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VS(ヴァーサス)!!  作者: 白露 雪音
VS 高等科編~幻狐の章
68/101

65 styx ユリウスの鈴






 決めてはいた。

 けどいざとなった瞬間、何かを考える前に体が動いていた。もしかしたら決めていなかったとしてもこうなってたのかもしれない。


「…………はな……もり?」


 茫然とした一ノ瀬君の声が下から聞こえる。

 彼の方が私よりも背が高いから、いつもなら上から聞こえるのに。なんだか不思議な感じ。


 一ノ瀬君が雹ノ目君に対してすごく怒っていたのは少し離れた所にいた私にも分かった。きっと言わずにはいられなかったということも。

 それはすごく嬉しいことで、非常に拙いことでもあった。

 情緒が不安定な雹ノ目君にそのまっすぐで一番心に傷を付けそうな繊細な部分。腫れものを扱うような態度は一ノ瀬君はしないだろうと思っていたけど、やっぱり彼は直球だった。もっと上手いやり方あるでしょう、と鈴白辺りから怒られそうだがずっと逃げ続けてきた身としてはこうしてこじ開けるように行かないといつまでも平行線なのだ。


 ほら、だって雹ノ目君……やっと。


「…………す……もも……ちゃん」


 宝石のように美しい紺碧の瞳を大きく見開いて私を見てる。

 私を見て、私の名前を呼んでくれた。


 嬉しくて、嬉しくてたまらない。


 大粒の涙が瞳から溢れて零れた。

 ようやく視線が絡んだというのに視界が掠れて、せっかくの綺麗な姿がきちんと見られない。

 泣き止まないと困っちゃうよね。ようやくお話できそうなのに。これからなのに。


「――――」


 どうしよう、声も出ない。

 空気が抜けるようなか細い音が喉を鳴らすばかりで、私の声は言葉にならずに外に出て行かなかった。


 なんとか立たなくちゃ。

 ひっくり返ったままじゃ、恰好がつかないもの。ちゃんと向かい合って膝くっつけて座って話せば仲良くなれる。って何かの本に書いてあった。


 立ち上がろうと腕を動かそうとしたが、なぜかピクリとも動かない。


 あれ、どうしたんだろう。


 腕どころか全身が鉛のように重たくなっていることにようやく私は気づいた。魔力切れになるとこうなることが多いが、今回は鈴白や黒霧に手伝ってもらっているからまだそれはないはずだった。


 なぜだろう、どんどん眠くなる。瞼が異様に重い。


『――もり――――花森!』


 一ノ瀬君の掠れたような悲痛な声が私を呼んでいる。

 ああ、でもその声もどんどん、どんどん遠くなる。


 黒く染まっていく視界の中で、最後に映ったのは泣いている、雹ノ目君の姿だった。




 ――――泣かせてしまった。あの時と同じように……私はまた繰り返してしまったの?





 ――――リィーン。


 闇の中で涼やかな鈴の音が響く。何度も、何度も私の中で。

 この鈴の音は初めて鈴白と出会った夢の中で聞いたのが最初だった。それから時折、私の元で響く。この音は黒霧の幻の中でも聞こえた。

 まるで何かを教えるように、諭すように優しく鳴る。


 鈴白が一ノ瀬君に渡したユリウスさんの鈴、その鈴からも同じ音がした。だからなんとなくこの鈴の音の正体も分かっていた。


 ふわふわと定まらない宙に浮かんでいるような感覚の中、私は口を開いた。


「…………ユリウスさん」


 声が出た。体も重くないし、ちゃんと動く。

 そう実感した瞬間、視界が開けて辺りは一面光の世界へと一変した。足元には色とりどりの花が咲き乱れ蝶が舞っている。

 私の足はきちんと地面についており、一歩踏み出せば草の音が鳴った。


 いつの間にか花畑の中には白いテーブルとイスにお茶が用意されており、私が近づくとイスはひとりでに引いて私を座らせた。

 自らを差し出して来た紅茶を飲むと、


「お口に合えばいいですけど」


 優しげな男性の声音が聞こえた。私は紅茶を堪能して彼の顔も見ずに言った。


「緑茶も美味しかったですけどこの紅茶も美味しいですよ、ユリウスさん」


 飲み干してカップを置くと、ようやく向かいに座っている男の姿が見えた。丈の長い白の貴族の礼服を纏った金髪碧眼の王子様のような風貌を持つ青年、ユリウスさんだった。


「私としては君とは初めましてなのですが」

「……あ、やっぱりあれって黒霧の幻なんですね?」

「ええ、別に時を越えたわけではありませんよ。あれは黒霧が見た過去を再現したものでしょうから。彼はその場にいなくても里の中ならどこでも見ることができるので」


 便利な力だがそれはそれで可哀想だ。だって陰口をたたいている所すらばっちり見えてしまうのだから。


「ユリウスさん、つかぬ事をお聞きしますが……ここってどこでしょう?」

「そうですね……私がいるということでなんとなく気が付いていらっしゃられるでしょうが。ここはいうなれば『あの世』ですね」


 やっぱりか、と私は嘆息した。いつの間にかカップの中に注ぎ込まれた紅茶を飲む。

 刺された前後は混乱していて何が起こったのか頭の中で処理しきれていなかったが、ここでこうしていると自然と落ち着いてきて自分がどういう状況になっていたのか思い出せるようになっていた。


 決めた通り、体張って一ノ瀬君を守った。

 そして私はここにいる。


「…………私、泣かせてしまいました。もう、あんな顔させたくなかったのに。誰も殺させたりしないって言ったのに」


 約束を守れなかった。全部失敗してしまったのだ。皆に合わせる顔がない……合わせにも、もう行けないだろうけど。

 私が俯いていると、ふと甘い香りが漂ってきてなんだろうと視線を少し上向きにするとユリウスさんが一輪の小さな白い花を差し出していた。


「薫りますか?」

「? はい、良い匂いですね」

「そうですか、それは良かった」


 私の答えにユリウスさんは満足そうに微笑んだ。意味が分からず首を傾げると、ユリウスさんはその花を自分の鼻先に持っていった。


「可愛らしい小さな白い花。しかし残念なことに私にはなんの香りもしない」

「え?」


 小さいけれど確かにその花からは甘い匂いが漂っていた。無臭のはずがない。

 ユリウスさんは優しく私の手をとるとその花を握らせた。


「ここは死と生の狭間の地。生者は花の香りに導かれこの世に戻り、死者は香りに気づかずあの世へ渡る。……死者は花の匂いが分からないのですよ」


 ぎゅっと握られたユリウスさんの両手は驚くほど冷えていた。体温をまったく感じられない。この人はもう死んでいる人なのだと身をもって感じられた。


「私、まだ……生きてる?」

「生きていますよ。貴女が死者の国に連れて行かれそうになった直前に黒霧が食い止めましたから」

「黒霧が?」

「あれもかなり無茶をしてくれましたが、まあ大丈夫でしょう。あの子にとっても雹ノ目朔良という存在は大切なもののようです。貴女がいなくなればもう救えないことを知っている」


 そうだ、黒霧は私に雹ノ目君を託してくれた。信じて、だから彼は断腸の思いで雹ノ目君を幻の世界から出したのだ。

 なのに私はこんな所でのんびりお茶なんてしてる場合じゃない。

私は勢いよく立ち上がった。


「戻ります、どうやったら帰れますか!?」

「花の香りを追えば生者は戻れますよ。でも少し待ってください」

「待てません!」

「せっかちさんですね、きっと戻った時、貴女でもどうにもできない事態になっていると思いますよ」

「どういうことです?」


 少し低くなったユリウスさんの真剣な声に急いていた私は止まった。聞き逃してはいけない気がしたのだ。そもそもなぜこの地に迷い込んだ私の前にユリウスさんが現れたのか。理由があるはずだった。


「一ノ瀬勝……はもちろん知っていますね?」

「はい、私のパートナーですから」

「私が彼と少なからず関わりがあることは?」

「鈴白がそんなことを口走ってましたけど、詳しくは知りません。そもそも貴方が『どこのユリウスさん』なのかも」

「ふふ、やはり貴女はよく視える方のようだ。それではしっかりと自己紹介をした方がよさそうですね。私の名はユリウス、ユリウス・オルヴォン。千年前に栄華を誇った魔法使いの国アルカディアにて伯爵位を頂いていた魔法使いです」


 予想は当たっていた。やはり彼がオルヴォン伯爵だったらしい。けどなんだろうこの違和感。彼は本当に私が黒霧の幻の中で出会ったユリウスさんだろうか。

 食い入るように彼の碧眼を見詰めると、彼はその眼を細めて微笑んだ。


「違うとも言えるし違わないとも言えますね。貴女が黒霧の幻で出会った私は、私の魂の一部を宿したゴーレムですから」

「ゴーレム!?」


 まさか、ゴーレムはいうなればただの人形である。長い年月を経て自我を持ち自立して動けるようになったレミリアのような例もあるがあれは魔力の根源が傍にあってこそできることである。彼女はおそらく学校から離れることができないはずだ。

 しかしあのユリウスさんは一人で動き、喋っていた。動かしていたはずの本物は近くにはいなかったはずなのである。


「私以外の誰にもできない手法ですが自ら考えて動けるゴーレムを作れたのですよ。一体作るので精一杯でしたけどね」

「どうしてそんなことを?」

「私にも約束がありました。それを叶える為に私は鈴白や黒霧のことは捨て置かなくてはいけなかった。でも気にはなっていたんです、結局中途半端にしてきちゃってましたし。まぁ、私のゴーレムでも解決までには至らなかったわけですが……貴女のとのことで彼らが和解できたのは私にとっても喜ばしいことなのです。ありがとう、花森さん」


 慈愛に満ちた笑みで言われて私は自然と頭が下がってしまった。この染み入るような優しさはあのユリウスさんからは感じられなかった。どこか冷たい印象だったのは魂入りとはいえゴーレムだったからだろうか。


「ユリウスさんがしたことは無意味ではなかったと思います。鈴白だって一ノ瀬君を見て感情を高ぶらせたくらいですから」

「そうですか。でもなぜですかね、彼と私は同じとはいえまったく違うというのに」


 少しだけ確信に触れたような気がした。一ノ瀬君とユリウスさんの関係。あのゴーレムのユリウスさんとは違う本物のユリウスさんを間近で見て、さらに二人の間は近くなった気がする。


「お子さんはいらっしゃらないはず……でしたよね?」

「残念ながらいません。妻にと思った方はいたのですがあいにくフラれてしまいまして」

「そうですか、じゃあ一ノ瀬君とは血筋関係ではないんですね?」

「血は関係ありません。ただ私と彼は魂の一部で繋がっている」

「魂の……一部?」

「私は死ぬ時、一つ深い願いを遺しました。力はあっても寂しい生、こんなものはもういらない。私が欲しいのは人と共に人として歩むことだ、と」


 目を閉じて語るユリウスさんの姿は寂しさそのものだった。文献では良く見ることのできる話だが、実際に本人から聞くと迫るものがある。

 彼の孤独は数百年に渡る壮絶なものだ。


「人は死んだらどこへ行くと思いますか?」

「えっと、死者の国に迎え入れられますよね。この先の」


 私は花畑が広がる先を見た。ずっと向こう側は霧がかかっていて見ることはできないが。暗く冷たい場所のような気がした。生きている者の行くところではない。


「そうですね。そこで罪があるものは償い、白き魂は天に昇ります。そして長い長い旅に出る。遠い世界で生まれ変わることもあるでしょう、けれど死んだ世界と同じ場所で生まれ変わることはほとんどありません。しかし死した時、この地に深い執着があると稀にもう一度同じ世界で生まれ変わることがある」

「……一ノ瀬君は、ユリウスさんの生まれ変わり……ということですか?」


 内心驚きつつもどこか納得している自分がいた。まったく似ていないように見えてどこか重なり合う二人。同じ魂を持っていると言われたらすとんと気持ちが収まった。

 この世界に輪廻転生はない。と言われている。半信半疑だったが自分自身輪廻転生を信じていなかったから魂との繋がりを考えにいれていなかったのだ。

 死者であるユリウスさん本人から聞いているのでこの話は事実なのだろう。

 しかし普通は転生はしても同じ世界ではない。つまり死んだら同じ魂の人にはどんなに長生きしても二度と会えないとはずなのだ。


「一ノ瀬勝は私の魂を持った私の理想。多くの人に囲まれ、我を通し、深く人に関わり合い続ける。孤独を知らない生。彼がそんな人生を送ったところで私にはなんの意味もないんですけどね。同じでもまったくの別人なんですから」


 それでも彼は願ったのだろう。次は孤独のない人生を。

 一ノ瀬君があんなにもお節介な世話好きになったのは生まれた環境以上に前世との因果が深かったからだったのだ。


「別人には違いないのですが、どうにも少し彼の魂の中に『生前の私』が残ってしまっているようで鈴白や黒霧と接触したことで綻びが生じているようです。もし貴女が戻った時、鈴白に託した私の鈴が割れているようでしたら、これを」


 ユリウスさんはそう言うと紐に繋がれた一つの鈴を私に握らせた。それは鈴白が一ノ瀬君に渡したユリウスさんの鈴と同じものだった。


「元々は鈴白と黒霧の為に作ったものですが、この鈴には力を封じ込める能力があります。私は生前の力をすべて捨てる代わりに現在の一ノ瀬勝という存在を得ました。しかし私の力はそうそう一気に消えてくれるような代物ではないようでしてね。本当に困ったものです」


 心底忌々しそうに自身の持っていた力を語るユリウスさんを私はきちんと理解することはできない。今だって完全無欠の力が欲しくなる時もあるし、ユリウスさんを羨ましいとすら思う。

 けど彼が本当に望んだのは、魔力が著しく低くて、コントロールもまともにできていなかったような一ノ瀬勝という存在だった。


 ないものねだりとはよく言ったものだ。


「それじゃあ私、行きますねユリウスさん」

「お気をつけて、花森さん。もう二度とこんなところへ来てはいけませんよ」


 そう忠告するとユリウスさんの体は透け、溶けるように私の手のひらに乗った鈴の中に消えていった。

 面食らったが良く考えれば分かることだ。ユリウスさんの魂はもう一ノ瀬君として生まれ変わっている。ここにはすでにいないはずなのだ。恐らく彼は鈴の中に残されていたユリウスさんの魂の残骸だったのだろう。

 彼はどこまで見通してこの鈴を遺していたのか。


 万能すぎる存在、ユリウス・オルヴォン。

 私は今、彼が本当に望んだ姿の元へ全力で駆けた。










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