67 VS 雹ノ目朔良2
基本、魔法使いが持つ属性は一つだ。全属性という異例中の異例はあるがそんなのは全体の一%にも満たない。柳生先生は本当に希少な人なのだ。
属性は先天性魔法使いなら生まれた瞬間に、後天性魔法使いなら覚醒した瞬間に属性が決まる。私のように風を強く求め、そして風に適した力を持っていた時初めて魔法使いとして覚醒することができる。後天性魔法使いはその点では運とタイミングによってなるものと言えるだろう。
雹ノ目君は先天性魔法使い。両親共に魔法使いというサラブレッドなわけだがそんな彼も属性は一つ、氷だけだったはずだ。以前文献で調べたことはあるが、魔法使いはどんなに魔力が高い者でも生まれ持ってくる属性は必ず一つか全かのどちらかだという。二つや三つなど中途半端な数はありえない。もしその魔法使いが二属性の力を持っていたのだとしたらそれは。
「環境後天性属性変異」
「え、なにそれ呪文?」
「違うわよバカ。魔法体質理論で習わなかった?」
「……俺その授業とってねぇーもん」
そういえば一ノ瀬君って必要最低限の必須授業しかとってなかったっけ。確かに魔法体質理論は興味がなければ受けるには難しい授業だし、テストもレベルが高い。それこそ成績上位者が受けるような科目だ。一ノ瀬君がとっても単位が貰えないだろう。受けるだけ無駄だ。
「つまり育つ環境下によって生まれ持っていた属性が変質、または変異して別の属性になったり新たに違った属性を持ったりすることのこと」
「……例えば、アレとか?」
一ノ瀬君は視線の先に立つ雹ノ目君を指さした。どす黒い魔力の流れが徐々に大きくなっていく。本来の彼の氷の魔力が消えゆきそうなほどに。
「雹ノ目君は本来氷属性一つ。なのに今感じられるのはその他にもう一つ……あれは多分闇の力」
「属性が変質して闇属性になっちまったのか?」
「……どうだろう。どちらかといえば闇属性が新たに生まれたように見えるかな」
「じゃああいつ二属性持ちになったのか。すげえな、魔法使いって基本一属性だろ?」
「すごくないわ、危険よ」
「危険?」
「雹ノ目君は先天性魔法使い。体は氷属性を受け入れる器として生まれてきてる。だからそこに本来の属性とは違ったものが混ざれば肉体はたちまち崩壊を始めるの。これは魔力浸食といって魔法使いの人体にとって有毒なものであり物質的――」
「難しい話はいい! つまりあの状態は雹ノ目にとって悪いこと、だろ」
「とっても」
「じゃあ、その浸食とやらはどうやったら止められるんだ」
「浸食が始まったら基本的に対処は難しいの。それこそ魔法使いのいる専門的な医療機関に運ぶ以外に私達にできることはない」
「早急かつ迅速に雹ノ目の奴をふんじばれってこったな!」
環境下の影響で起こる後天的属性変異は強いストレスで起こることが多い。雹ノ目君は私を刺殺した(正確には殺しかけた)ことで限界にまで精神が崩壊しかかったのだろう。それであれほどの深い闇を呼び寄せた。
闇属性は属性の中で一番扱いが難しい属性だ。ふとしたことで自分の力に取り込まれ消失してしまう恐れすらあり、世の中の魔法犯罪者の多くは闇属性だと言われているくらい危険な思考を持つ人間も多い。
闇属性といえば思い浮かぶのがウォークラリーの時に怖い目に合わされた糸堂先輩だが、あの人は自分の闇という属性をかなり理解し受け入れている気がする。なんといってもあの無邪気に見えてすべてが邪気だらけという愉快犯的な言動はいっそ清々しいくらいだった。
けど雹ノ目君の纏う闇はすべてを拒絶している。築かれた氷の壁に視界を奪う暗闇を合わせたような絶対的不可侵空間。
逃げ続ければ逃げ続けただけ壊れていく。
雹ノ目君の辿る末路は、消滅だ。
『―――朔良』
心配そうに囁く声が聞こえた。黒霧が人をフルネームで呼ばないなんて珍しい。それほど気をもんでいるのだろう。
かくいう私も居ても立っても居られない状態だった。
「状態を悪くしたのは私も同じだから。もう全力で雹ノ目君に私は無事だって教えに行く」
「よし、じゃあタイミング良く行くぜ。千葉刑事と鈴白は……こっちにはこれなさそうだな」
雹ノ目君の仕業だろうか、千葉刑事と鈴白の二人は遠くの方へ隔離されておりこちらにこれる様子ではなかった。
二人で切り抜けるしかない。いや、もう一人……大丈夫、彼は力になってくれる。私と同じ、雹ノ目君を助けたいと心から思っている者同士だから。
「黒霧も一緒に行こう! 私に貴方の風を纏わせて」
『無論だ』
躊躇されるかと思ったが彼はすんなりと私に応えてくれた。私のうちから私のものではない強い風の力が湧き出でる。精霊の力とも少し違う、異質な力。この力を追いかけて私はここまで来たのだった。今はこの力がとても頼もしい。
黒霧の風の力は私の体を包み込み守るように舞い踊る。
「花森、お前」
なぜか一ノ瀬君が私を見てぽかんとした表情を浮かべていた。なんだろうと首を傾げると、揺れた髪に違和感を覚えた。
……なんか引っかからないようなところに引っかかりがあるような。
気になって頭部を触ってみると。
もふっと私の大好きな感触が。
もふ? もふってなに。もふもふは好きだよ、大好きよ? でも自分からその効果音は出ないでしょう。
でも何度触っても、もふの効果音がする。肌触りばっちり。
「…………ねえ、黒霧」
『なんだ』
「私の頭部の一部がもふっとするのだけど」
『もふ? なんのことかよく分からないが、僕の力を最大限に使っているのだから僕の姿の一部が君に移っても仕方がないだろう』
僕の姿の一部が私に移っている?
嫌な予感が当たった気がした。一ノ瀬君が何とも言えない表情でまじまじと私を見始める。
「まあなんてぇーか、似合ってるからいいんじゃね? 可愛いぞ獣耳と尻尾のついた花森」
「――――ぎゃあぁぁっ!」
はっきり言われて私は頭を抱えて絶叫してしまった。鏡がないので全体像は見えないが私の頭のもふは絶対に狐耳であり、お尻にはきっとふさふさの尾があるはずだった。
黒霧の姿を映してあるので多分黒だろう。
黒髪に黒の狐耳に尻尾。なんて地毛にマッチした色合いだろうか。私今コスプレ会場にこのまま放り出されてもきっと違和感ない。
恥ずかしくて死にそうだ。
『……なんだ僕の姿がそんなに不服か』
「不服っていうか恥ずかしいのよ!」
『僕の姿が恥ずかしいだと!?』
「黒霧はいいのよ、そういう妖なんだから。人間の私がこうなるのがアレなの! あっちの人達みたいでっ」
あちらの人を貶すわけではないが、そういうのに慣れていない人間にとってこれはあまりにも過酷だ。羞恥心が臨界点を突破してしまう。
「姿なんてどーでもいいだろ、それで花森の力が強化できたんならいいじゃねぇーか。この戦い、どう転んでもお前が鍵なんだからな」
背中を強く叩かれて、私は恥ずかしさに悶えている場合ではないことを思い出した。この際、姿は忘れておこう。黒霧と姿が映るほど彼の力を今私は纏っているのだ。恐らく私の実力以上の力を出すことができるはず。問題はコントロールだがこの体は黒霧が制御しているからなんとかできるだろう。
雹ノ目君の懐に飛び込むために踏み込んだ右足はいつも以上に軽く、そして早く私を前へと押し出した。
世界が違って見えた。周囲の小さな精霊達の力を借りるのとはわけが違う。これが黒霧、力の強い高位の妖の力。
息つく間もなく雹ノ目君の眼前にまで迫った私は、彼へ手を伸ばしたが雹ノ目君はその手が届くよりも前に闇と氷の壁で私との間を隔てた。
「――雹ノ目君!」
『待て、なにか来る!』
追いかけようとする私の意志に反して黒霧は私の体を後方へ跳び下がらせた。私がその意図を問う前にその答えは私の前へと飛来した。
激しい突風に態勢を崩しそうになったが黒霧が上手く堪えてくれた。
土埃に遮られながらも目にしたのは巨大な漆黒の体躯を持つ一匹の獣だった。唸り声を上げ私と一ノ瀬君を威嚇している。その姿には私も一ノ瀬君も見覚えがあった。
「あいつ、町を襲撃したタフな魔物じゃねぇーか!」
そう、あれは町を襲ってきたあの巨大な獣の魔物に似ていたのだ。あの時は九十九君の力で倒せたがまさかもう一匹いたなんて。
「……もしかしてこれが本来私達が依頼で受けた標的?」
「あ、そういや俺ら依頼で来たんだっけか」
雹ノ目君のことですっかり忘れていたが私達はそもそも森の中にいるというやっかいな魔物を退治するという依頼を受けてここに来ているのだ。ここは森の中であるし、その依頼の魔物がいてもおかしくはない。
でもなんで今、この場に出てくるかな!
『……よく見ろ、花森李。あの魔物、雹ノ目朔良の闇と呼応している』
「え!?」
黒霧の指摘通り、注視してみれば確かに雹ノ目君の闇と魔物の瘴気が混ざり合うようにして溶け込んでいるのが分かった。魔法使いの持つ闇属性と魔物が放つ瘴気は別物だ。あんな風に混ざり合うことは本来ありえない。
「黒霧、あの魔物ってなんなの?」
思えば町を襲った方の魔物もどこか普通の魔物と違っているように思えた。攻撃を加えた時の手応えとかそういうものになんとなく違和感があったのだ。そもそも学校に回される依頼は魔法課警察や魔物狩りを生業とするハンターがさばききれない、学生でも対応可能な低レベルのものだ。九十九君が上位召喚をしなくては勝てないような魔物と対峙することはほとんどない。稀に依頼ランクを設定した者のミスでとんでもない難度のものが回されそれを受けた学生が死亡した事件は数件ある。
この一件もそうだったのかもしれないが、それでもやはりどこか……何かが引っかかるような……。
『僕にも分からない。いつの間にか現れて居座っていた。僕の声にもまったく反応しないし……普段湧く魔物はそれなりに反応を示すんだけど』
「花森来るぞ!」
一ノ瀬君の叫びと同時に魔物は天高く咆哮した。耳を劈くような音に思わず耳を塞いでしまう。だが一ノ瀬君は怯むことなくその身に炎の武装を施した。ユリウスさんの力の残骸の気配はないが、千葉刑事から貰った火が残っているのだろう、普段よりもより強い力を感じた。
一ノ瀬君の拳は魔物の顔面に直撃し、殴り飛ばしたがやはり魔物はすぐに立ち上がって来た。町での襲撃時よりも威力は上がっているはずだがダメージは残念ながらあまり見られない。
「くそ、ほんとにタフだなっ」
あの時は九十九君に助けられたが今はこの場にいない。かりにいたとしてもあんな大技をもう一度打つことは今回はもう無理だろう。
どうしよう。
『…………一応、僕も高位の精霊と同じくらいの位置づけなんだけど』
「え、本当!?」
『精霊とは力の性質が違うから一概には言えないけど、遅れはとらない自信はある』
「じゃあ、九十九君みたいな大技もいけたりするの?」
『君の体がもてば……ね』
私の体は実際、大怪我を追っているはずの身だ。その体で九十九君のような大技を放ったら寝込む程度では済まないだろう。黒霧はそれを心配しているようだ。
『精霊は召喚主に魔力を代償としてもらうが、僕はそんなものいらない。召喚じゃなくて協力の形でここにいるから。だから魔力の心配はしなくていいけど人は脆すぎて僕は怖い』
「黒霧……大丈夫、もうあんなことにはならないから。なんとなくだけど黒霧なら私の体を壊さずに力を使えるんじゃないかなって思うよ」
『……無責任な』
「そうだね。でも本当にそう思うよ。私のなんとなくって実はよく当たるんだよね。それに約束したじゃない。外に出たらおいしいお稲荷さん奢るって」
『約束……そうだ、約束した。約束は破ると重い呪いがかかるぞ』
呪われるの!?
針千本飲ますっていう罰は聞いたことがあるが呪われるのは聞いたことがない。
『僕が呪う』
「そ、そう。食べ物の恨みは深いってやつかな……。とにかくその約束の為にも私は絶対生き残るから!」
『どうやって?』
「――――根性!」
呆れたような溜息が聞こえた気がした。私も根性はどうかと思ったが、どう考えてもそれしか答えがない気がした。
『……分かった。僕も根性でなんとかするよ』
「途中でヘタレないでね」
『約束があるから、それはない』
体の内から更なる強い力が溢れだした。痛覚は黒霧が持っているはずだが自分の体が軋んでいるのが分かる。
少しの間、あの魔物を退けて雹ノ目君に届くまで、お願いもって私の体!




