59 sympathy よく似てる
「なあ、黒霧。お前が花森の夢の中に入って警告したり、執拗に閉じ込めようとしたりしたのはなんでだ? 今までずっと動かなかったんだろ」
重い沈黙の中、一ノ瀬君は静かに聞いた。
そこで初めて黒霧は少しだけ顔を上げて一ノ瀬君の姿をその赤い瞳に映す。一瞬、瞳が感情的に揺れた気がしたが、すぐに彼は瞳を閉じてしまった。
「……偶然……だった、けど僕は雹ノ目朔良の夢を知った。望むモノを僕は見せてあげようと思ったんだ……彼はもう幻の中でしか生きられないから」
なのに、と切なさにも似た悲しい瞳が私を見詰める。
私はぎゅっと拳に力を込めた。
「幻の中に連れて行って、彼は幸せになったのに。君が来れば全部壊れてしまう。何度も、何度も警告したのに君は諦めなかった……だから一度だけ彼に合わせた。幻の中でも彼は君に気づくか、君に触れるかどうかを確かめた…………結果は、君も知っているだろう?」
雹ノ目君は私を避けた。触れようと伸ばした手を彼はとってはくれなかったのだ。そして黒霧が化けていた幻の幼き日の私と共に消えていった。
「彼が、雹ノ目朔良が望んでいるのは『今の』君じゃない。あの時、幸せだった時間の中の『昔の思い出の』君だ。幻でもいい、幸せの時間の中にいたい……僕はその願いを叶える事にしたんだ。……初めて会った時、彼は僕をまったく怖がらなかったから」
黒霧の私へ対する行いのすべてが今の言葉で分かった気がした。大切にしていた人々に忌み嫌われ、鈴白にも去られて長い長い時間を孤独に過ごした黒霧は、何よりも寂しさを知っているのだ。
大切な人を失って、私にも拒絶され一瞬にして孤独を全身で感じてしまった雹ノ目君は壊れることで逃げた。そんな雹ノ目君の寂しさを黒霧はすぐに分かったんだろう。
同情したのか、自分と重ねてみたのか、なによりも自身を恐れなかった雹ノ目君に黒霧は同胞にも似た感情を抱いたのかもしれない。
だから素直にも彼の望みを叶えたのだ。その方向性が底の底へと向かっていくものでも。
私がもし、黒霧と同じ力を持っていたとしたらきっと私も同じことをした気がする。現実に立ち直らせるのではなく、幻に逃げ込んでそこで一緒に幸せになることを望んでしまう。
現実に少しでも引き戻そうとすれば、どうあがいても痛みを伴うものだから。
けれど今、私は。
「花森は幻の中にいない」
口を挟まず静聴していた一ノ瀬君が切り込むように鋭い口調で声を発した。黒霧が睨みつけるように再び一ノ瀬君の方を見る。
「さっきから聞いてりゃ、なんだその的外れな夢の叶え方。雹ノ目は花森と一緒にいたいんだろ? 幸せだったあの時の花森は友達だった、ならあいつが望んでるのは花森とまた友達になることだ。過去の夢を何度見たって『花森』とは永遠に友達になれないじゃねぇーか。こいつは現実を生きてるんだぜ?」
まったくもって理解ができない、と一ノ瀬君は不機嫌に言ってのけた。そこには同情の欠片もない。孤独と寂しさを持たない彼は黒霧にも雹ノ目君にも同調するような部分はどこにもなかったようだ。
私達とはまったく真逆の半生を生きる一ノ瀬君にとって私達の感情は理解しにくい域にあるのだろう。
「――っお前に何が分かる!」
黒霧は一ノ瀬君の発言を無神経だと受け取ったらしく、憤慨した様子で無様に転がっていた状態から立ち上がった。
肩を怒らせて仁王立ちする黒霧に一ノ瀬君は少し困ったように眉尻を下げる。
「分かんねぇーよ、何にも。俺、お前とはついさっき会ったばっかだし、雹ノ目に至っては顔すら知らねぇー。でもまぁ、なんとなく似てるっぽいからな、お前ら」
訝しげな視線を送る黒霧を見て、一ノ瀬君はふっと朗らかに笑った。そしてその柔らかな琥珀の瞳を私に投げてよこす。
「花森と、黒霧、んで雹ノ目。二人の事はよく知らねぇーが、花森のことなら少しは知ってるつもりだ。だからこそ、俺は言いたい。雹ノ目は本当にお前の言う通り幻の中にいて幸せなのかってな」
「幸せだ! 悲しみも痛みもない完璧な世界だ。忘れてしまえば何もかもが安らぎに彩られる。それのなにがいけない」
今度は黒霧が混乱する番だった。一ノ瀬君の言葉が呑み込めずに狼狽える黒霧に事の成り行きを見守っていた鈴白が不愉快そうに鼻をならした。
「これだから引き籠りは困ります。痛みを伴わない人生などあるものですか。夢の中に閉じ籠りたいなら私は別に構いませんが、どうも話を聞いていると放って置くことができない部分があるみたいですね……一茂さん」
「らいしな。まさか別件だと思ってたら本命が混ざってるとはな。若い連中の事だ人生山あり谷あり、存分に生き方について青臭く語り合えとも思ったが」
実際には黒霧の方が千年以上、千葉刑事より年上だがその落ちつきようと威厳は遥かに黒霧より勝っていて説得力がある。
しかし本命ってなんだろう?
二人は何か私達が依頼した援護要請とは別に任務があって幻狐町に来たようだったが。
「雹ノ目朔良の捜索と捕獲、それが俺達の本来の任務だったんだ」
「彼がこの森の中にあった病院にいた時に行方が分からなくなったそうなので、もう一度痕跡が残っていないかどうか入念に調べようかと思ってたんですけどねぇ」
そういえば柳生先生が魔法科の警察が動いていると言っていた。それが彼らだったのか。思いもよらず二人の本来の目的を聞かされ私は驚いたが、一番反応したのは他でもない黒霧だった。
「お前も、お前も雹ノ目朔良を幻の中から出そうと言うのか!」
「そうですよ。言っていませんでしたが私は今、魔法科警察の厄介になっているんです、仕事なんですよ。社会で生きていくって大変なんです、別段興味のないこともやらなくちゃいけないんですから」
雹ノ目君や黒霧の感情など意にも介しない鈴白は至極面倒臭そうに吐き捨てた。鈴白は一ノ瀬君と違って恐らく孤独も寂しさも知っている。長い間に短い人生の人間と多く関わり少なくとも数人お気に入りがいたようだった。それでも鈴白は馬鹿馬鹿しそうに黒霧を見る。
「鈴白、そんなこと言わなくても」
あんまりもの言いぐさと態度に私が苦言を弄しようと口を開くと一ノ瀬君に制された。どうして、と思い彼を見上げれば一ノ瀬君は苦笑いを浮かべる。
「素直じゃねぇーよな、あいつも。やっぱ鈴白、少し前のお前に似てるよ」
「ど、どういう意味よ!」
「さー、どういう意味でしょう。少なからずお前らまとめて面倒臭い似た者同士だ。ああいうのみてっとまた体当たりするっきゃねぇーのかなぁと覚悟決めてるとこ」
と、なぜか手をバキボキさせて臨戦態勢な一ノ瀬君に開いた口が塞がらなかった。一ノ瀬君って人は、どうしてこう世話好きなのか。自ら痛みの中に突っ込んで行ってしまう。自分も大いに傷つくのが分かっていて、やっぱりバカじゃなかろうか。
「なんだよその顔。だってしょうがねぇーじゃん、お前らみたいなのは多少強引に行くしかねぇーんだから」
「だからって一ノ瀬君が体張る必要がどこに」
「じゃあ他に誰か変わってくれんの? 千葉刑事?」
「……俺は任務を遂行するだけだぜ。雹ノ目朔良の捕縛、それ以上のことは管轄外だ」
案に俺には出来ないと千葉刑事は言った。
ただの体当たりでは意味がない。深い穴の底に逃げ込んだどうしようもない奴を摺り出せるだけの力が必要だ。
それを率先できるのは一ノ瀬君しかいない。
彼に引っ張り出された経験者の私が言うのだから真実だ。だけど私もいつまでもあの頃のままではない。
「私も行くからね、一ノ瀬君」
「花森?」
「だって私、雹ノ目君に会いに来たんだから。私が行かなきゃ意味ないでしょ」
本当は怖さと不安で震えそうだった。また拒絶されたらどうしようかとか、私じゃ雹ノ目君には届かないんじゃないかとか暗い感情が湧いてくる。
けれどドンと叩かれた背中に熱いものが広がってその感情を消し去ってくれた。
「当たり前だ、お前が行かなくてどうするよ」
知らない事を理解してやれとは言わない。真の意味で共感できるのは同じ気持ちを味わった事がある者同士だけだ。
それは傷のなめ合いに近い。けれどそれを理解できないもう一人がいることでまた別の道が開けるのだ。
「そう、そうか……じゃあもう話し合いとやらは終わりだな。やはり意味なんてなかった。鈴白もお前も、お前らも皆ここから去れ!」
怒号が響く。
吠えるような嘶きに思わず耳を塞いだ。大地が震え、風が逆巻く。蛇のようにしなって踊り狂う風の様を見て、彼が鈴白と同じ風属性の力が操れることに気付いた。
この異質な魔力、やっぱり辿って来たあの力は黒霧のものだったのか。
押しつぶされそうな風圧に押されそうになるがこれでも私は風属性の魔法使いだ。風の制御には自信がある。
同じく風を操る鈴白も負けることなく立っていた。
「去れ……か、相変わらず甘ぇー奴」
風が聞きとったわずかな鈴白の丁寧口調を取り払った本来の言葉の呟きに私は一ノ瀬君が行っていた意味を理解した。
素直じゃない。
本当に黒霧を嫌っているなら、どうしてそんな風に悲しそうに言うのか。
「鈴白」
「花森さん、道は私が開きます。貴方は一ノ瀬君と一緒に行ってください。彼なら黒霧を本当の意味で殴れるでしょう」
鈴白がついっと右腕を空に掲げると私と一ノ瀬君の周囲にあった風の勢いが弱まった。彼の腕に導かれるようにして風が上空に散って行っているのだ。
ようやく動けるようになった一ノ瀬君は私と、なぜか鈴白の腕を掴んだ。
「えっと、なぜ私まで掴むんです?」
「なぜってお前も行くんだよ、鈴白」
「だから、なぜ」
「なぜってお兄ちゃんだろ、お前! お前が弟をぶん殴らないで誰がすんだよ」
「いやいや、それは君がやればいいでしょう!」
「なんか勘違いしてねぇ? 俺の体当たり今回は補助的なことしかできねぇーよ。あいつが本当にぶん殴って欲しい相手は俺じゃねぇーだろ」
「殴って欲しいなんて思ってませんよきっと、弱い子ですから!」
「ぐだぐだ言うな! 相手のせいにしてお前が殴りたくないだけだろうが、この臆病者!」
臆病者という単語に鈴白が目を大きく見開いた。思ってもいない言葉だったのだろう。臆病者とは鈴白には似つかわしくない単語に思えた。
けれど一ノ瀬君が鈴白に感じたものは違ったらしい。
「結局面倒だなんだと言ってお前も逃げたんだ! 千年の間、お前ここに一度でも里帰りしたのか? してねぇだろ!」
「――っ!」
「そろそろきちんとケジメつけて来いよ」
最後の言葉はとても優しい口調だった。気が遠くなるほどの年上相手に一ノ瀬君は諭すように背中を押す。それはとても手慣れた手つきで、私は一瞬『彼』と一ノ瀬君の姿がだぶった。
……結局彼と一ノ瀬君の繋がりは分からなかったが、どうにもやはりどこかが似ている。
鈴白もそう思ったのだろうか。少しだけ逡巡したが次の瞬間には溜息を吐いていた。
「分かりました行きますよ……」
「よし! じゃあ、行くか」
「でもどう行くんです? 突っ切っていくにも余裕がありませんよ……」
「んなのはオジサンに任せてお前らは真っ直ぐ行けや。それぐらいはしてやるぞ」
千葉刑事に頭を乱暴にかき回されて髪がぐちゃぐちゃになった鈴白は渋い顔をした。
「…………なんですかね、さっきから私、年上扱いされていないような」
「青臭ぇ、兄弟喧嘩してる時点でまだまだガキなんだよ」
「一茂さんには敵いませんね……」
「おう、お前みたいに無駄に生きてねぇーからな。人間は人生短い分、一生懸命一日を生きてんだよ」
「ふふ、そうですね……その通りだ」
どこか吹っ切れた様子で鈴白は黒霧へと向き直った。
黒霧は今もなお、獣のように吠え猛て暴風を巻き起こしている。決して近づけさせまいと足掻いているようにも見えた。
「癇癪起こしたガキに一発くれてやるのも愛情だ。しっかり仲直りしてこいや!」
「愛情でも仲直りでもなく躾です!」
いちいち千葉刑事の言葉に反応する辺り、やっぱり素直じゃない。
槍を出現させた千葉刑事はその槍に膨大な自身の魔力を注ぎ込み、逆巻く風の中へ投擲すると同時に魔力を解放した。風を引き裂くように真っ直ぐと貫いた魔力は私達と黒霧への道を開く。
同時に私達はその中へと走り込んだ。
千葉刑事の魔力に守られながら黒霧の元へと駆け抜ける中、鈴白が一ノ瀬君へ語りかけた。
「一ノ瀬君、どうして私が『兄』だと分かったんですか?」
「へ? どうしてって……どうしてだろう。勘? それっぽかったじゃん、お前」
自分でもなぜ鈴白をお兄ちゃんだと言ったのかはっきり分かっていないらしい一ノ瀬君に鈴白は少し残念そうな顔をした。




