63 partner ベストパートナー
どんな視線を向けられても耐えようと覚悟していたが、雹ノ目君はすぐに私の目から逃れるように顔を背けた。
「…………同姓同名なんだね」
やはり花森李イコール私とは認識してくれないらしい。もうこちらを少しも見ようとしない雹ノ目君に腹の底から熱いものが込み上げてきた。
これは、怒りだ。
私か雹ノ目君に対して怒りを覚える日が来るとは夢にも思わなかった。彼はいつだって穏やかで優しくて、私を怒らせるようなことはまったくなかった。
いつも私の欲しい言葉と行動を起こしてくれる。
……そう、彼はいつでも私を見てから、何をどうして欲しいのかを見極めてから行動していた。
「やっぱ、実物を前にすると違うな」
一ノ瀬君の呟くような声が聞こえて彼に振り返った。
一ノ瀬君は依然として魔力圧に苦しまされているようだが、雹ノ目君を見る目は内面にまで覗き込もうとしているかのように鋭く彼を観察していた。
「多分、鈴白や黒霧と同じように花森と同じようなタイプなんだろうとは思ってけど、まさかここまでダントツにお前と似たタイプとは思わなかった」
「……そんなに似てる?」
「おお、すっげぇー似てるぜ。このイライラする感じがな」
雹ノ目君の魔力と同じくらい冷たい目で一ノ瀬君は私を見た。今でもその瞳を見ると身震いをしてしまう。ウォークラリーの時までに時折見せていた一線を引くかのような底冷えするような目だ。
「あー、ゴメン。俺の悪い癖だな」
「癖……なの?」
「試合する前にな、対戦相手のことを観察する時に使うんだ。親父には礼儀がなってねぇーって拳骨貰った事もあるし、直そうとは思ってんだけどさ。どうも……反対側っつーか、理解の及ばないような視にくい奴にはそうしちまって」
確かに私や雹ノ目君と比べれば一ノ瀬君は『反対側』なのだろう。だからこそ私以上にイライラしているはず。
でもそうやって誰よりも苛立っている癖にどうにかしようとするのだからやはり一ノ瀬君は世話焼き気質だ。
お兄ちゃんに欲しい。
もしかしたら下に兄弟がいるのかもしれないな。後で聞いてみよう。
「なぁ、花森。お前、もしかしてあいつにイラついてないか?」
「……うん」
「なら良かった」
「良かった?」
「だってそうだろ。今でもあいつにイラつかなかったらお前は前と何も変わってないってことだ。相手に対して感慨を抱かない、考えない、関わらない。だから怒ることもなかった。といよりあいつ、お前に対して怒らせるようなことしてなかったかもな」
驚きに目を見開いた。一ノ瀬君ってばどこまで分かってるんだろう。
「人との関わり合いを避けてたお前が唯一友達になった奴って聞いてなんとなく想像するしかできなかったが、本人見て分かったよ、なんてこたない『友達』って名前をつけた傷のなめ合いする仲だ」
「!!」
金槌で頭を殴られたような衝撃が全身を駆け巡った。
ふらつく思考で、それでもようやく思い至った。
…………傷つかないように、傷つけないようにお互いにお互いの領域を守りながらただ傍にいた。
彼と一緒にいると安心する。
そうでしょうよ。だって彼は私を傷つけない。嫌われないようにしていたんだから。
生ぬるい世界で安寧の空気を吸っていた。だからそこに少しのヒビが入っただけで容易く壊れてしまったのだ。
ハラハラと涙の粒が瞳から零れ落ちた。
友達じゃなかった。そう考えただけで胸が締め付けられるほど痛くて苦しい。もう一度なんかじゃない。まだすべて始まってもいない。
「花森…………ゴメン」
「いい……の、はっきり――言ってくれて、ありがとう」
一ノ瀬君が言ってくれなかったら気づけなかった。いや、もしかしたら私はどこかで気づいていたのかもしれない。気づいていてそれで気づいてない振りをしてきたのかも。
私は自分の両頬を思いっきり叩いた。
驚いて目を丸くしている一ノ瀬君に笑ってみせる。
「あのね、一ノ瀬君。私、喧嘩ってはじめてするんだ」
「え、マジ?」
「マジ。だって私一人っ子だったし、そもそも喧嘩するような相手いなかったんだよね」
前に一度、一ノ瀬君に対して怒って本を投げつけたことはあるが、あれは一方的な癇癪だ。ぶつかり合うような事は何度思い返してみても記憶にない。
「喧嘩の仕方よく分からないんだ。だから」
一ノ瀬君に向かって拳を前に出した。
「ちゃんと教えてよね」
「任せとけ。喧嘩なら前は毎日のようにしてた大ベテランだからな」
ガツンと一ノ瀬君も私と同じように拳を作って私の拳と合わせた。
自信満々に笑うのはいいが、毎日喧嘩してたっていうのはどうなの……。実は結構血の気多いよね、一ノ瀬君。
「一ノ瀬!!」
意気込みも新たに、雹ノ目君に立ち向かおうとした所で黒霧の叫び声が聞こえたと思った瞬間、一ノ瀬君に押されるように私は地面にひっくり返って転がった。
打った背中がジンジン痛む。
「なに呑気にしてるんだ。戦意は薄かったけど、雹ノ目朔良は情緒が不安定なんだぞ!」
黒霧が怖い顔で怒鳴ってきた。
どうやら彼が一ノ瀬君の背を押してその勢いで私ごと地面に転がしたらしい。彼の行動が咄嗟に理解できずに茫然としていたが、素早く一ノ瀬君が私の腕を掴んで立たせたことで視界が広がりようやくその意味を理解できた。
先ほどまで一ノ瀬君が立っていた場所を貫くように先端が尖った氷が走っていた。黒霧が助けなかったら一ノ瀬君の胴体に穴が開いていただろう。
突然の恐怖に背筋が凍り付いた。
そうだ、油断しちゃいけなかった。雹ノ目君は今、どう出るか分からない状況下にある。先ほどまでは私達に敵意はなかった。それどころか幻の私しか見ていなくて、興味すらなさそうだったのに。
恐る恐る雹ノ目君の方へ頭を動かし、視線を向けるとそこには白い煙を全身からユラユラと立ち上らせた雹ノ目君の姿があった。
あの白い煙は冷気だろう。彼の足元はすでに氷漬けになっていた。
先ほどまであったぼうっとした雰囲気は抜け落ちて全身から尖った殺気がとめどなく溢れている。細められた紺碧の冷たい瞳は真っ直ぐに一ノ瀬君へと向けられていた。
あんな冷たい目をした雹ノ目君を私は見た事がない。
「なんか気に障ることでもしたかな、俺」
「さっきの会話、聞こえてたとか……」
「どうだろ、聞こえる距離とも思えねぇーけど」
雹ノ目君を怒らせたとしたら彼が言った『傷のなめ合い』の部分だと思うのだが。雹ノ目君は音楽家だけあって耳は良い方だったのでその可能性を口にしたが、一ノ瀬君はそれでもこの距離ではっきりと聞きとることは無理じゃないかと否定した。
ならどこで……?
「二人とも考えている暇はないですよ。特に一ノ瀬君、どうやら黒霧が視た通り君が狙われているようだ」
「僕が視た通りになってくれるなよ」
「分かってる!」
一ノ瀬君は力強く言って頷いたが、内心私は恐ろしくてならなかった。間近で彼の死を感じたからか黒霧が執拗なまでに私を止めようとした理由が今ではよく分かる。
彼を信じないわけではないが、どうしても不安は拭えなかった。
激しく鼓動を打つ心臓を抑え付けるように、私は汗ばんだ手で胸元をぎゅっと掴んだ。
覚悟はとうに決めている。
「……花森?」
「―――行こう、一ノ瀬君」
「ああ……でもお前なんか――」
一ノ瀬君の言葉が聞こえない振りをして私は風をおこした。一ノ瀬君はなんとなく気が付いている。でもこれ以上悟られてはいけない。
千葉刑事が作ってくれた火を利用して炎の渦を作り上げた私は、その勢いで周囲の氷を一気に蒸発させていった。
雹ノ目君の力が弱まったことで魔力圧から脱した一ノ瀬君は私の隣にぴったりとつくと、左手を握って来た。
「喧嘩、しに行くぞ」
「うん!」
きっと言いたいことがあったに違いない。けれど一ノ瀬君は聞かずにいつものように真っ直ぐに目的地まで連れて行こうとしてくれた。
間違えたら怒ってくれる。間違えたら正しい道を一緒に探してくれる。間違えたら一緒に考えてくれる。
ウォークラリーの最後、思ったことを私は今こそ彼に伝えるべきだと思った。
温かな左手に少しだけ力を込める。恥ずかしいから彼の顔は見ない。
「ねえ、一ノ瀬君。私、貴方がパートナーで良かったよ。一ノ瀬君は一ノ瀬君が私を必要としたからパートナーになったんだっていったけど私は逆だと思う。……私が一ノ瀬君を必要としたからパートナーになったんだって」
返答はなかった。ただ静かに手を握り返された。
それだけで私は十分だった。




