64 Lose 割れる音(一ノ瀬視点)
*流血表現があります。
花森は何か考えてはいけないことを考えている。
なんとなくだが俺はそう思った。
思えば出会った時から彼女はどうもあれこれ余計な事を考えてしまう性質らしい。余計に考えすぎて、自分で自分に重い石を乗せて最終的には身動き取れなくなってしまう。
なんというか、そう彼女は卑屈なのだ。
最初はそれにかなりイラついたりもしたが、今となってはどうして彼女がそんな考えを持つに至ったのか雹ノ目の件でなんとなく分かったし、徐々にだがその傾向は解消されていると思う。
前に進むことを決意してくれた。それを俺のおかげだと言ってくれた。
――――『余計なお世話なんだよ、無神経ヤロウ』
いつか、どこかで、誰かに言われた台詞。もう、忘れたがこの言葉だけはハッキリと脳髄にこびり付いている。お節介な世話焼きだと自分自身でも分かっているし、それは時として誰かの重荷になることも分かってる。
けど止められないし、それが俺だと思うからそれでそういう結論に至るならそれはそれで構わない。
けどまぁ、やっぱそう言われると寂しいっつーか、悲しい気持ちにはなる。俺だって心ある人間だし。
だからさ、ほんとマジで。
『ねえ、一ノ瀬君。私、貴方がパートナーで良かったよ。一ノ瀬君は一ノ瀬君が私を必要としたからパートナーになったんだっていったけど私は逆だと思う。……私が一ノ瀬君を必要としたからパートナーになったんだって』
んなこと言われたら、嬉し過ぎて逆に泣いちまうじゃねぇーかよ、花森。
俺は一気に潤んできた目を見られないように花森から目を反らしつつ、返事をしないのもマズイかと思って、けど今声を出したら絶対震えるから、ぎゅっと手を握り返す事にした。
きっとこれで彼女には伝わるだろう。
実は俺は普段、異性と手を繋いだりしないし、易々とおぶったりもしない。ただの女友達と親しげに手を繋ぐことはありえないし、余計な期待を抱かせるのも悪かったからだ。
見た目や性格から俺はよく恋愛方面は疎そうだとか言われるが決してそんなことはない。恋愛経験豊富という意味じゃなく、誰が誰を好いているかとかはその人間の視線と表情と言葉と行動の機微を良く観察していれば分かってくるのだ。
対戦相手の心理を読むのと同じ、好き嫌いくらはすぐ分かる。
だから相手が自分に対してそういうことになりそうなら俺はさっさと逃げるし、逆に絶対にそんなことにはならないと確信があれば馴れ馴れしくもする。
花森李はまさに後者の人間だった。
初対面の時、彼女の目を見た瞬間にそれは悟った。冷たくて、消極的で排他的。
ああ、こいつと俺絶対に合わねぇーや。そう思った。けど三年間を共にパートナーと過ごす事になるならそれでも友達になりたいと考えた。
案の定、彼女には散々拒絶されまくったわけだが、俺の根性勝ちというか、そもそも花森は一生独りでいることなんて出来なかったと思う。俺じゃなくてもいつか誰かが彼女を人の輪に戻したろう。
それがたまたま俺だったというだけだ。
運命石が導いた運命を俺はとても感謝している。
手を握り合って心落ち着く友人になど今後一切会えない気がしてならないからだ。なぜだか男女間の感情が生まれないどころか、どことなく親愛にも似た感情が湧いてくるのが不思議で。でもそれは花森も同じようだった。
なにか引っかかりのようなものを感じていたが、それは黒霧の幻でようやく得心が言った。
『兄妹』だ。俺達はまるで兄妹のような感覚を互いに感じている。
幻から解放されても花森が俺をお兄ちゃんと呼んでしまったことが証拠だろう。もしかしたらあの親子兄妹設定は俺達の心理的なものを反映させていたのかもしれない。
兄妹であることにまるで違和感を抱かなかった俺達はやはり元からそういう気持ちがあったからだ。
理由は未だに分からないが。
握った手が強く引っ張られる感覚を感じて今置かれている状況を思い出した。俺よりも一歩前に踏み出た花森が振り返って笑う。
内心、俺の勘が不安な警鐘を鳴らしていたが、彼女のその笑顔を見て少しだけ安心してしまった。不安など何もないのだと言われた気がしたから。
繋いだ手を離して、俺は花森と同じように一歩前へ踏み出すと彼女と目を合わせた。強い意志の宿る黒の瞳が俺の琥珀の瞳を映す。
前々から花森の気持ちを読み取ろうと何度も視た事があるが心を繋げられた今をもってしても彼女の気持ちを読むことは一度も出来なかった。考えを読むことはできる。けど彼女が抱く底の深層の言葉は読み取れない。
読むのが難しい人間ってのはどこにでもいるが、彼女は別に秘密主義というわけでも心を閉ざす技があるわけでもない。なのに読めない。
無意識ではあるだろうが、時々彼女がとても遠い存在のように感じることがあった。
黒い瞳はそれをまざまざと見せつけてくる。黒という色は好きだが厄介だ。特に魔法使いの黒は。
花森のタイミングを見計らって俺達は同時に駆けた。強烈な炎の風を纏って、雹ノ目の刺々しい程に尖った魔力を溶かしながら進む。
上位属性は基本弱点がない。氷は炎で溶かすことはできるが氷は水の上位属性。氷属性の魔法使いは水も自由自在に操れる。だからこちらは一気に水まで蒸発させなければいけない。それには相当魔力を消費するから戦った時点で魔力切れで押し負けるのが明白となってしまうのだ。
上位属性を持つ魔法使いは全体の約五%、先天性の場合は一%に満たないという。
雹ノ目朔良という存在はとんでもなくレアだ。
おまけにこの世に存在していいのかと思うほどの美人。ものすごく殴りづらいけど、男だからいいよな。顔の傷は勲章にしてくれよ。
皮膚を裂くような痛烈な殺気を真正面から受けながら俺は雹ノ目朔良に向かっていった。右側に展開した花森達には目もくれないところをみると、やはり狙いは俺だけらしい。
それでいい。少なくとも花森に危害を加えるつもりがないならあいつの身は大丈夫だ。
俺は装備した鋼鉄のグローブに千葉刑事から貰った火の魔力を自分のものと混ぜて纏わせた。俺だけの微弱な魔力だけじゃ雹ノ目の氷は溶かせない。千葉刑事が同じ火属性で本当に助かった。それに今は花森や上位妖怪である鈴白と黒霧の風の一押しもある。
心強いとはこのことだった。
一対大勢ってのは本来嫌いなんだけど、この場合はしょうがない。なんとかあいつを身動き取れなくして花森と対話できるまでにもってかないと。
雹ノ目の目の前まで間合いを詰めた俺は思い切り拳を奴に叩き込んだ。雹ノ目の眼前に氷の幕が張られていることに気が付いていたので全力で当たりに行っても幕のせいで奴に当たる前に威力が制限されるからそう酷いダメージにはならないと踏んでのことだったが。
バリンッ!
と氷が砕ける音が響いたが、それだけだった。俺の拳は氷を砕いたが目的のものは捉えられずただ空を叩いた。
威力が殺された影響で拳を繰り出す速さも制限されてしまい、雹ノ目にかわす時間を与えてしまっていたのだ。
見た目から運動神経はそう高くないと踏んだが、甘かったようだ。
トントンと軽やかに後ろへ跳んだ雹ノ目は間髪入れずに軽く左手を翳すと一気に氷の粒が集まり無数のつららとなって俺を襲撃した。
近い距離の上、無詠唱の相当な速さだった為、全部は避けきれずいくつか掠った。
こいつ本当に俺を殺りにきてんな……。
むき出しにされた闘争本能に背筋がゾクゾクする。これが格闘技の試合だったら喜んだところだがこれは文字通り命がけだ。殺し合いに興奮する趣味はない。
花森達が風で雹ノ目の動きを制限しているおかげでこちらの攻撃もそれなりに出せてはいるがお互いに決定打は出せないでいた。
……いや、このままだと俺がマズイな。雹ノ目の魔力は無限かと思うほど高いが俺はあっという間にすっからかんになるほど低い。今は千葉刑事のおかげで炎がもってるが俺自身の炎はすでに風前の灯だ。
千葉刑事が何度も俺を助けようと割り込んでくるが雹ノ目が俺しか狙ってない為に千葉刑事をかわしてすぐに俺に攻撃を仕掛けてくる。
待ったなしかよ、ずいぶんと嫌われたもんだな。仕掛けてくるまでは俺のことなんてまるで目に入ってないみたいだったのに。
少しぼうっとしてたのかもしれない。気が付いた時には俺は思いっきり弾き飛ばされて霜が降りた大地を盛大に音を立てながら転がった。
全身が痛んだが息が詰まって呼吸が困難になったところをみるとどうやら肺の辺りを殴られたらしい。
「――げほっ」
皮膚が裂けて血が流れていたが痛がっている暇はない。なんとか身を起こして息を整えようとしたが、やはり奴は待ったなしだった。
見えない衝撃に弾かれ仰向けに倒れた俺の襟首を雹ノ目朔良に掴まれた。首を絞められる体勢に再び呼吸が困難になる。
視界が近くなった雹ノ目の顔は俺が今まで生きてきた中で一番綺麗だったが。一番残酷な色を秘めていた。
人の魂を冥府へ送る天使はきっとこんな顔をしているに違いない。
一体何が雹ノ目をここまで怒らせたのか。俺が花森とのことを言ったのが本当に聞こえてて気に障ったのか?
今の花森を認識してもいなかったくせに。
「――――――せた」
「?」
雹ノ目が何かを呟いていることに気が付いて俺は耳をそばだてた。
「泣かせた、泣かせた、泣かせた」
泣かせた。雹ノ目はそれだけをただ繰り返し呟いていた。氷よりも鋭く冷たい目で俺を見下ろしながら。
触れられているからか、それとも距離が近づいた為か全身で雹ノ目朔良という人間の純粋な魔力を感じたと同時に今なら視えると思った。
臆さずに見返した雹ノ目の紺碧の瞳から流れるように感じたその感情に、知らない人呼ばわりされた時に浮かべた花森の悲しそうな顔を思い出して俺は腸が煮え滾るような怒りを感じた。
男なら堂々と真正面からぶち当たれよ、バカ野郎が!
俺は怒りに任せて拳を雹ノ目の腹に叩き込んでやった。思わぬ反撃だったのか防御もできずにもろに喰らった雹ノ目は腹を抱えて咳き込んだ。その間に俺はなんとか立ち上がる。
「……雹ノ目、お前本当は見えてるんだろ」
「…………」
「見えてるよな、じゃなけりゃあいつを見て、泣いたことにそんなに怒れるわけがねぇーもんな」
雹ノ目は答えない。
いいさ、お前みたいなタイプの沈黙はおおむね肯定だと知っているから。
見て見ぬふりをしてきたのは花森だけじゃない、雹ノ目もだ。全部から目を反らして黒霧の甘い幻を受け入れた大馬鹿野郎。
手を差し伸べられるのは花森だけだと分かってる。
けどこのまま黙ったままあいつの手を取らせてやるのがなんだか癪だった。
俺があいつを泣かせただと? ああ、確かに泣かせちまったな。けどな……
「花森を泣かせたとか、お前にだけは言われたくねぇーよ。いいか雹ノ目、よく聞け」
頭の中は怒りでいっぱいだった。頭に血が上りやすい性質でもあるが、いったんこうなると後先とかまったく考えられなくなる。俺の悪い癖だ。
この言葉を言ってどうなるかなんて、誰でも分かることだった。けど俺は言ってしまった。言わずに終われなかった。
花森の泣きそうな顔がちらつく。
「あいつを泣かせてるのは、誰でもない……お前だ」
花森が背負っている罪悪感のすべては雹ノ目とのことが原因だ。彼女は全部自分のせいだと言うだろうがそれは間違っている。逃げたのは花森だけじゃない、雹ノ目もだ。なら二人で背負うべきだろう。
いつまでお前一人、楽して生きてんだ。
この言葉で少しでも気づいて欲しかった。お前の為にずっと花森は苦しんできた。お前とまた逢いたくてただそれだけの為にここまで来た。
すごいじゃないか。雹ノ目、お前はすごく花森に大事に思われてるんだぜ?
なのにどうしてお前は。
「――――黙れ」
孤独のような目をする。
打ち出された氷の刃に俺は避けることができなかった。怒りを通り越して我を忘れた雹ノ目の殺意は無で感覚で動くタイプの俺の反射能力は無には反応できない。
視界が真っ赤に染まった。
誰かが何かを叫んだ気もするが一枚膜をかぶったみたいにとても遠くて聞き取れない。ぬるりとした生暖かい液体が両手にべったりついた。
真っ赤だった。何もかもが。
なぜ、どうして。
「…………はな……もり?」
どうして、彼女が俺に覆いかぶさって一緒に倒れているのか。
どうして、俺に刺された痛みがないのか。
とめどなく流れる赤に、俺の中で何かが割れる音がした。




