静にしてなくちゃいけないんだからね」
「神城先生……」
「起きたばかりで悪いね。こいつは外に放っておくからまだ寝てな。――ったく、にしてもよくお前、花森が起きたことに気付いたな?」
「なんとなく!」
「……運命石の影響か、お前の野性の勘か。ま、どちらにせよ良かったじゃないか。一ノ瀬、ようやく静かに眠れるだろ。D組の連中もお前らのこと心配しすぎて不眠になってたからな。処方してやるこっちの身になりやがれっての」
うんざりしたような顔の神城先生に少し笑ってしまった。一ノ瀬君の話によれば私は三日も眠ってしまっていたらしい。皆には相当心配をかけてしまっただろう。
……早く皆の顔見たいな。
神城先生が言った通り先生よりも背丈のある一ノ瀬君を片手で外に放ると扉に手をかけた。
「そうだ、雹ノ目もここにいるからな」
「え!?」
「私の患者として預かることになった。部屋はお前の右隣だ。あいつはまだしばらくは眠ったままだろうが、起きれるようになったら見舞いに行ってやるといい」
そう優しげに言うと神城先生は静かに扉を閉めた。
この隣に雹ノ目君がいる。
私は目を閉じて、隣の気配を探ってみた。ひんやりとした、でも心地の良い氷の魔力が漂っている。雹ノ目君を抱きしめた時に感じた感覚とよく似ていた。きっと本人のものだろう。
私、雹ノ目君に会えたんだ。会って、そしてまた一緒にいる。
そう思ったら涙が溢れてきた。目尻から流れた涙を誰かに指の腹で拭われる。うっすらと目を開ければ黒霧が心配そうに立っていた。
「……痛むのか?」
「ううん、違うよ。嬉しいの」
「嬉しいと泣くのか?」
「嬉しくても涙が出る時はあるんだよ」
「よく…………分からない」
「これから知っていけるよ。私もようやく分かったところだから」
「……そうなればいいな」
黒霧は小さくそう呟くと獣の姿になって私の顔の横で丸くなった。ふわふわな尾が私の額を撫でてくれる。
きっと頭を撫でるのと同じような感覚だろう。
もう少しだけ眠ろう。元気になった姿を皆に見てもらわなくちゃ。それとお守りのお礼も言って、魔法具を作ってくれた皆に何かできれば……。
ああ、やることが沢山ある。今はそれが面倒だとは思わない。それが幸せなことであるのだと知ることができた。




